ブログネタ:もし自分の子供が女の子だったら習わせたいものは?
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顔施
あるかたのBlogにたどり着きました。
今日、初詣に行く途中のカーラジオで「顔施」ということばに出会いました。
笑顔のお布施のことだそうです。
笑顔を差し出す…それがお布施とは、なんてステキ
それを聞いていた夫に「へ~。じゃあ☆☆はいつも顔施してるね」と言われ、
「そっだよ~」と答えました。自分で言っちゃうってすごいかしら?笑
人に「いつもニコニコしているね」といったことは、昔からよく言われたのですが、気にもとめず。
もともと、サービス業の家で育ったので「愛想よく」は自然のことでもあったのですよね。
それにその頃の笑顔は、まだ自分の中に気づかれていない「思い」がいっぱいあったので、
本心の笑顔ではなかったのだと思います。
何より一番身近な人には笑顔を向けなかったのですから本物ではないですよね
ずっと以前、閃いて意識的に笑顔を訓練したことがありました。
でも、作り笑いはちょっと違うなぁと途中で終了。
その後、大試練で全く笑えなかった時、夫を迎える時だけはせめて笑顔で…
という友人のアドバイスであちこちに鏡をおき笑顔のスタンバイをしたことがあります。
この作り笑顔は偉かったなぁと自画自賛ですが…。
いろいろな試みをして、おかしくもないのに無理して笑うのは不自然だし、
無理してまで笑う必要もないとも思っています。
それでも、笑顔はやっぱり好きです。
そして、今は本当に笑顔の自分を感じます。
絶対的な愛に触れると、笑みはふとこみ上げて、こぼれるものなのだと知りました。
絶対的な愛とは至福。至福は笑みをもたらすもののようです。
(赤ちゃんの浮かべる笑みって、それではないかと思います。)
絶対的な愛の笑みではなくても、自分のために笑顔でいるようになりました。
苦しさを感じた時でも笑顔でいられるようになったのは、
苦しい顔を自分に向けるのは、自分がかわいそうだなって感じるようになったからのこと。
苦しい顔しても笑顔でも、苦しさは同じ。同じなら笑顔がいいなって
苦しさは同じでも、苦しい顔と笑顔では展開していくドラマは違ったものになっていくもの。
笑う門には福来る…これは真実だと思います。
笑顔でいたいなら、まずは自分に笑顔を向けることからで、
自分に笑顔を向けただけ、人にも自然に笑顔を差し出せるものだと感じています。
よく「愛想よくしなさい」と聞かされたものですが、
「愛想」とは「愛の想い」の自然発生で、無理にするものでも出来るものでもないと思うのです。
「笑顔」も「愛想」も、まずは自分にそれを向けてあげることから
自分にいっぱい笑顔を向け、愛を感じたら、それが「顔施」になっていくように思います。
笑う門には福来たる
ステキな笑顔が世界にあふれますように