対人恐怖(社交不安障害)の人たちは、行列に並ぶのが苦手です。苦手というより、並ぶことを全く回避している患者さんも多い。自分が並んでる姿を、道行く人々にどう思われるか、過剰に気になるからです。

 

 おじいちゃん先生も、子供の頃から、行列に並ぶのが苦手だった。もっとも今でも、欲しいものが行列に並ばないと買えないなら、買うのを諦めることが多々ある。高校生の頃、友人達がたこ焼きを買うための行列に並んだとき、<僕は腹が減っていないから>と、やせ我慢をして後悔したことがある(実は腹ペコだった)。「たかがたこ焼きのために行列にならんで、恥ずかしくないのか。バカ丸出し!」と通行人に思われるのが嫌だったのだろうか。けれども今の私なら、それが自分の対人恐怖傾向であると分かる。当時はそれが分からなかった。

 先だってのお盆休みの猛暑の中、妻と一緒に有名ラーメン店の行列に、約1時間並んで、味玉中華そばを頂いた。とても美味しかった。たかがラーメン一杯のために、熱中症を恐れず、いい年をして何を考えているのかと思う。しかしながら、通行人のことは、ほとんど気にならず、<おじいちゃん先生の対人恐怖も、ずいぶん良くなったな>と感心もした。おじいちゃん先生は、初めて食べる味に感動する性格なので、好奇心が対人恐怖に打ち勝ったといえるかもしれない。

 

 発達障害で対人恐怖が酷いT君とは、彼が10代の時からの付き合いで、かれこれ20年以上になる。しかし、彼の方から何かの話題を持ちかけてくることは未だない。こちらの質問にも、小声で単発の返事が返ってくるだけなので、チョット私が油断すると、沈黙が訪れる。何か共通の話題はないものかと(こっちも緊張しながら)、常々思案していた。1年くらい前、あまり期待はしていなかったけれど、近所のラーメン屋さんを何件か紹介した。するとどうしたことか、今では週に1回(行列に並ぶまではいかないけれど)、ラーメン屋さんに通うようになっている。診察のたびごとに、<ラーメンの味はどうだった?>と訊くことにしているので、沈黙の時間が少々短くなっているんです。

 

 ラーメン屋さんに限らず、お店の人と一言もしゃべらずに自動販売機で食券を買い、他のお客と視線があうこともなく食事をすませることが出来るような飲食店は、対人恐怖や外食恐怖の患者さんの恐怖突入用として、有力な訓練場所であると考えています。

 

 

(余談)仏教的な見方をすれば、味に執着することは愚かな行為です。有名ラーメン店の丹精込めた一杯のラーメンも、私が3分で作る即席ラーメンも、口の中で10回くらい噛めば、味の違いはすでになく、栄養面では同じです。食べるという行為は、自分の体を養うためのものです。自分の健康を考えずに、大盛を注文するという行為はもってのほかといえます。