次の言葉を、親しい友人などに残しています。

「私の子ども時代の経験によって、戦争、暴力、飢餓の惨害をよく知っているので、
こうした問題になんらかの取り組みをしなければいけないと考えるのです」
戦争中、食料がないときは、オードリーは、チューリップの球根を食べて、
飢えをしのいだといわれています。
「政治のことはなにも知らないけれど、たいへんな子ども時代を過ごしてきた私は、
子供達の悲惨な状態を放置することができないから、こうした活動に携わっているのです」
「私は本当に辛く悲しい体験を沢山してきたけれど、いつもどこかで誰かが私に救いの手を
差し伸べてくれました。そして最後には多くの人たちに愛されて女優として豊かな人生を歩む
ことが出来ました。でもこれ以上女優を続けるつもりはありません。別のやりがいのあることが
したかったのです。もう十分に幸せです。私は、その幸せを少しでもお裾分けしたかっただけな
のです」
オードリーは、ユニセフ親善大使に就任した翌々年1989年の
映画『オールウェイズ』(ALWAYS)を最後に映画界から引退しました。
ユニセフ親善大使に就いたオードリーは、
熱情的に、エチオピア、トルコ、南アメリカ、中央アメリカ、スーダン、バングラデシュ、
ヴェトナム、ソマリアを巡って、飢えや病気に苦しむ多くの子供達の現状に接し、励まし、
各地の悲惨な状況を世界の人々に訴えました。
ソマリアでは、飢餓に苦しむ難民の救済にあたり、「聖オードリー」と呼ばれました。
オードリーは、これまでの俳優としての人生は、まさにユニセフのこの仕事をする
ためのものである、と語っています。
人を愛する心、「愛は与えるもの」という信念を最後まで貫き通しました。
ソマリア視察中、オードリーの身に異変が起こりました。激しい胃痛に襲われたのです。
しかし、オードリーはそのことを誰にも言わず、胃の痛みを我慢しながら仕事に励みました。
個人的な事情で、荒廃したアフリカの国々を訪問する任務が果たせなくなることを
恐れたのです。
ソマリアから帰国後も胃の痛みをおしながらヨーロッパを廻り、救済キャンペーンに参加。
1992年11月、あまりの体調不良に訪れた病院で消化器官の悪性腫瘍を知らされました。
その後、手術を受けましたが、手後れ。結腸ガンでした。
死がそこまで近づいていると悟った彼女はスイスに戻りたいと願い、
夫ウォルターズと長男ショーン、次男ルカに見守れながら、
1993年1月20日、志半ばにして永遠の眠りにつきました。
享年63歳、あまりにも早過ぎる死でした。
オードリーの遺作となった映画作品は、スティーヴン・スピルバーグ監督の
『オールウェイズ』、1989年の作品です。
オードリーは、スピルバーグ監督が愛してやまなかった女優です。
映画界からの引退を決めていたオードリーは、スピルバーグ監督の
たっての要請で出演を引き受けました。
オードリーの役柄は、なんと「天使」でした。まさに、ぴったりの役。
クレジット・タイトルの5番目に「特別出演オードリー・ヘプバーン」とあります。
天使の役としての特別出演です。
たったの2シーンだけの出演だったのですが、重要な役柄でした。
姿かたち物腰、類い無く美しい。まさに天使です。
オードリーはこの映画の4年後に他界しましたが、
その時、名女優エリザベス・テーラーがいみじくも弔辞で述べました。
「世界で最も美しい天使は、神様に召されました」と。

1987年 テレビ映画「おしゃれ泥棒2」に出演
ユニセフの要請でマカオの慈善コンサートに出席
1988年 ユニセフ親善大使となる。59歳
エチオピア、トルコ、南アメリカに視察旅行
1989年 ユニセフの視察旅行で中央アフリカ、スーダン、バングラディシュに行く
飢餓に関する米下院特別小委員会で証言
スピルバーグ監督の要請で映画「オールウェイズ」に、天使役で出演
1990年 ユニセフの慈善コンサートツアーに出演
1991年 ユニセフのため、米上院議会で証言
1992年 ユニセフの視察旅行でソマリアに行く
「ソマリアの窮状は危機的だが、援助は遅すぎるということはありません」
1993年 スイス・トロシュナ村の自宅で結腸癌のため逝去。享年63歳
人類愛に貢献した映画人に贈るアカデミー賞ジーン・ハーショルト友愛賞受賞
涙の中、息子ショーンが代理で賞を受け取る
オードリーの遺志は受け継がれました。
オードリーが亡くなった翌年、長男のショーンが、
映画企画、制作、ポストプロダクション等の仕事のかたわら、
母の遺志を継いで、「オードリー・ヘプバーン子供基金」を設立しました。
そして、現在でも子供を愛するがゆえの活動を精力的に行っています。
ブログネタ:夏フェスの思い出、予定語ろう!
☆★予定はないけど行ってみたーぃ☆★☆★☆★