今回は、私のクリニックに20年余り通院している、Hさんの“ADHD傾向”にまつわるお話です。

 

Hさん(女性・77歳)、診断名:不安障害、ADHD傾向

(初診までの経緯)

 平成10年10月(当時57歳)、電車を降りた時、「目の前が暗くなるような、自分が電車に持っていかれるような感覚があった」。帰宅後も、「まっすぐ歩けないような感じが強くて、ガタガタ震えがきて、血圧を測ると180/100あったので、救急病院を受診したけれど異常はなかった」。しかし、それ以降も「外出するのが怖くなって、ソロリソロリ歩く毎日が続いている。友人に相談したら、このクリニックがいいよと勧められたので、受診してみようと思った」という。

 

(病状経過)

 平成10年11月、初診時、「朝のうちがだるくて、夕方にはましになる」「旅行に行くまでが不安で、その日が来てしまった方が楽」「ちょっとした心配があると、血圧が上がる」「電車に乗るのも今は怖い」という主訴。軽いうつ状態を伴った、不安障害と診断。ドグマチール(50)2錠、メイラックス(1)1錠、を処方することで速やかに軽快。その後、気候の変動、過労、心理的ストレスなどを誘因として血圧が上昇すること以外は問題なく、平成13年12月からは、ジェイゾロフト(25)1錠、メイラックス(1)0.5~1錠、の処方で安定し、現在に至る。

 

(ADHD傾向にまつわる話)

 Hさんは、初診当初より、「出がけに電話がかかってきたので、遅れてしまいました」「忙しかったので、予約をすっかり忘れていて、昨日まで気が付かなくて、すみませんでした」などと、遅刻やスッポカシがあって、ADHD傾向のある患者さんなんだろうと、通院当初より気づいてはいました。その後の診察での、H子さんとの会話を拾ってみると、

                                                        平成20年4月、「日中、人と交わした会話が、そのまま頭の中に浮かんで、グルグル回る。若い頃からあって、それで寝付けない。時々人の声が聞こえて(1~2か月に1回)、玄関に出てみたら誰もいないということがある」。

 平成21年12月、「何かやってる時に、昨日誰かとやった会話が浮かんできちゃう。頭の中が動いている感じ」。

 平成22年2月、「通夜の時、喪服の上着を着ないで行ってしまい、コートを脱いで初めて気が付いて、恥ずかしい思いをした」。

 平成25年9月、「最近物忘れがひどくて、鍵をかけ忘れたり、免許証を落としたり、娘と電話で話したたことをすっかり忘れていたり、認知症でしょうか。どこかで検査を受けた方がいいでしょうか」という訴えに対し、

<認知症の物忘れは、記銘力の低下といって、忘れるのではなく、記憶として頭に入っていないんです。相手に言われて、そのことを思い出せれば、認知症ではありません。Hさんは、相手の話を聴いているつもりで、別のことを考えてしまっていたり、注意がそこから離れてしまったり、考え事をしながら作業をしたりするのではないか。Hさんのそのような傾向は、今に始まったことではなく、もともとあったんだと思いますよ。何か思い当たることありませんか。子供の頃はどうでしたか>と訊いてみると。

「たしかに、会社勤めしていたころにも、そういうことが時々あったかもしれません。子供の頃から朝起きるのが苦手でした。成績は良かったけれど、答案の名前の書き忘れや、ケアレスミスが多かったかもしれません」と。

 平成27年11月、3週間薬を中断したところ、「日常的なことが出来ないくらい、いろいろなことが浮かんできて、それをしないと、それが頭から消えないので、あわてて薬を飲みました」と。<ADHD傾向に、薬が効いていたのかもしれません>と。

 平成28年8月、孫もADHDだと言われている。「娘が心理の勉強をして、私との確執を問題視して、いろいろ言われたくない、放っておいてほしいようなことを言ってきた。・・・『お母さんは鈍感で、受験勉強のことしか言わなかった』と。・・・私は仕事におわれて、子供を振り返られなかった。娘はしっかりやっていると思ってたけど・・・」と。

 

 ここ1~2年は、国内旅行に出かける余裕も出てきて、2か月に1回クスリだけを取りに来ていた。また、娘さんのことが話題になることはなかったのですが、

 

 令和元年10月、久しぶりに診察。「血圧がたまに上がる。書道展で忙しかったくらいで、大きなことはなかったけれど、一つ悩みがあって。孫だけでなく、娘もADHDだった。最近、娘は口もきいてくれなくなっていて、状況がわからないので心配です。・・・メールでは、お母さんと話はしないけど、カウンセリングなら受けてもいいよ、といってる。私は、娘が子供の頃、仕事でほったらかしにして、娘の悩みに気づいてあげられなかった。朝出がけに何か言われても、聴いてあげることができなかった。私自身も、子供のころから朝起きるのが苦手で、仕事をしていた時は、朝が起きられなくて、パンを口にくわえて、いつも走っていた」と悲しげな表情で語った。

 

 Hさんは、結婚後数年で、アルコール依存症の夫と離婚。働きながら娘と息子を育てた。娘の夫が転勤族だったため、転勤のたびに引越しの手伝いに行き、出産(3度)のたびに手伝いに行き、孫が夏休みになるといつも手伝いに行った。過労がたたって、壊死性血管炎(免疫力の低下から来る)を何度も再発した。最近になって、やっと静かな老後を過ごすことが出来るのではないかと、Hさんの主治医として期待していたのですが。

 

<それなら一つ提案があります。娘さんがそう言ってるのなら、「カウンセリングを受けたい」とメールして、様子を見てきたらどうでしょう。カウンセリング料金として、小遣いをあげてきたら。ただし、娘さんに何を言われても、「そうだったのね」と返して、自分の意見(見解)は絶対に言わないようにしてください。そして次回の診察の時、その内容を私に聞かせてください>と伝えたところ、

「わかりました。それがいいです。そうしてみます」といって診察室を出ていった。

 

(まとめ)

 Hさんは、多動傾向の影響もあってか、人に何かを頼まれたら、後先を考えないで何でも引き受けてしまい、自分の極度の疲労(精神的にも肉体的にも)に気づけず、壊死性血管炎を何度か再発するということがあった。もっとも、不安障害の経過は順調で、この20年間、社会生活においてQOL(生活の質)が低下することはなかった。

 これまで、HさんのADHD傾向に対して、時々そのことについて示唆することはあっても、本人がさほど困っていないのであれば、あえて深入りすることもあるまいと思っていました。ところが、意外なところで(娘さん絡みで)その問題が浮かび上がってきたようです。今後、場合によっては、そこに深入りせざるを得ない状況になってきているのかもしれません。