高齢の患者さんからのよくある質問に「睡眠薬を飲み続けるとボケるんですか」というのがある。その出所を訊くと、新聞、週刊誌、テレビ、友人、電位治療器の宣伝マン、などさまざまである。

 とりわけタチの悪いのが、週刊誌の「睡眠薬は認知症リスクを高める!」といった、いたずらに不安を煽るもので、記事を鵜呑みにして急に服用を止めてしまう患者さんもいて、治療上必要があって睡眠薬を処方する医師としては困ることがよくあります。

 先日、F子さんが、ある新聞記事の切り抜きを持ってきてくれました。しかし、ボケるという説の根拠はどこにも書かれていませんでした。もっとも、睡眠の専門書以外で、根拠をキチンと説明しているものを見かけることは滅多にありません。

 

 そこで、“認知症のリスクが高まる”という説の根拠は何なのかを調べてみました。以下は、“睡眠都市伝説を斬る・三島和夫著”からの抜粋です。

 

 『・・・例えば、フランスで行われた、あるコホート研究では、平均年齢78歳の地域住民1000人以上を対象にして、ベンゾジアゼピン受容体作動薬を服用している高齢者と、服用していない高齢者を、最長15年にわたり追跡した。

 ・・・調査の結果はと言うと、服用している高齢者の方が服用していない高齢者に比較して1.5倍、認知症にかかりやすいことが明らかになった。他にも同種のコホート研究が延べ5万人近くの高齢者を対象にして行われており、「認知症のリスクを高める」と結論づけた研究の大部分は似たような結果が得られている。

 ・・・日本人の実に5%以上が医療機関から処方されたベンゾジアゼピン受容体作動薬を定期服用しており、とりわけ認知症が気がかりな高齢者での服用率が高いため、心配になる人が続出するのは当然である。

 ・・・さてここで、フランスでの調査結果の「1.5倍」をもう少し細かく見てみよう。ベンゾジアゼピン受容体作動薬を服用している高齢者では、平均6年間服用して、その間に100人当たり4.8人が認知症を発症したのに対し、服用していない高齢者では同じ期間に100人当たり3.2人が認知症を発症した。その比をとって「1.5倍のリスク」というわけである。より正確には、服用群と非服用群との間には平均年齢、男女比、持病の有無、その他の服用薬剤などの違いがあるため、統計学的手法で調整をして上記の結論を得ている。

 ・・・さて、読者の皆さんはこの「6年間服用して100人当たり1.6人増える」「比率は1.5倍」という数値をどのように感じるだろうか。

 認知症を心配してセカンドオピニオンを求めて来院される患者さんにこのような説明をすると、「それでも怖い」と不安がる人よりも、「なんだ、その程度か」と安堵する人の方が多い。週刊誌の記事の中には「服用すると必ずボケる」といった論調も散見されるが、実際にはそうではないのである。しかも、「認知症のリスクを高めない」という結果を得たコホート研究も複数あり、今後の調査結果によっては「リスクなし」と結論づけられる可能性もある。

 睡眠薬を服用後に認知症を発症した高齢者の中には、服用後1~2年以内に発症するケースが多いという調査結果もある。もし睡眠薬が認知症の原因だとすればタバコのように「長期間にわたり暴露した人」の方が発症しやすいはずなのに、どうやらそうではない。このことは何を意味しているのだろうか?

 結論が出ているわけではないが、認知症を発症する高齢者では睡眠薬を必要とする不眠症状が先行して出現するのではないかと考える研究者もいる。実際、不眠症状がある高齢者は良眠している高齢者よりも(睡眠薬の服用とは別に)認知症にかかりやすいという調査結果が数多くある。つまり睡眠薬の服用が認知症の直接の原因なのではなく、発症の早期兆候だというのである。この疑問について回答を得るにはもう少し調査が必要だろう。

 さらに、ここ5年間ほどの研究によって、睡眠不足や不眠症そのものが認知症のリスクを高めるという強力な証拠が続々登場してきた(うつ病もしかり)。であれば、睡眠薬を怖がって不眠を我慢するのは賢い選択とは言えない。

 認知症を心配しなくてはならない世代の人が睡眠薬を服用する場合には、そもそも認知症の懸念が少しでもある薬を選択しない、そして仮にベンゾジアゼピン受容体作動薬が必要な時はできるだけ少量を使い、そして不眠が治ったら減量する。睡眠薬による認知症が心配な人でもこの程度の対処を行えば十分なのである。』

 

 以上の引用を読んで、このブログの読者はどのような感想を持つのでしょうか。おじいちゃん先生は、これまでの臨床経験と一致する部分がとても多いので、納得させられました。

 

(補足)

 現在使われている睡眠薬のうち、新しいタイプの睡眠薬、ロゼレム(2010年発売・メラトニン受容体作動薬)、ベルソムラ(2014年発売・オレキシン受容体拮抗薬)については、認知症のリスクは否定されていますが、現在最も多く使われている、ベンゾジアゼピン系(サイレース、レンドルミン、ハルシオンなど)と非ベンゾジアゼピン系(アモバン、マイスリー、ルネスタなど)では、認知症のリスクを高めるかどうかいまだにわかってはいません。

 

 ところで、新聞記事を持ってきてくれたF子さんの場合は?。

 

F子さん(86歳)初診日:平成17年7月、診断名:うつ病、不安障害

 ここ10年以上、うつ病の再発はなく、不安発作も起こすことなく経過。近くに息子夫婦が住んでいるものの、一人住まいで、衣食住も自立している。4年前からは、2か月に一回の通院になっている。

令和元年10月○日、(臨時の受診)

 「このあいだ、脳外科の若い先生に『あんた認知(症)が少しない?』と言われた。そのことが気になって、気になって、嫁に相談したら、『一人で新幹線に乗って旅行に行って来られるのだから、認知症なんてありっこない。そんなに心配するなら、○○先生のところに行って確かめてきたら』と言われたので来ました。前から心配になってたので、これも(新聞の切り抜き)持ってきました。私が飲んでいる睡眠薬もここに載っているので」と。

 <お嫁さんの言う通りですよ。脳外の先生が何を思って『認知(症)ない?』といったのか、私にはわかりません。でも、認知症を見つける力は、脳外の先生より私の方が上だと思うから、気づいたら私がお伝えしますよ。それより、身近に暮らしているお嫁さんや息子さんの方が先に気づくと思いますよ。お嫁さんとは、いつも一緒に買い物に行っているんでしょ>と。

 「この睡眠薬を(レンドルミン)、長く飲んでるせいでボケたんじゃないんですか?」

 <レンドルミンは20年近く飲んでるけど、ずっと頓服で、大きな心配事(死別反応など)が重なったときに使うだけだったでしょ。一昨年に10錠出したきりですよ。この量なら、全く問題ないですよ。あなたにとって大切な薬は、予防として飲んでいる、こっちのクスリですよ。こっちを飲んでるから眠れているし。元気に暮らせているんです>と伝えた。ちなみに、飲んでる薬は、[抗うつ薬:ルジオミール(10)1錠、抗不安薬:メイラックス(1)0.25錠]です。現在、私がお年寄りに処方している不眠時薬のほとんどは、マイスリー(5)0.5~1錠ですが、F子さんは、「慣れているので変えたくない」というので、変えないで処方しています。