今回は、前回の 『M子さんは何を捕まえたのか?(1)』 の続きです。

 

 過去ログ:手動瞑想は回避手段にあらずで詳しく説明しましたが、手動瞑想の本当の効果は、毎日習慣化されて、サラサラと気楽に継続することで得られるものです。急場しのぎ(不安が強いときなど)にやっても、それは単なる気そらしです。一生懸命掃除をしたり、音楽を聴いたりするのと変わりはありません。気そらしによって、嫌な思考をストップさせ、心配や後悔と言った不快な感情から離れることができるだけです。質のいい逃避(私もいろいろやっていますが)といえるかもしれません。

 

 手動瞑想の経験をある程度積むと、瞑想中に出てくる雑念を、感情を伴わせずに、ただの思考としてとらえることが出来てくる(他人事のように?)。「腹減ったなぁ」、「今日の○○さんは、・・・といってたな」「明日までに紹介状書いておかなきゃ」、といったゴミのような雑念などは、容易にそれが出来ます(気づいて、パッと離れる)。苦手な場面や状況で起こる、不安な考えや、うつに傾く考えなどに備えて、このようなゴミのような雑念でトレーニングすることが大切なんです。スポーツに譬えると、基礎練習のようなものです。そしてそれを、数か月・1年・2年と続けるうちに、日常生活の中においても、「今自分は・・・・・といった思考をしてるな」と、手動瞑想をやっているときのような感じで自分の思考を捉えることが出来るようになってきます。以前、このブログで紹介したKさんも、「自分の感覚に気づく、こんなこと、今考えていたのかなとか(その場で)、細かいことも分かるようになった」と表現していますし、私自身の経験からもそう言えます。

*過去ログ:“ゴミばかりの私のある日の瞑想”、“手動瞑想をやっている感じとは”、“手動瞑想をやってみようと思われる方へ(4)”では、より詳しくこのことを説明しています。

 

 このようなトレーニングを2年間にわたって積んできたM子さんは、訓練を積み上げたことの成果として、“急場”(いつもなら、不安や恐怖に押し流されて、回避行動に陥ってしまう場面)において、不安・恐怖感をエスカレートさせることなく、自動思考を捉えることが出来たのではないかと考えています。「目の病気だから病院に行かなきゃと思っているな」という自動思考を捉え、おまけに「本当に悪ければ、寝るまでずっとそうだろうし、ずっとそのままなら病院に行けばいい」という、適応的思考もそれに伴って自然に出てきました。さらに、「・・・病んでる感情が頭をよぎっているのがわかって・・・」というのは、これまで何度も経験してきている、不安感や恐怖感、何度も病院に駆け込んで『何も異常はないですよ』と言われた経験の記憶など言葉として表現できること、言葉に表現できないことなどをもひっくるめて、その時その場で自分に起こっていることを(あるがままに?)、丸ごと捕まえたのではないかと考えています(ヴィパッサナーの効果?)。そして、それを可能にした大きな要因は、「インフルエンザのA型に罹って、39.2℃の熱が出て。瞼が腫れている(重大な病気かもしれない)」という脅威刺激から自然に注意をそらすこと(注意の転換)ができたこと、また同時に、多少の不安や恐怖を伴っていても、自分の思考にも注意を向けること(注意の分割)が出来たことだと思います。この注意の転換と分割の能力の向上がなかったら、強い不安や恐怖感に押し流されて、自動思考を捉えたり、適応的思考を考えだしたりはできなかったとおもいます。このあたりのことをもっと深く理解するために、“社交不安障害に対する手動瞑想の効果”、“Mさんの瞑想-この1年ー”、“メタ認知療法と手動瞑想”をもう一度読んでいただけると幸いです。

 実を言うと、<M子さんが捕まえたものが何だったのか>、おじいちゃん先生自身は、はっきりと言葉にして説明することが出来ません。言葉にできないものをたくさん捕まえているので、当然のことかもしれません。しかし、良い結果が出ているのだから、<何かを捕まえたのは確かなことだ>と思うのです。

 

 今回は、『M子さんはなにを捕まえたのか?(1)』についての考察を、ごちゃごちゃと、まとまり悪く、理屈っぽく述べてみました。しかし、私の患者さんたちの中で、手動瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の本当の成果を上げている人たちというのは、私が説明しているような理屈はさておいて、毎日黙々と習慣的に手動瞑想を続けている人たちです。M子さんには、メタ認知療法とは、注意の転換と分割とは、自動思考とは、適応的思考とは、ヴィパッサナー瞑想とは、・・・と言った理屈っぽい説明をした記憶はありません。こういう説明を感心して聞いてくれる患者さんは多くいますが、手動瞑想を習慣化することができず、その恩恵にあずかることができていない方がほとんどなんです。

 最後は“おじいちゃん先生の嘆き”になってしまいました。

 

付記:以前にも紹介した、世界の瞑想指導者のリーダーである、バンテ・H・グナラタナ氏の言葉です。ヴィパッサナー瞑想は、認識のプロセスを極めて精密に観察する方法です。静かな無執着の心で思考や認識が起こってくるのを観察し、落ち着いた明晰な心で刺激に対する自分の反応を観察することを身につけます。感情の反応に囚われることなく、反応しているということを観察し始めるのです。観察するなら、妄想は徐々になくなっていくでしょう」。

 M子さんに何がおこったかを実に的確に説明してくれています。 

       (バンテ・H・グナラタナ著、“Mindfulness in Plain English”より抜粋)