Kさんが亡くなった、という電話を受けたのは2か月前のことでしたが、先日、奥様がわざわざ挨拶に来て下さいました。
「8月14日に主人はなくなりました。8月13日にかかりつけの○○診療所で点滴をうってもらい、午後にケアマネさんが来たときには、いつも通り、ジョークを飛ばしていました。8月14日夜9時に水を飲ませて、30分後に様子を見に行ったときには、脈がなかったので、救急車を呼んで病院に行き、心臓マッサージを受けましたが戻りませんでした。私が最初に見つけた時には、眠っているようで、苦しんだ様子は全くありませんでした。虚血性心不全という診断をもらいました。主人らしい、いい死に方だと思います。主人の部屋を整理したら、遺書ではないけれど、いろいろな人あてに書き残したものがいっぱい出てきて、先生のこともたくさん書いてあって、先生はこう言っていたとか、お礼の言葉もたくさんありました。ほんとうに長い間ありがとうございました。・・・」と。
Oさん(85歳)初診日:平成13年6月、診断名:双極性障害、心気症
「子供の頃は、どもりで、人前では話もできないタイプだった」が、自ら克服し、○○大学法学部を卒業。農林水産物の貿易振興援助の仕事に就き大活躍。ニューヨークに4年、バンコクに3年、イスタンブールに3年、国内では岡山・岩手・に各2年など、各地を転々とし、60歳で定年退職。定年退職直後に2~3か月間、抑うつ的になったが自然に軽快。その後は、老人会の世話役やボランティア活動に従事していた。
平成13年5月、風邪をひいたのをきっかけに、「元気が出ない、だるい、いつも眠い」と感じて、「かかりつけ医に相談したらここを紹介された」という。
平成13年6月(67歳)初診時、はっきりとした病的な症状は確認できず。同伴した妻は、『主人はもともと、チョットした体の異変があると、すぐに病院を受診する。私から見ると、実は気が小さい。プライドが高く、わがまま』と。とりあえず、不安神経症的な徴候に対して、ドグマチール(50)1錠、メイラックス(1)0.5錠を処方。速やかに軽快。その後は元気に通院。平成18年5月までは、開口一番での、「おかげさまで元気にやってます」が続いた。しかしその間、メイラックスを中止すると、軽い不安発作や自律神経症状「手足が冷たい、ファーッとふらふらする」という訴えが出現するので、メイラックス(1)0.5錠のみを継続投与していた。ところが・・・、
平成18年5月(72歳)、「朝起きられず、気分が悪い。いくら寝ても眠い。食欲がなく味がわからない。やる気が起きない」と、顕著なうつ状態が出現。平成18年12月には、体重が50㎏にまで減った(10㎏減少)。この時点では、“老人性うつ病”と診断し、様々な抗うつ薬を投与したが改善はなく、平成19年1月から2か月間、□□病院に入院。様々な検査と多量の抗うつ薬投与を受けたあと退院。診断は、①うつ病、②初期認知症、③ライフステージの変化への受容困難、となっていて、『抗うつ薬物療法の効果は期待できない。老化に伴う認知行為能力の低下は避けられないので、それを進ませないような生活リハビリが必要・・・』と評価されて退院してきた。
退院後もうつ状態による、過眠、意欲低下、食欲不振は続いた。しかし、平成19年9月頃から、来院のたびごとに活動性が向上し、平成20年4月には完全復活(体重は63㎏まで回復)。認知症のチェックリストHSRでも30点満点。さらに、平成20年8月(74歳)になると「自分でもこれほどハイに感じたことはない」と軽躁状態が出現したため、診断が“双極性障害”に変更された。その後の3年間は、自分のうつ病体験を講演したり、老人会の会長を引き受けたり、不道徳な若者を道で見かけると注意したり、やや怒りっぽかったりもしたが、本人は快適な日々を送っていた。ところが・・・
平成24年10月(78歳)頃より、再び、“うつ状態”が出現。過眠、意欲低下、物忘れの悪化、48㎏までの体重減少。これに対して、気分安定薬、抗うつ薬、非定型抗精神病薬と、ありとあらゆる薬物療法を試みるも改善はなかった。平成25年11月から1ヶ月間、□□病院に2回目の入院。様々な検査と多量の非定型抗精神病薬の投与を受けたあと退院。診断は、①双極性障害、②軽度認知機能障害、となっていて、『前回の平成19年に比べて、MRI、SPECTにおいて、慢性虚血性変化が進行していて、今回のエピソードは気分障害の所見というより、軽度認知機能障害の影響が大きいと思われる』と評価されて退院してきた。妻は、『入院前とほとんど変わらないし、物忘れがひどくなって、認知症もさらに進んだように思う』と。本人が嫌がるのを説得して、認知症老人のデイサービスに通うようにした。そうこうするうちに、平成26年3月頃より、徐々に口数が多くなり始め、平成26年6月には、「デイサービスが楽しくなってきた。