手動瞑想のやり方を紹介する際に、よく受ける質問の一つに、「手の動きに何か意味があるんですか」というのがあります。これまでは、<動きがある方が悩みに引っ張られにくい、浮かんだ思考から注意を転換しやすい、呼吸瞑想に比べると技法的に簡単、集中しすぎる副作用が起こりにくい・・・>など、私の勝手な解釈を伝えていました。しかしながら最近になって、タイ仏教翻訳家の浦崎さんが、「手動瞑想の動きの意味は?」という質問をし、トゥム老師がそれに答えている記事を見つけたので、それを紹介します。
“手動瞑想の動きの意味は?”
① 手動瞑想は、小さい動きも大きな動きもあり、日常の小さな動きにも、大きな動きにも気づきやすくなる。
② 動きが連続していることのメリット。日常の動きを一つの塊としてみるのではなく、一つ一つの動きが連なっていることを意識しやすくなる。例えば、ご飯をよそう、毛布をたたむ、といった動作。行為を示す言葉は一つであったとしても、実際の動きはたくさんの動きの連続である。
③ 一回一回の動きがあることで、心の無常(不確かであること)を認識しやすい。さっきは気づいていたけれど、あ!今は、はまり込んでいた!と認識しやすい。動きを一つ一つ認識していくので、心が伴っているか否か、どちらもわかりやすい。
④ 手動瞑想の動きは、日常生活ではしない、ちょっと変わった動き。だからこそ無自覚にはできず、自覚しなければできない。日常の動きだけで気づきを高めようとしても、ついつい慣れているので自動的になりがち、あえてちょっと変わった動きだからこそ、一つ一つの動きを意識できるメリットがある。
おじいちゃん先生には、<なるほど!>と思う箇所がたくさんありますが、仏教に関心の薄い、うちの患者さん達にとっては、今ひとつピンと来ないようです。しかしながら、さっきは気づいていたけれど、あ!今は、はまり込んでいた!と認識しやすい、という箇所は患者さんたちも、「そうかもしれません」と納得されます。おそらく、認知療法においては、自動思考に気づく(自動思考を捕まえる)ということの訓練になるだろうし、瞑想をしていない時にも、自分の日常的な思考を思考として気づくことが可能になり、自己洞察を高めてくれるのだと思います。もっとも、その変化を私が指摘するまで、患者さん自身は気づかないことがほとんどなんです。そうなろう、そうなりたいと思って、そうなっているのではなく、自然にそうなっているんです。その結果、考え方や行動が自然に(無自覚的・無意識的)変わっていくんです。この、無意識下で自動的に変わっていくことがすごいことなんです。その実際例は、過去ログ “行動の変化こそ本物の効果”で紹介しています。
このあたりの説明は、ちょっとわかりにくいとは思いますが、過去ログ、“新世代の認知行動療法の特徴”も参考になるかとおもいます。