12月23日の鹿児島県は種子島、南種子町にある種子島宇宙センターより午前0時26分、H2Aロケット45号機がリフトオフ、無事に打ち上げに成功しました。45号機に搭載されているのは衛星通信事業を行う英国インマルサット社の通信衛星、同社所有の商用通信衛星では最大となる第6世代通信衛星のインマルサット6シリーズ初号機、こちらも無事に予定の軌道に投入しています、拍手。

 

 

今回でH2Aロケットとしては5度目となる海外から受注の打ち上げ、予定では21日の打ち上げでしたが天候が悪化したために翌日へ延期。22日の23時33分に変更となったのだが直前に機体の確認作業がとなる、これにより、さらに1時間遅れての打ち上げとなりましたが無事に成功しました。

 

H2Aロケットは今回の打ち上げで39機連続成功、搭載力を強化した姉妹機のH2Bロケットも入れると48機連続打ち上げ成功で成功率は98%、世界トップの成功率をキープしています、凄いことですね。日本のロケット、何度見ても美しい打ち上げです、昼の打ち上げもいいですが夜は夜の良さがあって素晴らしい、種子島か肝付町のどっちかで1回生で打ち上げを見てみたい、叶えたい夢の1つです。

 

 

種子島から打ち上げられたH2Aロケット、JAXAと三菱重工が開発し三菱重工が製造そして現在は打ち上げも行っています。そのロケットが打ち上げられた前日、12月22日のドラゴンズ、バンテリンドームナゴヤに隣接する球団事務所には三菱重工から1人の男が訪れる、元ドラゴンズでもある小田幸平さん、来季よりドラゴンズ2軍バッテリーコーチに就任、正式に契約を結びました、おかえりなさい。

 

 

就任の小田幸平2軍バッテリーコーチ、『やりましたー』のフレーズでお馴染みの小田さんですけども、8年ぶりのドラゴンズ復帰となりますので、ざっくりとですが紹介を。

 

小田さんは1977年3月15日生まれの44歳、兵庫県高砂市の出身で高校は兵庫県の市川高校、社会人の三菱重工神戸へと進み3年連続で都市対抗野球大会に出場、ドラフト解禁となる3年目に日本選手権優勝に貢献し優秀選手賞を受賞。そして迎えた1997年ドラフト、4位指名で読売ジャイアンツに入団。守備は上手いが打撃で苦戦、主に3番手4番手の捕手としてのプロ選手生活となります。

 

2005年12月にドラゴンズからジャイアンツへFA移籍した野口茂樹投手の人的補償としてドラゴンズに移籍、2010年にお立ち台で伝説の決め台詞となる『やりましたー』を初めて叫ぶ、2014年オフに戦力外となり現役続行を希望し所属先を探したが見つからず、年明けに引退を決断した。

 

 

引退後はフリーの野球評論家、そして指導者としての活動も。2019年2020年は独立リーグ、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツで野手コーチ。2021年は三菱重工WEST硬式野球部のヘッドコーチ、このチームは名称が変わっているが出身の三菱重工神戸が元となります。

 

三菱重工つながりという事で多少ですけども無理からH2Aロケットの話題と絡めてますが、三菱重工WESTのヘッドコーチを退任した小田幸平さんは22日、ドラゴンズ球団事務所を訪れ正式に契約を結び小田2軍バッテリーコーチが誕生となりました。

 

 

会見で小田2軍バッテリーコーチは、「8年ぶりのドラゴンズ、嬉しい気持ちとやらなきゃいけないという気持ちが半々です」と現在の心境を明かす。バッテリーコーチとしての意気込みに、「1軍に勝てる捕手を送り込みたい。雰囲気をガラッと変えれるのが捕手、技術だけでなく、いろいろと気も使えて、いろんな状況を読めるような捕手を育てたい。そして元気の部分も、伝えていけれればと思います」と話した。

 

技術だけでなく元気の部分、ムードメーカーを育てることも目指すという小田コーチ。伝えるものの中には『やりましたー』も含むのかの問いに小田コーチは、「ああいうのは2軍ではやらん方がいい、1軍でやることです。ただ順序があります、1軍に上がったからで直ぐはダメ。ある程度やれてからの話し、そうなってから、ここだって思う時にやりたければやれば良いと思います」と答える。

 

ムードメーカー、ワーワー言うだけじゃダメなんですと難しさを小田コーチは説く、そしてプレーも含めて雰囲気を変えれるのは捕手であるとの持論も。小田コーチは「強いチームには、いい2番手の捕手が必ずいるんです」とも話す、現在の主戦となる木下拓哉捕手に次ぐ捕手を育てることでチームを強化したいとの考えも示している、いい捕手を育ててもらいたい。頑張れドラゴンズ!熱く応援しています。