朝のお茶の味がわかるようになった」といい、(この時点で、うつ状態を脱出したと判断)。平成26年11月になると、しだいにテンションが上がり始め、この時点で、漸減していた精神科に関する薬をすべて中止。平成27年2月になると、「新聞を隅から隅まで読んで、面白くてしょうがない」といい、平成27年6月には、「自分の葬式が盛大にやれれば、人生成功だったと思ってる」といい、デイサービスでは職員の代わりをやり、物忘れも年齢相応にまで回復した(回復したということは、認知症ではなく、仮性痴呆だったということになる)。体重も増え続け60㎏を回復。平成27年11月になると、「僕が元気になると、うるさく言うので家内に怒られてばかりいる。デイサービスでも、良くしゃべるわねといわれる。新聞社に記事を投稿した」と、軽躁状態を思わせるくらいにまでなった。それ以降は順調に経過し、月一回の通院を継続していました。ところが・・・、
平成31年2月になって、体の不調を訴えることが多くなり、
平成元年6月、この日、Kさんにどういう意図があったのか、今となっては分かりませんが、“天国に招かれ、向かうための決意を表明”と題した一文を、私に読んでくれといって持ってきた。その内容は、『健康の回復感が遠のくにつれ、死(天国)の予感が近づいてきた。現世の事柄は卒業とし、天に招かれる準備に専念せよ!優先せよ!集中せよ!・・・もう死んでもいい!そう思うと気楽になって、怖いものなし!である。・・・あの世には、もう多くの友人、知人がいる。気の合う友人を選んで、楽しく交友できる天国だ!あの世に生きるのだ!・・・』と。その後、7月に入ってから、体重が急に減り始め、6年ぶり3回目のうつ状態に入っていくことを、私は覚悟しました。
令和元年8月5日、この日がKさんを診察した最後の日になりました。奥様とケアマネジャーが同伴。抑うつ傾向と体重減少がさらに進行。この日のKさんは、「何かふらふらするし、体重も減って(51㎏)食欲もないので、入院でもした方がいいのでしょうか。先生には、藁をもすがりたい気持ちで、どうしたらいいか訊きたかった」といわれましたが、<デイサービスで川柳の発表ができるくらいなら、それほど重いうつ状態とは言えません。6年前、□□病院に入院しても、うつは良くはならなかったし、かえって体力が衰えて、後のリハビリが大変だったでしょう。今までどおりデイサービスに通って、奥さんの世話を受けて、自然に回復するのを待つのが良いと思いますよ>と伝えると。「わかりました。先生の言うとおりにします」といったやり取りがありました。ところが・・・、
(まとめ)
平成18年5月、72歳にして明らかなうつ状態が初めて出現し、“老人性うつ病”という診断が初めてついた。そして2年後、平成20年8月、74歳にして明らかな軽躁状態が出現し、“双極性障害”と診断が変更された。その時、これまでに軽躁状態がなかったか?と何度も確認したところ、「自分で、躁状態だと思ったことはなかったけれど、海外で仕事をしていた頃、周りの友人に、おまえはオリンピックみたいに4年周期で落ち込む、と言われたことがある。1~2か月で抜けていたと思いますが、それが軽いうつだったんですかね?」と振り返った。その後、72歳~85歳にかけて、約6年周期(4年周期ではなかった)の明らかな、うつ状態と軽躁状態の波が出現したのです。
Kさんのうつ状態(双極性障害)に対して、薬物療法は全く無効でした。日常生活のQOLが低下しないように気を付けて、じっと待つしかありませんでした(約1年間)。入院先の主治医や妻は、認知症になってしまったのではないかと疑った。しかしながら、おじいちゃん先生には、かつて、双極性障害のMさんが、うつ状態から脱出するのを5年待ったという経験もあったので、<この物忘れは認知症ではなくて、仮性痴呆というやつですよ。そのうちに持ち上がってきますよ>と言い続けることが出来ました。85歳にして訪れた、今回で3回目の“うつ状態”に対しても、QOLが低下しないように1年間待つ、という覚悟はできていました。しかしながら、「死ぬときは、ピンピンコロリといきたい」と、常々言ってたKさんには、1年間も待つつもりはなかったのかもしれません。妻の手を煩わすこともなく、まさに思い通りの死に方だったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
(補足)“仮性痴呆”について
老人のうつ状態にみられる記憶障害(物忘れなど)は、あたかも認知症になってしまったかのように見えます。認知症であれば、その記憶障害が元に戻ることはありませんが、うつ病や双極性障害によるうつ状態は、クスリや自然寛解によって病状が回復すれば、その記憶障害はなくなり、元に戻ります。