「初心忘るべからず」という諺はとても有名なので、誰でも一度は聞いたことがあると思いますが、その本当の意味を知らない人がほとんどではないでしょうか。実際のところ、おじいちゃん先生も、“若者たちが初心者のころに抱いた、謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならない”という意味で、自分にはもう縁のない諺だと思っていました。ところがどっこい、本当の意味はそうではなかったんです。

 

 「初心忘るべからず」とは、600年以上前の室町時代に、能を大成した世阿弥の著書『花鏡(かきょう)』に出てくるフレーズで、その原文は

 

 この句、三箇条の口伝あり。

   是非の初心忘るべからず

   時々の初心忘るべからず

   老後の初心忘るべからず

 

 “初心”を、若い頃の初心、その時々の初心、老後の初心、の三つに分けていて、それぞれの年代に応じた(ライフサイクルに応じた)初心があると言ってるんですね。そこで、おじいちゃん先生は、“老後の初心”に注目。<おじいちゃん先生の、現在の初心は一体何なんだろう>と問うてみた。

 

 <老いとともに視力、聴力、体力などが衰え、頭の回転も鈍くなってきている。しかし、老年になったから初めて体験できることは色々あるはずだ。それに対して、常に創造的であり続けようと工夫することはとても楽しいことだ。創造的とはいっても、大げさなことを考えているわけではない。具体的には、ちょっと恥ずかしくて、人には言えないけれど。自分がこれまでできなかった“行為” (他人にたいして、自分に対して、世間に対して)ができるようになろう。コンピューターソフトに倣って、“行為”のバージョンアップをはかっていこう>ということです。以前ブログで紹介した、“四住期(しじゅうき)”という考え方も、今度は私の番だ、と強く意識しています。

 

 このブログの読者のほとんどは、“老後の初心忘るべからず”ではなく、“時々の初心忘るべからず”だと思いますが、「現在の自分の初心は何だろう」と一度考えてみてはいかがなものでしょうか。