“自己嫌悪”は精神科治療においては最大の敵の一つですが、それを戒める一つの法話を紹介します。
『・・・人は何をやろうとも、本人にとってはその瞬間「これが正しい」と判断しているのです。そこに善悪感が割り込んでくると、「なぜこんなことをやってしまった」と自己嫌悪に陥ってしまうのです。これも無意味です。無駄に苦しんでいるだけです。
例えば、食べ過ぎは良くないと知っているのですが、しかし食べ過ぎてしまいます。そういうことがあるでしょう。そこで酷い自己嫌悪に陥った人には救いがありません。そうではなく、冷静に「食べ物に執着が生まれて負けてしまった」と認める。「自分は感情に弱い」という事実を認めるのです。その事実を理解すればどうでしょうか。事実を認めることによって、そこで「もう少し感情に負けないようにした方がいいだろう」と、ちょっとした勇気が生まれてくるのです。自分の行為で自己嫌悪に陥らなければ、また同じような行為・現象が起きたときに、「前は食べすぎて失敗したから、今度は気をつけよう」と対処することができるでしょう。そうできれば、もう成長しています。
皆さんが成長できないというのは、そういう俗世間の道徳観・善悪感というものにやられて、勝手に自己嫌悪に陥って悪行為をしているからなのです。皆さんの道徳・善悪というのは、仏教のものではありません。仏教は、「人はよく間違いを犯す」と知っています。「覚らない限りは信頼できない」とハッキリしているのです。・・・・・・・・・
ですから、仏教を正しく受け取る、理解するのであれば、「私は不善行為をする性格を持っている。だから気をつける」ということになるのです。それだけで十分です。間違いを繰り返したとしても、自己嫌悪に陥って嘆いたりする必要はありません。自分が廃人になったわけでも、人として処分されたわけでもないのです。元々、不善行為をする性格が自分にあっただけのこと。何事も一発ですべて上手くいくわけではありません。・・・
例えば、これはゴミ屋敷をキレイにすることだと考えてください。瞬間・瞬時にゴミ屋敷をキレイにすることはあり得ない。ものすごいゴミ屋敷ですから、理性を使ってどこから手をつければいいのか考えて、順番にゴミを分別しながら、粗大ゴミや不燃物などをまとめる。分別だけでも一日でできることではありませんし、ゴミを引き取ってもらうために行政や業者に連絡し、順番にゴミを処分していく。キレイにするためには、かなりの手間・準備・プログラムが必要です。そうして段々とゴミが減ってきて、最後には家にゴミもなくなって、畳を取り換えて壁紙貼りなおしてキレイな家になるのです。これを一日でやろうと思えば魔法でも使わないとできません。そう言う魔法はありません。
しかし、皆さんはそういう魔法を探しているのです。なぜそんなに魔法が好きなのか、私にはわかりません。それは物事を理解できない、愚か者だからです。その程度で理解してください。自分の妄想に気づいてください。』
アルボムッレ・スマナサーラ 法話より
素晴らしい、“例え話”だと思いませんか。原始仏典のなかには、仏陀が説いたとされる、様々な“例え話”が出てきます。スマナサーラ長老は、“対機説法”(講演や書物など)のなかで、現代版の“例え話”を数多く提供してくれます。おじいちゃん先生は、それを精神療法と称して、ときどき拝借しています。
『対機説法とは、相手の性格や能力、素質に応じて、相手が理解できるように法を説くことで、これはちょうど医者が病人に的確な薬を処方するのに似ています。風邪をひいている人には風邪薬を、胃の調子が悪い人には胃薬を、頭が痛い人には頭痛薬を与えるように、お釈迦さまは出会う人々の性格や能力、素質に応じて、その人の問題が解決するように的確に教えを説かれたのです。そうすると、聞く側は自分の問題の解決法を具体的に教えてくれるのだから、目も耳も自動的に開き、わずかにでもよそみをしようとせず、お釈迦さまの言葉一語一語にじっと耳を傾けて聞くのです。
対機説法というのは苦しみの特効薬です。相手が実際に直面している苦しみ、悩み、落ち込んでどうしようもなくなっている問題を解決するために法を説くことが、対機説法なのです。ですからこれは一人ひとりにとって最適の説法です。聞く人は確実に理解できますし、また問題を解決するために実践しようともします。したがって、対機説法は聞く人とって100%役に立つ最上の特効薬なのです。』
これもまた、スマナサーラ長老の法話ですが、精神療法を行う上での要諦を語ってくれています。“おじいちゃん先生”にとっては、この上ない対機説法です。