新元号が今日発表された。“令和”、いい響きですね。

 

 23年間続いた(843回)、曾野綾子さんの新聞コラムが3月27日(水)で終了した。5月1日に元号が変わるのに合わせてのことだと思う。毎週水曜日、このコラムを読むのが私の習慣(ルーティン)であり、楽しみの一つでした。元号が変わるとともに、このコラムを読めなくなることを寂しく感じています。

 おじいちゃん先生の考え方の中には、彼女の考え方が相当注入されています。かつては、うちの息子たちにも読ませたくて、食堂テーブルの上にその切り抜きを置いていた。

 

■843 最終回を迎えて 「終わり」もまた貴重な変化、の引用です。

 平成の最後の日が近く迫っている。日本人は、それぞれに元号によって思い出を刻み、それぞれの年に深い思いを持っている。だから西暦だけが採用されるとなったら、きっと寂しいに違いない。

 昭和は長い時代だった。大正は約15年だったのに、昭和は63年も続いた。

 続いて当たり前という人が多いだろうが、私は非常識人間なのか、穏やかな毎日が突然消えて明日がなくなったり、乱調になったりする日があるかもしれない、と心のどこかで常に恐れていた。子供のおびえというものは、論理的ではないが、それだけに当人は深く恐れるのである。だから何もことが起きず、一定のルールが継続した、というだけでありがたいことだったのだ。

 何かが「終わる」のは悲しいことだ、という人もいるけれど、私はすべての物ごとに終わりがあることを深く感謝している。この世には、まだ多くの人間が体験したことのない恐怖があると思うが、その一つが「終わらない」という状況になったら恐ろしい。

 アウシュビッツの拘束、政治的圧迫、病気の最終段階。すべて終わらないと困る。だからだろうか、世間の多くの制度や技術は何かを終わらせるために知恵を絞って開発されてきたようにさえ、思えることがある。離婚、退職、消防の技術もそれぞれの問題を終わらせるためだ。ことに痛みなど、終わらせるためになら、死んでもいいという人さえいる。始める、始まる、のも大切だが、終わりも貴重な変化だと知った人間が、あらゆる状態に備え、知恵を絞って収束方法を考え出してきたのだ。終わりを祝福する、という思いが、もっとあってもいい。

 かつて一生、親族や、社会の経済的変化に苦しみ続けた初老の老人の死に立ち会ったことがある。出棺の際、娘は彼に「お父さん、さようなら。この次には、あまり苦労のない境遇に生まれていらっしゃいね」と声をかけた。それ以外の贈る言葉はないようにさえ思えた。

 「終わりよければ、すべてよし」などと簡単に言うけれども、良き終わりを得るのは、長い年月、実に地道に生きた人だけである。一見平凡に「何事もなく」生き続けるには、「人生の達人」にならなければならない。

 人生には、特別に光り輝いている成功者の物語も多いが、私は長い年月を物静かに生きぬいて、平凡な生涯を送った人々の生きざまにいつも深く打たれてきた。そのように黙して生きた人々に、改めて深い賛辞を捧げたい思いである。達人の生涯とはそういう境地なのだ。

 そのためには、多分自分の一生にも、未来を見据えて賢く備えねばならないのだろうが、同時に自分の近くにいる他者のことにも深く心をかけねばならないはずだ。自分一人が幸福になって、周囲の悲惨を顧みない人には、平穏な生涯が贈られるわけがない。

「平成よ、ありがとう。未来よ、人間に、賢さと優しさを贈ってください」

と祈るばかりだ。

 

 日本人として私自身も、元号に対する思い入れは強く、カルテの記載も元号ですし、ライフイベントの記憶はすべて元号と共にあります(結婚記念日、開院記念日、息子たちの生年月日など)。ビジネスには西暦での記載が便利でしょうが、人生を記憶したり、振り返ったりするには、私には元号が必要です。患者さんの生年月日やライフイベントの年次を訊いて、西暦で答えられると、おじいちゃん先生はパニックに陥ります。慌てて年齢早見表を盗み見して、元号に変換してからでないと次には進めません。

 「終わり」もまた貴重な変化、という意味を仏教的にとらえると、<物事には始まりも終わりもなく、ただ無常の変化あるのみ。「終わり」というのは、我々の勝手な意見(我見)でしかない>となる。けれども、修行が足りないおじいちゃん先生にとって、23年間続いた一つの習慣(ルーティン)がなくなるのはとても寂しい。23年以上地道に続いている習慣は(仕事を除けば)、週1のテニス、囲碁のタイトル戦の棋譜チェック、休日の朝に自分で入れるドリップコーヒーぐらいしか思い浮かばない。<何気ない生活習慣(ルーティン)は、自分では気づかなくとも、心身の健康を維持するうえで、とても大切な役割をしているんですよ>とは、患者さんたちにいつも伝えていることです。習慣化された行為は、思考を介さないで自動的に省エネで行えるため、うつや不安からの回復や予防に大いに役立ってくれます。このコラムの代わりになる新たなルーティンを見つけなければ、と思ってはいるのですが、そう簡単には見つかりません。もっとも、23年間つづけることは到底できないでしょうが。