天皇戦争責任問題検証 ❶
前回のお話で、天皇が憲法9条のご発想者というショックな出会いのお話をしました。
ただ、いくら天皇が平和を求めていたとは言え、先の大戦は、天皇を中心に戦い、そもそも天皇が開戦の許可を出したはず…。
そんな天皇が平和を愛する人なんだったら、何故、許可したんだろう⁉️
という疑問がふつふつと沸きました。
一体、戦争はどういう経緯だったのか⁉️
全く無知でした。(^_^;)
そもそも、天皇には、政治に介入する権利や責任があったのか?
学生時代、うろ覚えでしたが、戦前の憲法は、立憲君主制だったと聞いた事があります。
正直、少しは理解しているつもりでしたが、キチンと分かっている訳ではありませんでしたので、公開ブログだし、責任を伴う為、迷路的な文献に埋没しそうになりながらも、色々勉強し直しました。
なので時間掛かりました。笑
(お陰様で勉強出来て感謝です。^^)
この先の大戦に対する解釈が、様々に分かれているので、日本の今現在、有識者の分裂が解消されません。
そして、この問題の解釈とこれからの私達の行動に、日本の子供達、否世界の子供達の未来が掛かっていますので、理解するのに不便でも、皆さん、この難問を避けて通らず、一緒に理解を深めて行きましょう❗️
大日本帝国憲法(俗に明治憲法)は、明治22年(1989)に伊藤博文、井上毅らによってプロイセン憲法(ドイツ)を参照し起草・制定された天皇を元首とした三権分立の立憲君主制。
確かに、戦争は天皇の名の下に行われて来ましたが、実質は「君臨すれど、統治せず」の言葉通り。
1930年代から、起こった天皇機関説と天皇主権説の対立が激化。
簡単に言いますと、
天皇機関説は憲法学者美濃部達吉さんらが提唱された説。
国家を会社の様な法人格に位置づけるならば、天皇はその責任者であり、運営は皆で行う的な考え。
天皇主権説は、所謂、狂信的な「天皇は神聖にして侵すべからず」
国家も国民も全て天皇に属する的な考え。
因みに昭和天皇ご自身は戦前から、憲法学者、美濃部達吉さん提唱の天皇機関説を受け入れておられた。
昭和に入ってから陸海軍は、天皇から直接、統帥(天皇の統帥権)を受けるのであって政府の指示に従う必要はないとし、満州事変などにおいて政府の決定を無視した行動を取るなどその勢力を誇示。(軍部の暴走)
特に1935年の大戦前に、その天皇主権説を固持する右翼的な人々がだんだん台頭し天皇機関説肯定者が排除される。
同時に大日帝国憲法による立憲政治はその実質を失っていったとウィキペディアには明記されている。
俗に云う大本営発表的な流れに以降して行ったと云える。(国民の士気を低下させない様、不利な状況にフタをして前進しているかの如く流すウソの発表)
〈開戦の詔勅(戦争開始宣言)に見られる天皇の思い〉
カギカッコ『』の所にご注目を❗️
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<現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、
私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、
一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、
その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
『今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。
まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。』
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の
平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、
米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御 名 御 璽
平成十六年十二月八日
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この『』の部分、『この様な事態は私の本意では無い』と明言されている。
この発言は、当時戦いを推進する側とすれば、士気を低下させる恐れがある為、天皇に削除を進言された様だが絶対に削除してはならないと制止されている。
次回に続く…
