A子さん、29歳。うちの患者さんの中では最も若い。21歳の時に、私のクリニックを初診。診断名は“複雑性PTSD”。WHO(世界保健機関)のICD-11(最新の診断分類)において、2022年1月1日から正式に使うことが出来るようになった、真新しい診断名です。おじいちゃん先生も、8年前は聞いたこともない病名でした。ICD-11において、一般のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と区別されたのが、2018年ですから、知らなくて当然と言えます。

 A子さん、初診時の主訴は、「仕事で緊張して、手汗がひどく、包装紙をビチャビチャにしてしまうので、先輩に叱られ、困っています」でした。当初は、社交不安障害(対人恐怖)として治療を始めたのですが、ところがどっこい、次々と多彩な症状を持っていることが分かってきて、この8年間、試行錯誤、悪戦苦闘で治療にあたってきました。その詳細については、別の機会に報告したいと思います。

 

 A子さんは来年3月、隣の市の公営住宅に引っ越すことが決まっているので、私のクリニックの閉院にも合わせて、1か月前から転院先を探しています。新患予約を電話で取ろうとするのですが、なかなか決まりません。決まらない理由は、本人の側にも、相手のクリニックの側にもあります。

 

 令和4年11月7日(月)、A子さんとの面接の一部です。

 

「・・・10件以上電話したけど、ひどいところばかりで、まだ決まりません。一件は、病名を言っただけで、『うちでは診れません。大きな病院に行ってください』と言われた。別のところは、『うちのクリニックは、診察時間が5分です』といわれ、問題外なので、こっちが断りました。別のところは、受付の応対がひどくて、おばちゃんみたいな人が、つっけんどんで、『予約は来年になります』と言われたのでやめました。・・・他もいろいろあったけど、よく覚えていません。今のところは、まだどこも予約を取ってません・・・」と。

 

 A子さんは、毎週月曜日の12:30の予約で受診しています。“複雑性PTSD”の特徴の一つに、慢性的な日内リズムの障害、があります(CBTとして、12年間、睡眠記録表をつけてもらっている)。そのせいで、昼過ぎても起きられないことがあり、2回に1回はスッポかされるので、午前の診療の最後に回しています。来なければ来ないでも構わない、という体制でした。そして、来院すれば診察時間は長く、1時間を超え、昼休みを返上せざるを得ないこともあります。

 

<・・・あなたね、私のクリニックのようなところは他にはないからね。他のクリニックの診察時間は、5~10分が普通だし、15分だったら長いと思わなきゃ。たまたま、このクリニックが“黄昏クリニック”(医師が高齢化していて、閉院が近い)だから、運が良かっただけで、特別扱いされてたんだよ。10年前は、私も一人15分でやってたし、予約もぎっしり詰まってたよ。あなたの病気は治療が難しくて、医者は薬だけ出して、精神療法は心理カウンセラーに任せるところも多いと思うよ。他にも特別な治療法があるけど、どれも特殊なもので、お金がかかる(全額自己負担)から、あなたには無理だしね。それに、あなたのようなケースを診た経験のある精神科医は少ないと思うよ。私は、28年間で2人かなぁ。私は、“複雑性PTSD”の専門家ではないから、いろいろ調べて工夫して、ずいぶん勉強させられたよ。治療経験のない患者さんを診るのは、医師も不安なのよ。それに、あなたのようなタイプは、OD(大量服薬)やリストカット(自傷行為)が多いから、医者も嫌なんだよ。幸い、あなたはそれが一度もなかったので、私は助かったけどね。診療情報提供書に、そのことを付け加えとかなきゃね。次にあなたの主治医になる先生が、余分な不安なく診療できるように・・・>と。

 

「わかってましたよ、先生。私が、ずっとぬるま湯に浸かってた、ということですね。それを卒業しなきゃいけないんですね。・・・あれ?・・・私はどこかのクリニック、予約してるかもしれません。まったく記憶にないけど・・・○○さんとラインでやり取りしてるので、見てみます。何か書いてあるかもしれません・・・ありました。□□クリニック、11月□日。△△メンタルクリニック、11月△日。と書いてあります。まったく記憶にないんですけどね。○○さんが、付き添ってくれることになってます・・・やっぱり、ぬるま湯に浸かっていたいということなんでしょうね」と。

 

 A子さんは、頭が良くて、物事を論理的に考えることが出来ます。私が説明することを、ちゃんと吸収して、理解してくれます。また、子供の頃から本をよく読んでいるので、語彙が豊富で、自分の内面を的確に表現します。そのせいで、私がその気になり(治療意欲を掻き立てられ)、診察時間が長くなるのかもしれません。

 クリニックを予約した記憶が飛んでいるのは、“解離性健忘”というもので、転医することの不安が相当強いものであるということがうかがわれます。A子さんもそれは分かっているので、「やっぱり、ぬるま湯に浸かっていたい、ということなんでしょうね」と、表現しています。

 *解離性健忘:強いストレスとなった、過去の出来事や感情などの一部や全てを忘れ、思い出そうとしても、思い出せなくなってしまうこと。

 

 A子さんに限らず、多くの患者さんが、「寂しくなりますね、ここに来るのが楽しみだったのに」「あと、2~3年は続けてくださいよ」「やめるの、撤回しませんか」「ひょっとしたら、気が変わって、どこかでまたやるということはありませんか」「せめて、ブログかYouTubeをやってくださいよ」などと、別れを惜しんでくれるのは、とてもありがたい話です。でも、そう言う患者さんたちも、一刻も早く、ぬるま湯を脱出して、クリニックでのやり取りを、懐かしく思い出してくれることを期待しています。そうなるために、“診療情報提供書”(お宝)がお役に立ってくれれば、と思っているんです。