患者さんから「サプリ(健康食品)を飲んでいいか。飲んでた方が体にいいですか。」とよく訊かれる。その中には、1か月あたり1~2万円もかけているご老人もいる。

 

 『サプリメントとは、タンパク質やビタミン、ミネラルなど健康の維持増進に役立つ特定の成分を濃縮し錠剤やカプセル状にしたものです』と言われれば、「サプリメントは健康増進のための成分がたくさん含まれているので体にとても良いだろう」と読み取るのが人の常です。しかし、体に良い成分だけがいくらあっても、それが有効に使われなければ、まったく無駄になります(体を通過していくだけ)

 

 例えば、ヒアルロン酸サプリ。女性の美肌に有効であるとか、老人の関節の痛み(擦り減ってしまった軟骨)に有効とかいわれています。しかし日本整形外科学会の専門医はなんと言ってるかというと、

 

 「・・・単純に考えれば、ヒアルロン酸のような巨大分子は経口投与では、腸管で吸収される時に分解されてしまう筈ですから、直接関節に行ってよくなるとは考えにくいと思います。すると次には分解されたとしても軟骨の材料を提供するわけだから良いはずだという反論が考えられます。

 しかし、現在の飽食の日本で若者と年配者で食事の内容が変化して、年配者ではヒアルロン酸の材料が不足するということも考えにくいでしょう。関節症の問題はむしろ受け手の代謝過程に問題があるという方が考えやすいと思います。一般にサプリメントとして販売されているものは、科学的データとして有効性が認められていないため保険では認められていません。しかし、全く効かないというデータもないのです(証明できないから)。あるいは個人差があるということも可能性としてはありうると思います。従って、『これは無効であるから飲むな』と言うことを公式に述べることはできないのです。既にこれらを飲んでいるかたの場合は、ご本人が判断し、有効でないものは続けないようにしていただきたいと思います。現在市販されているものでも、科学的に有効性が明らかになれば将来厚労省が薬として認めることになると思います」と。

 

 実に紳士的表現で、穏やかに説明されています。しかし、うちに来ている、おじいちゃん、おばあちゃんや、「理科が苦手」(という言い方をする人が多い)な患者さんには、このような説明ではわかってもらうことはできません。そこで、私が患者さんにする説明は、<髪の毛を食って、髪が生えてくると思いますか?>です。ずいぶん乱暴な、品のない説明であると私は自覚しています。しかし、どこで聞いたか覚えていませんが、それを聞いたときには“おじいちゃん先生”の心を打つものがありました。一回聞いただけで記憶に残る名言です。以来私はこの説明を拝借して使っています。とにかく、患者さんがスーッと理解してくれます。そして、ほとんどの患者さんが笑います?。無意識下の感情にひびく説明だからでしょう。この話をきいて沸いた感情が無意識下に記憶され、それをもとに、ヒアルロン酸を飲み続けるかやめるかを、それぞれの患者さんが自分で決めていくと思います。人間の行動を左右するのは、思考ではなく感情です。ヒアルロン酸を服用したとする老人が、スキーでゲレンデをスイスイ滑り降りているテレビコマーシャルを見ていて湧いてくる感情が、ヒアルロン酸をサプリとして飲むか飲まないかを決定させるのです。その感情に対抗できるのが、<髪の毛を食って、髪が生えてくると思いますか?>なんです。

 

 もっとも、わたしがサプリを完全否定しているわけではありません。私自身、牛乳が飲めないので、骨粗鬆症予防のためのカルシウムサプリを、お勧め用量の3分の1(1日9錠のところを3錠)と、下痢予防(下痢しても、どおってことないのですが、下痢は痔に悪いから)のためにビオフェルミン製剤をお勧め用量の3分の1(1日3回のところを1回)とを、シミったらしく毎日服用しています。夏の朝には、1週間に1回くらい、エスカップ(ビタミンB群の補給)を飲んで元気が出たような気になって出勤します。これらが効いているのかいないのかは全く分かりませんが、“おじいちゃん先生”は効いているような気になる(これは大きな効果です)ので、健康には良いのだろうと思ってつづけています。何事においても“ほどほど”がいいんです何事も“中道”を目指すのがよいというのが、お釈迦様の教えです。

 

補足①:きょうの話は“サプリメントのはなし”です。医者から出された薬を、「“ほどほど”がいいだろう」と自己判断して、「3分の1で飲んでやろう」とは決して思わないでください。精神科の薬をはじめ、内科の薬においても、有効血中濃度に達しなければ、まったく効果が得られないものがたくさんあります。3錠が必要な薬を、1錠ないしは2錠飲んでいたのでは、まったく飲まないのと同じということさえあります。

 

補足②:“中道”という言葉の意味は、二つの間の真ん中、平均、という意味ではなく、相互に矛盾対立する二つの極端な立場のどれからも離れた自由な立場、実践のこと。その状況において最も適切な“的を得たやり方”を選択できることが、“中道をいく”ということの本当の意味です。