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僕らが作っているのは「作品」ではなく「商品」――宮本茂氏が30年の仕事史を振り返る

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今回「創(つむぎ)賞」を受賞した任天堂の宮本茂氏。講演中は写真撮影禁止だったため、写真は昨年の任天堂カンファレンスのもの 写真:ITmedia
今回「創(つむぎ)賞」を受賞した任天堂の宮本茂氏。講演中は写真撮影禁止だったため、写真は昨年の任天堂カンファレンスのもの 写真:ITmedia

マリオの原点は「ひょっこりひょうたん島」にあった?


  去る10月22日から25日にかけ、東京・お台場の日本科学未来館&東京国際交流館にて開催された「DIGITAL CONTENT EXPO 2009」。開催3日目となる24日には、「スーパーマリオブラザーズ」や「Wii Fit」など数々のヒット作を生み出してきた、任天堂の宮本茂氏による記念講演「宮本茂の仕事史」が行われ、多くの来場者を集めた。


  本講演は、アジアの文化・技術・コンテンツの発展に大きく寄与した人物に贈られる「ASIAGRAPH Award 2009」の授賞式と併せて行われたもので、宮本氏は今回、ゲームを通じて世界に存在感を示した点を評価され「創(つむぎ)賞」を受賞。講演ではプレゼン ターを務めた「ASIAGRAPH 2009」実行委員長の河口洋一郎氏が聞き手となり、対談形式で宮本氏の半生を振り返っていく形をとった。

●少年時代は人形劇、漫画に熱中

 タイトルこそ「仕事史」となっているものの、講演内容は宮本氏が任天堂に入社する以前、それこそ生い立ちや学生時代のエピソードにまで及んだ。もともと任天堂には工業デザイナーとして入社した宮本氏だが、そこへ至るまでには様々な紆余曲折があったという。

「小 学校のころは、『チロリン村とくるみの木』や『ひょっこりひょうたん島』みたいな人形劇をやりたかった。それから漫画家に興味が移って、中学校では漫画ク ラブを作った。でも、3年間がんばったけど、周りがすごくて挫折したんです。こいつらにかなわらなかったら未来はないだろうって」(宮本氏)

  その後一旦は漫画家の夢を諦めたものの、やはり絵を忘れることはできず、大学では工業デザインの道へ。その後父親の紹介もあって任天堂へと入社し、おもに 玩具やカルタのデザインを手がけることとなった。この当時は、マクドナルドで配布される景品の製作などにも携わっていたという。

 次に大 きな転機が訪れたのは1978年。この年、世間では「スペースインベーダー」が大ブームを巻き起こし、これを受けていよいよ任天堂も本格的にゲーム開発へ と参入することになる。これまでにも大型筐体を中心に業務用ゲームを開発していた任天堂だが、ゲームの中身=ソフトウェアを本格的に作るようになったの は、やはり「スペースインベーダー」がきっかけだったとのこと。

 こうして誕生したのが、はじめての代表作となる「ドンキーコング」であ る。開発にあたって宮本氏はまず、人々がなぜ「スペースインベーダー」に夢中になるのかを徹底的に分析し、「ドンキーコング」では「誰が見ても何をしたら いいか分かるゲーム」を作ろうと考えた。ジグザグに足場が並び、その上でコングが待ち受けるというステージのデザインは、「ゴリラが女の子を連れて逃げて いったら、誰でもここへ行こうとするだろう」という、宮本氏の計算から生まれたものだったという。

 ちなみに「ドンキーコング」の主人公 として生まれた「マリオ」のデザインは、「今にして思えばドン・ガバチョ(「ひょっこりひょうたん島」の登場人物)の影響を受けていたかもしれない」と宮 本氏。確かに鼻が大きいところや、チャームポイントのヒゲ、帽子など、言われてみればマリオとドン・ガバチョの共通点は確かに多いかもしれない。

●周囲からは猛反発を受けた「ゼルダの伝説」

  続いて宮本氏は、同氏を代表する二大シリーズとなる「スーパーマリオブラザーズ」、「ゼルダの伝説」が生まれた背景についても言及。ここで宮本氏から、 「当初『スーパーマリオブラザーズ』は最後のファミコン用ソフトと考えていた」という発言があり、会場からどよめきが上がる。

 というの も、当時ファミコンは発売からすでに3年近くが経過しており、通常の玩具のサイクルで考えれば、そろそろ次の世代への移行を考えるべきタイミングにさしか かっていた。実際、任天堂はこの年「次の世代」としてディスクシステムを発売しており、宮本氏も「今後はディスクシステムが主流になる」と考え、「その前 に、最後に『一番分かりやすいゲーム』をカートリッジで作ろう」と「スーパーマリオブラザーズ」を開発したのだそう。

 ところが発売して みると、この「一番分かりやすいゲーム」が大ブレイクしてしまった。しかも翌年にはあの「ドラゴンクエスト」もエニックスから発売され、世は空前のファミ コンブームに。結局、任天堂や宮本氏の狙いに反し、スーパーファミコンが発売されるまで5年間にもわたってファミコンの時代は続くこととなった。

