T子さんは、昨日の面接を最後に、隣の市の精神科クリニックに転院していった。
彼女は、4年前に『トップランナーの気づきとは』で取り上げたT子さんで、私が模索している、手動瞑想認知療法において、最も成果を上げている患者さんの一人でした。
ところが、過去4年間においては、次々と難事に見舞われた。アルコール依存症の夫が、咽頭がんの手術で入退院を繰り返し、高齢の母親も認知症が進行。自分一人で2人の介護に従事(姉や妹の協力が得られない)。3年前には、自分自身も乳癌に罹患。手術後の抗がん剤治療による副作用が酷く、ホルモン療法によるホットフラッシュが加わって、心身ともに消耗がエスカレートしていった。
令和元年12月頃より、「やることがいっぱいあって忙しくて。診察を受けないでずっと薬だけで、すみません。でも、私には瞑想があるので大丈夫です。」と言って帰るようになった。<状況がこれだけ悪化しているのにもかかわらず、かつてのような、うつ状態にもならず、よくやってるなぁ。これが、手動瞑想が習慣化している成果なのだろうか>と思っていた。
しかしながら、1年くらい前から、受付のM子さんを捕まえて、自分と夫の主治医批判を延々と30分間くらいやり、なかなか帰ろうとしなくなった。
令和4年9月に久しぶりの面接をした時には、「生きていたくない。死にたい。私が癌の治療をやってるのは、治したいと思っているのではない。治療を放棄するのは、自殺することと同じ。自殺してもいいとはどこにも書いてないから。自殺するのが許されないから。夫も母も、私がやっていることを認めてくれないし、妹たちも協力してくれない。誰も分かってくれない。・・・今は瞑想が全くできない・・・>と、強迫、原理主義的思考、こだわり、完璧主義が復活していた。この時は、<瞑想は、心身のコンディションが良い時にやるもので、今みたいな満身創痍で、消耗しきった状態ではできないのが当たり前。止めた方がよい。休養することを優先して下さい>と伝えたものの、夫や母の介護を続けざるをえなかったし、ホルモン療法による副作用も酷かった(今も続いている)。
その後、転院先の病院との間でスッタモンダがあったので、12月から毎週通院してもらい、診療情報提供書を使って“2人症例検討会”をやり、十分に話し合った。そして、今日の最後の面接では、重大な発見があった。
T子さんの言う、「瞑想が全くできない」という意味は、「瞑想をやっても、いやな考えから離れることが出来ない。前は、瞑想を始めれば、周りのことはどうでもよくなり、いやなことを全て忘れることができたのに」ということだった。私と直接面接する機会がなくなり、独りよがりの瞑想を続けるうちに、いつの間にか、手動瞑想が、逃避(気そらし)の手段となってしまっていた。ヴィパッサナー(気づき)の要素がなくなり、サマタ的な一点集中に偏ってしまっていた。ここ2~3年、周辺状況が悪化する中で、瞑想が、気そらしの手段だけになっていた。そして、自分の心身の状態が悪化してからは、気そらしさえできなくなっていたということが、最後の面接の今日になって分かった。
<あなたの瞑想は、いつの間にか、“気づき”から気そらし中心に変わってしまっていたんだと思う。周りの音や雑念が気になって瞑想に集中できなくなったというけれど、それでいいんだよ。周りの音や雑念が気になったことに気づいて、手の位置確認(今ここ)に戻る。ただそれを忍耐強く繰り返す、というのがヴィパッサナー瞑想で、気持ち良くなるどころか、面倒くさくなったり、止めたくなったり、自分では効果の実感がまったくないのが普通。それに、あなたの今の気力、体力では、瞑想ができなくて当たり前だし、むしろやめた方がいいよ。
以前あなたは、面接の中で、「自分の不満や怒りなど、誰にも言わないでいたから、うつになった。今は、母にも夫にも言いたいことを言うようにして、吐き出している。やらされ感は、自分が白黒思考だからと思う。右でも左でも、全てでもいいんだ。嫌だったらやらなきゃいい。私は、すべて(夫や母を)管理して、やっと落ち着いていたけれど、それで疲れてしまうのだと分かった・・・」と言っていたけれど、そういうのが本当の“気づき”で、私が期待している手動瞑想の効果なんだけどなあ。いやなことをすべて忘れる(気そらし)だけなら、草むしりや、編み物、掃除、テニスの壁打ちなど・・・わざわざ手動瞑想をやらなくたっていいんだけど。・・・あなたは、一点集中は得意だけど、注意の分散や転換は苦手でしょ。何なら、テレビを見ながら手動瞑想をやってみるといい(「そんなことは絶対できません」と)。・・・うちの他の患者さんに訊いてみると、『効果はわからない』と、ほとんどの人が言うよ。でも、私から見ると効果は十分に見えるのよ。例えば、上司の怒鳴り声が前ほど気にならなくなった。母親に小言を言われて腹が立っても、自分が怒っているのがその場で分かるのでスルー出来るようになった。・・・そんな形で効果が表れるから、こっちが訊かないかぎり、自分ではわからないことが多い。・・・私が期待しているのは、5分でも、10分でも、毎日忍耐強く、2年、3年と瞑想を続けていると、考え方や行動が変わってきて、悩みや苦しみが緩和することなんだよ。・・・>などと、延々と説明した。
黙って私の話を聴いていたT子さんは、「先生が瞑想をすることによって、私に期待してたことと、私は逆なことをやっていたんですね。」・・・「死ぬしかないとは、もう思っていません。夫や母や妹が分かってくれなくても、分かってくれる人が周りにたくさんいるのに、それに気づけなくて。他人に少しは頼ってみようと思います。」・・・「瞑想のやり方も考え直してみます。」といってくれた。
平成29年7月当時のT子さんは、ヴィパッサナー瞑想(手動瞑想)がちゃんとやれていたと思います。多くの気づきが見られ、私のクリニックのトップランナーであったことは間違いありません。ところが、過去4年間において、様々な難事に見舞われ、T子さんの瞑想のやり方がいつの間にか変わってしまっていたことに、私は気づけませんでした。瞑想が逃避の手段となってしまうのは、瞑想の副作用と言えるものです。呼吸瞑想に比べると手動瞑想は、そういう副作用を起こりにくくするために開発された瞑想法なので、私も油断していました。私の大きな失敗であったと反省しています。最後の面接で、そのことを、T子さんに伝えることが出来たことは幸運でした。T子さんの手動瞑想のやり方が、気そらしによる逃避の手段ではなく、かつてのような、ヴィパッサナー瞑想に戻ることを大いに期待して、<長い間ありがとう、元気でね>と、敢えて明るい笑顔で送り出しました。
*ヴィパッサナー瞑想がちゃんとやれていた頃のT子さんの様子は、以下の過去ログを参照ください。
