「実は、母のことで、お伺いしたいことがあります・・・」と相談を受けたのは、平成27年○月、が最初でした。

 「母のところには、2週に1回はいくようにしているのですが、何かにつけて、私の家族のことに口出しして来て、メールが鳴ると、いやだなと思ってしまう。気に食わないことがあると、こちらから電話しても、電話に出なくなる。そういう時は、様子を見に行くべきでしょうか・・・」でした。

 

 その後も、度々、「もう一つ、お伺いしたいことあって、じつは、母のことで・・・」は、続きました。その時のやり取りを、いくつか拾ってみると、

 

「母に、娘のことをわかってもらおうと思って話をすると、私のところに(娘から)メールさせなさい、というけど、娘は嫌がってるので、・・・こっちの事情を、どう説明したらいいのかわからない」と。

<娘さんの病気のことを、お母さんが理解することは無理。無理なものは、あきらめたほうがいい。噓も方便。メールは医者にとめられているので、とかなんとか、言っておけばいいんです>と。

 

「息子が婚約をしたことと、結婚式も披露宴もやらない、と言ってることを電話で伝えたら、私を呼びつけて、私は許さない、と言われた。」

<孫の結婚式に、口出しすることは、普通はやらないでしょ。普通は、おめでとう、でしょ。お母さんの見解としては聞くけれど、私の息子だから、私のやり方でやります、と言えばいいんです。・・・お母さんに、何と言われても、翻訳すると、『私の思い通りにやりなさい』ということだから>と。

 

「正月に3人(夫と娘)で母のところに行った。2~3時間いたけど、母が一人でしゃべりまくるのを見て、これは異常だね、と夫も言ってた」と。

「母とランチしてて、喧嘩しました。息子の状況を話したら、あんたたち夫婦はダメだ・・・私の主人のことを悪く言うし、息子の育て方が悪いと言い出すし、常にダメ出しするので・・・どこまで私を侮辱するのかと、腹が立って、腹が立って・・・」と。

「メールで、『私は静かに暮らしているので、心配なく』と言ってきた。・・・心配なく、と言われると、そんなに怒っているのだろうか、と私は心配してしまうので・・・」と。

<親だから、安否確認に行くのはいいけど、何か否定されることがあっても、関わらないで、放っておけばよい。具体的な用事を頼まれれば、それだけをしてあげればよい>と。

<心配なく、というのは、心配しなさいという、反対のメッセージを送っているんです。お母さんは、意識的にそれをやっているのではないけれど。・・・現に、あなたは、心配になってるでしょ>と。

 

 このようなやり取りを続けているうちに、Y子さんの発言も、少しづつ変わってきました。

 

 「母の所に行くのも、2週間に1回と決めた。母からもらったもので、これを見たら嫌だと思うものは、他人にあげるか、処分するようにしました。母のことを、一人の人間としてみるようになったのかもしれません」と。

 「母とは、2か月、会っていない。娘と私の関係と、母親と私の関係が類似していることに気づいた。自分が未だに母に、認められよう、褒められようとして、いろいろやっていた。それに気づいたら、母の言うことが、それほど気にならなくなった」と。

 「最近、分かったことだけど、自分は、家族じゃない多くの人に助けられている。娘のことも、母のことも、やりすぎてた。自分で自分にプレッシャーをかけてた。自分が、家族をコントロールしなくちゃいけない、と思ってたのかもしれない。母のことも、娘のことも、ほどほどでいいんだ。・・・最近、新しいものを見つけまして。自分のことをやろうと思って、誰にも言わないけど、昔から興味のあった、四柱推命の占いを、またやり始めましたた。・・・」と。

 

 Y子さん本人も気づいているように、お母さんへの対応の仕方を変えたことが、娘さんへの対応の変化とつながっていて、その結果、『動揺しない、焦らない、もがかない』でいられるようにもなっている、ということです。

 

 以上、ダラダラと4回にわたって、『動揺しない、焦らない、もがかない』が実践できるようになるための、Y子さんの“6年間の具体的な工夫や努力”が何だったのかを振り返ってみました。Y子さんが、私が何を言いたいのか(複雑すぎて)理解できず、面食らったような表情をしていたのも、無理のない話でした。

 

(補足)

 さて、今回のブログを読んで、『Y子さんのお母さんは、典型的な“毒親”じゃない』と思われた方がいると思います。近年の“毒親ブーム”は相当な広がりを見せていて、私が診ている患者さんの中にも、「私の母親は、毒親だと思います。この本を読んでそう思いました。先生も、この本、読んでみてください」と言って、“毒親本”を置いて行かれた方がいます。私は、患者さんに“毒親論”を持ち出された時、それに便乗することはなるべく避けて、毒親対策として、具体的に何をすればいいかについて、認知行動療法的対応や、仏教的見方などを提案することにしています。

 “毒親”という言葉の創始者である、フォワードさんは言ってます、『この世に完全な親などというものは存在しない。時には大声を張り上げてしまうこともある。時には子供をコントロールし過ぎることもある。怒ってお尻を叩くこともあるかもしれない。・・・そういう親も、“普通である”』と。

 

 かつてY子さんが、面接の中で、毒親論を持ち出された時、

 

 <お母さんの、あなたに対する呪縛の正体を、知識として知るのは良いことですが、知ったからといって、お母さんに何を言われても、感情的に反応しないで、放っておけるようになれるかどうかは別問題です。そうなれるための訓練の一つが、コレ(手動瞑想)なんです。効果はあまり期待しないで、コレを習慣化していけば、ある日、お母さんのことが前ほど気にならなくなってる(気にしないではなく)、と気づくかもしれませんよ>、というアドバイスをしました。

 母親の呪縛の正体を知識として学んだとしても、その呪縛から逃れることは容易なことではありません。「頭では、分かっちゃいるけど止められない」というのが、多くの人の実感でしょう。手動瞑想認知療法はその手助けになってくれるんです。

 ちなみに、Y子さんは、手動瞑想は継続できています(習慣化までは、今一歩ですが)。