  また一方で、「ドンキーコング」「スーパーマリオブラザーズ」とは正反対のコンセプトから生まれたのが「ゼルダの伝説」だったという。「いつまでもゴール を目指すだけでは面白くないだろう」と考えた宮本氏は、当時すでにPCで流行のきざしを見せていたRPGから着想を得て「成長」という要素をアクション ゲームに取り入れることを考案。さらに広大なマップの中から「プレイヤーが自分でゴールを探し出すゲーム」を作ろうとした。

 しかし、実際に作ったものを見せたところ、周囲からは「どこにゴールがあるか分からないゲームなんか売れるわけがない」と猛反発を受けたという。宮本氏は「自分で見つけるのが楽しい」と信じていたが、周りはそれでは納得しなかったというわけだ。

  では、どうすれば周囲を納得させられるだろうか? そこで宮本氏が考えたのが、主人公リンクから「剣」を取り上げてしまうことだった。そのかわりスタート 地点に「どう見ても入れと言わんばかりのほら穴」を用意しておき、中に入るとおじいさんが剣をくれるようにした。こうすることで「成長するって嬉しいこと なんだ」ということをユーザーに伝えるとともに、「このゲームは自分で怪しいところを探していくゲームなんだ」という暗黙のルールを自然に理解してもらえ るようにした。こうして生まれた「ゼルダの伝説」は、日本のみならず海外でも大ヒットを記録し、以降、「マリオ」と「ゼルダ」は宮本氏の二枚看板として広 く認知されるようになっていく。

●失敗を恐れず、悩まないことが成功を生む

 上記「ゼルダ」もその一例だが、宮本氏は仕 事のうえで、周囲からたびたび大きな反発を受けたことがあったという。例えばファミコンの十字ボタンも、今では当たり前のように受け入れられているが、当 時アーケードゲームで遊んでいた人からは「スティックでないと遊べない」と猛反発があった。また、スーパーファミコンのころには、周囲では「ストリート ファイターII」のヒットを受けて「ボタンを増やしたい」という声があがったが、宮本氏はいずれも「そのうち慣れるよ」とあくまで楽天的だったという。

  また「ポケットモンスター」や「星のカービィ」を海外に展開する際、「北米のユーザーはキュートよりもクールなものを好むから」と、キャラクターデザイン の変更を迫られたこともあった。しかし、このときも宮本氏は「日本のユーザーが面白かったと言うものはきっと受ける。そのままでいこう」とゴーサインを出 した。もっと反発が大きかったのはWiiで、「あのときは海外で誰かと会うたびに、どうしてあんな名前にしたのか、気が狂ったのかと言われた」のだそう。 しかし上記のいずれも、今となってはみんな「慣れて」しまった。

「みんなが言う『こうじゃないとダメ』って意外といい加減なんです。深く 入り込んでる人ほど保守的になる。海外ではクールなキャラクターしか受けないのだったら、マリオはなぜ売れたのか。僕らの仕事はキャラクターを持ってくる ことではなくて、面白いゲームを作ること」(宮本氏)

 こうしたエピソードからも分かるように、宮本ならではの仕事のスタイルのひとつは 「悩まない」ということだろう。もちろん成功の裏には多くの失敗もあったが、それさえ宮本氏は「失敗しても次の糧になる。人生に無駄なし」とあっけらかん と答える。「チャレンジしていれば悩まない。そのうち慣れるようなことにまでこだわってたら、新しいことなんてできないですよ。目をつぶって一気に進むべ きところと、そうでないところは使い分けていかないとやっていけない」と宮本氏。反発を受けるのは、それだけ氏が新しいことにチャレンジしているからだと も言える。

●「今やれる最高のことだけを目指してきた」

 約1時間の講演の中で、個人的に印象に残ったのは、宮本氏の 「僕らは作品ではなく商品を作っている」という発言だった。ゲーム開発者にとって、主役はあくまでお客さんであり、ゲームそのものではない。宮本氏は普段 から、スタッフにも自分たちが作っているものを「作品」ではなく「商品」と呼ぶよう指示しているという。

 さらに宮本氏は次のように続ける。「僕らは常に、未来の理想に向けてではなく、今やれる最高のことだけを目指してきた。常にがむしゃらに、目先のことを追い続けてきただけなんです」(宮本氏)

  ユーザーから見れば「新しいもの」だったDSやWiiも、宮本氏にとっては「目先を追い続けてきた結果」でしかなかった。前や後ろに気を取られることな く、ただ目の前だけをまっすぐに追い続ける。楽天的と断じるのは簡単だが、実際にそれを実行し、結果を出せる人は決して多くないのではないだろうか。

「僕ももちろん、ひとつのことにひっかかって思考がループしてしまうことはありますよ。そんなときは泳ぎにいく。そうすると、泳いでるうちにしんどくて悩んでる余裕がなくなってくる。だからきっと明るいんでしょうね(笑)」(宮本氏)

  最後に宮本氏は「世界で一番売れる体重計を作って満足してしまったから(笑)」と笑いながら、「次はまた別の分野で、世界一売れる何かを作っていきたい」 と、今後の展望について少しだけコメント。宮本氏の新たな「商品」がどういったものになるのか、今後も楽しみに見守っていきたいところだ。【池谷勇人】


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