前回の続きです。私のクリニックに通院し始めて間もないころの、Kさんと私のやり取りをしばらく書きます。Kさんの生き辛さが随所にうかがわれます。

 

平成22年5月、予約の時間を5分過ぎたところでKさんから電話が入った。

「数日前から下痢をして、仕事も休んでおります。外出したら漏れたので、外には出ておりません。朝、正露丸を飲んで少し治まっているのですが、どういたしましょう?」と。

<下痢止めと、1週間分の薬を処方するので取りに来てください>と伝えた。

「30分くらいでお伺いできると思います」といったが、来院したのは2時間後だった。

<もうすぐ薬局が閉まってしまうので、すぐに薬をもらいに行ってください。来週の火曜日に予約を入れておきますから>と伝えた。

 

平成22年5月、1週間後、予約時刻から30分遅れで来院。受付から診察室に入るまで、動作はゆっくりとしていて、椅子に腰かけるまで相当時間がかかる。気が短い、おじいちゃん先生は、わかっちゃいるけど、じれてしまう。

「・・・かなり悪くて、半分しか出勤できなかった。とりあえず、誰の話も声も聴きたくなかった。昨日、無呼吸(症候群)の医者の所に行ってきた。ぞんざいな言い方で、毎日血圧を測れといわれた。・・・会社では、休むといろいろつつかれて、全員に行って詫びてこいといわれた。・・・・・」と話し出したら、その時の怒りを思い出して、自分でも止められなくなったようでした。

<ちょっと、私の方からお話ししてもいいですか?初診の時にお話ししたと思いますが、今日は、Kさんの病気の説明をしたいと思いますが、よろしいでしょうか>と前置きしてから、<Kさんは、14年前にうつ病と診断され、治療を受けてこられましたが、△△先生の紹介状には、アスペルガー症候群の疑いもある、と書いてあります。実は、私もそうではないか思います。現在、うつ状態であることは間違いないのですが、もう一つ、Kさんにはアスペルガー症候群的な傾向があるために、日常生活や職場でのストレスを抱えやすく、二次的にうつ病になってしまったと考えられます。そこで、これまで通りのうつ病治療を続けながらも、アスペルガー症候群傾向の改善のための工夫を、私と一緒にしていく必要があるのではないかと思います。できればKさんも、アスペルガー症候群がどんなものか、何冊か本を読んでみるのもいいかもしれません>と切り出したところ、

「そんな話は一度も聞いたことはありません。親切なご指摘ありがとうございます。私自身でも調べてみたいと思います」と答えて、しばらくの間(私には相当長い時間に感じられた)、手帳にメモを取っていた。

 

平成22年7月、予約の時刻を40分くらい過ぎたところで、Kさんより電話が入る。「これから家を出ます」と言って電話が切れた。来院したのは約1時間後だった。

「昨日今日と休んでます。何しろこの暑さですからね。先週から割り当てられた仕事が理不尽なもので、私に対するいじめだと思います。上司が急に、『一緒に部屋の片づけをしよう。これから毎日1時間やる』と言って、地下の冷房のない書庫に閉じ込められた。暑さに耐えられなくて、熱中症気味になった。もともと私は、夏に体調が不安定になりやすい。発症したのも夏でしたし」と。さらに、「暑さで寝不足です。夜間クーラーをつけると、その音が周りの人にうるさいと非難され、怒られるのが怖いから、つけていない。自分が出すテレビの音も、隣にうるさいと思われるのが怖いから、ヘッドホンで聞いている」と、夏バテ気味の表情で訴えた。

<Kさんは、隣りのクーラーの音がうるさいと感じたら、怒鳴り込んでいきますか。夏にクーラーをつけるのは、お互い様です。クーラーの室外機の音は、一般的にはそれほど気にしていないものです。今日からはクーラーをつけて寝てください。睡眠薬よりクーラーのほうが、あなたの不眠には効きます。それから、大きな音でなければ、ヘッドホンまでしなくてもいいと私は思います。あなたは、いろいろな音に敏感なところがあるので、周りの人も自分と同じように音を気にしていると思っていますが、周りの人はあなたほど音に敏感ではないので、それほど気にしていないと私は思います。それから、書庫の片づけをしていた時、Kさんはどんな格好で作業したのですか>と訊くと、

「いつもの、この格好です(ワイシャツ、ネクタイ、スーツ)」と。<その、首に巻いている、タオルは?>、「これは、職場ではしていません」と。<一緒に片づけをした上司の方は、どんな格好でしたか?>、「上着も、シャツも脱いでいました」と。<それなら、明日からの片づけの時は、Tシャツに着替えて、そのタオルを首に巻いて、何なら、水筒に氷水でも入れて持って行ったらどうでしょう。暑さ対策は自分でやらないとね。心配なら、前もって上司に許可を取っておくといいかもしれません>、「それは、良いことを教えて頂きました。明日から、そうしてみようと思います」と。<今日のお話を聴いていて、Kさんの対人関係や生活の仕方には、とてもぎこちないところがあるように思います。そのぎこちなさが、いろいろな誤解を生み、おたがいのストレスをも生じさせていると私は思います>と。

 

 このようなやり取りの後、認知行動療法について、説明をしたところ、とても関心を示してくれました。もちろん、しっかりとメモを取っていました。

 

平成22年8月、この日はお盆休みの期間で、仕事も休み、予約時刻にも間に合った。

「寝るときにクーラーをつけているので、たいへん眠りやすくなっております。・・・片づけの仕事は、とりあえずなくなった。出勤したとき、『よく耐えた』とほめられた。どうも私は、まわりの音(生活雑音)に、自分が腹が立っているというのが分かった」と。

「健康診断で、脂肪肝とメタボリック(シンドローム)を指摘されて、内科に通うようになりました。食事療法と運動を勧められました・・・」と。

 

平成22年9月、

「まるまる2週間休みました。有休も使い果たした。おかげで休息が取れて、食欲が出てきました。日中の暑いときは、息を吸ってるだけでした。うつ病のネットワークで、打ち解けてリラックスし、吐き出すようになって少し楽。今日の午後から出勤してみたら、休んでいたせいか、仕事も疲れずにやれた。悪い方に考えることが少なくなった。産業医との話し合いで、さらに3か月間、半日勤務でやることになりました。この3か月間は、休んでばかりで、失われた3か月でした」と。

 

(当院への通院開始 5か月後時点での、私の感想)

 Kさんが、仕事上の対人関係において大きなストレスを抱えて消耗しているのは事実ですが、それ以上に彼を消耗させているのは、一人暮らしでの衣食住を成り立たせるための日常生活であるということです。日常生活の中で消耗してしまっていて、働くエネルギーが残っていないということです。そしてそのことに全く気付いていないのです。

 ADHDやASD(自閉症スペクトラム障害)傾向のある人は、家事一般(料理や洗濯など)が苦手です。『料理書には15分でできると書いてあるのに、気がついたら2時間以上かかっていました。どうしてそんなに時間がかかったのか分かりません』というような話はよく聞かれます。細かいところにとらわれ過ぎて、分量を何度も確認したり、料理している途中で他のこと気になって、あれこれ手を付けてしまったりなど、人によってその理由はいろいろありますが、知らず知らずのうちに多大なエネルギーを消耗しているのです。

 Kさんが、職場近くのアパートで一人暮らしを始めたことは、仕事に加えて、それまで母親に依存していた家事労働の負担が重なり、それが消耗を助長し、うつ病発症させたのではないかということです。

 

                         次回に続く