精神科で行われる心理療法と、仏教的な心理療法とは、根本的にどこが違うのか、ということを日頃から考えていました。そのことをちゃんとわきまえておかないと、患者さんを害することになってはいけないと思うからです。
最近、それについて書かれている、アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話を見つけたので、紹介させていただきます。
「仏教」と「精神科」の心理療法の違い
・・・・精神科の方々の立場から見れば、一般的な社会で、問題なく、うまく生きていられる状態、それが、心の健康な状態だと考えられていますね。仏教では、そうではないのです。社会と何の関係もなく生きていける生き方、いわゆる心の次元をどうやって乗り越えるかということが最終目的なのです。いかに社会を脱出して生きることができるか。それは現代社会の心療カウンセリングが、社会の中でうまく生きていくことを目指すのとは、大きな違いがあることは、まず理解しておいていただきたいと思います。
ちょっと別の視点から見てみましょう。普通、現代社会の人間は、ちゃんと勉強して、仕事をして、結婚して家族がいて問題なく生きている。それをノーマルな普通の人間だというんですね。そのなかで、たまに、学校に行きたくない子、行っても仲よくできない子、あるいはまるで勉強に興味のない子、そんな子が現れてきます。またもう少し大きくなったら、結婚したくないとか、あるいは結婚はしたいのだけれど、あの人もいい、この人もいいと、あまりに欲が多すぎてなかなか決められなかったり。また、仕事しようと面接に行くと、全部だめになる。人と会うとしゃべれなくなる。さらに、会社でなかなかみんなとうまくいかない。お金が入ったらすぐ使ってしまって、すぐ借金してしまう。あるいは、タバコを吸ったり、酒に頼らなければやっていられない依存症のようになる。また、家族関係がうまく行かない…など。そういうものを社会では、精神的な問題として扱っているんですね。子供なら普通は、学校に行って仲よく遊んで、勉強する。それが普通であって、それができない場合、その子は何か「心に問題」があるという。そして、カウンセラーがそれを手助けして「普通の状態」に引き上げてあげるわけですね。
では仏教ではどうかというと、仏教の見方では、普通の人はみんな、精神的な問題ありということになるのです。社会でしっかり仕事をして、きちんと家族を守って、ちゃんとやるべきことをやって死ぬ人々も問題がある。あなたがたみんな、その問題を解決するべきですよというのです。
図を描いて考えてみると、普通の人々というのは、ゼロ地点にいる。いわゆる精神科で問題ありとされる人々は、マイナス地点にいる。精神科ではこのマイナス地点の人々をゼロに持っていくことが目的だけれども、仏教では、今ゼロ地点にいる人々を含むすべての人々をプラス点に持っていこうとしているのです。つまり、人間に戻るのではなく、人間性を超えようということなのです・・・。
なるほど、スマナサーラ長老の言うとおりだと思います。精神科の治療目標は、患者さんが訴える苦痛を和らげて、現実の生活適応レベルを改善することです。その目標が達成できれば、治療は終了です。病状が回復して、ゼロ地点に至った患者さんには、“余計なお世話”を極力しないように努めているつもりです。しかしながら、うちの患者さんが、現実の生活適応レベルが改善したあとも、精神医学次元では解決不能と思われる悩み苦しみ(悲哀、恨み、憎しみ、怒りなど)を訴えるとき、私のつたない仏教的な見方をお伝えすることがあります。例えば、<これからお話しすることは、すべて、お釈迦さまの受け売りですが、お経には、こんなことが書いてあるんですよ・・・>といった調子です。それがうまくいって、「先生にそう言っていただけて、とても気持ちが楽になりました」と言われることが多々あります。<ゼロ地点を回復しているので、はい、治療はおしまい>というわけにもいかないんです。ゼロ地点を超えて、“ささやかな余計なお世話?”をすることが、再発予防にもつながると思うのです。“ささやかな余計なお世話”をするために、仏教的見方が、おじいちゃん先生の心強い味方になってくれているんです。