1週間前のはなしです。いつもはニコニコ笑顔のT子さんが、暗い表情で診察室に入ってきた。「先生、久しぶりに話聞いてもらえる?こんな話誰にもできないよ」「相続争いで、兄弟がもめている。イヤだねー、先生。お金が絡んでくると。私は何ももらわないから関係ないけど、見ているのはつらいよ・・・・・」というのだ。
T子さん、昭和30年生れ、初診日:平成8年3月 診断名:強迫性障害、軽度精神発達遅滞
小学生の頃より、不潔恐怖による洗浄強迫が出現。高校には進学できたが、頻回の手洗いや衣服の着脱に長時間を要するために登校できず。2か月余りで退学。以後10年間自宅に閉居。その後、何回かの入退院を繰り返した。平成4年2月、強迫症状がある程度軽減したため、生活保護を受給しながらの単身生活が始まった。
平成8年当クリニック初診。当時の所見として、<20分以上前に来院。トイレに入ったまま20分以上出てこない。診察時間ですよ、と声かけして出てきてもらう。子供っぽい言葉づかいで、ややなれなれしい。診察室のドアの前に立ち、何度も同じ動作を繰り返す。椅子に腰掛ける際も、ほこりを払うような動作を何度も繰り返す。・・・その後、私の出身大学、年齢、家族構成などを質問してきて、どっちが医者か患者か分からないような会話になった>と書かれていた。
あれから、20年余りが経った。「先生も白髪が増えて年取ったね」<お互い様でしょ。太りすぎると早死にするよ>「そうだね」と言い合う仲になっている。
T子さんの単身生活は、強迫症状との戦いであった。怠薬すると、症状が悪化し一歩も外出できなくなり、自室は完全にゴミ屋敷となる。まさに、地獄のような生活であったと想像できる。一通の郵便物を2か月余り、ポストから取り出すことができなくて、障害年金が途絶えたこともある。長年にわたり訪問介護サービスの利用を勧めていたが、「他人を自室に入れたくない」と言って頑固に拒み続けてきた。
平成28年10月「先月、父が亡くなった。やっぱり悲しいですよ。家に一人でいるとね。思い出しちゃう。身内の死は初めてだからね。母は認知症だけど元気にしているよ。妹も家族がいるからいい。私はひとりだからね、家にいると悲しいよ」と寂しげだった。
平成28年11月、先月に比べて、明るくパワーアップ。「やっぱりちゃんと食べなきゃね」といいながら、待合室ではドリンク剤を一気飲み。
平成29年3月、市の援助でゴミ屋敷を整理してもらった。当日は10人もの業者が出入りしたという。これを機に、「少し片付いたので、ヘルパーの人に来てもらうことにした」と、他人を自室に入れる決心をした。
平成29年7月、長年断り続けてきた訪問ヘルパーの人が、週1回入るようになって、掃除を手伝ってくれるようになった。「洗濯機を新しく買って、自分で洗濯をして、人並みの生活ができるようになったよ。もうゴミ屋敷じゃないよ。部屋が片付いていると気持ちがいい。今は幸せだよ・・・」といっていた。その後何回かは、薬だけを取りに来ていた。
そして1週間前、久しぶりの面接だった。T子さんの話をひとしきり聞いた後で、次のように伝えた。
<放っておけばいい。あと30年もすれば、私も、あなたも、兄さんも、妹さんも、この世にいなくなるのだから。あなたは地獄を見ているから、それがわかるでしょ。前回、話聞いたとき、「今は幸せだよ」って言ってたじゃない>といったところ、「そうさあー、30年後は、先生も私も死んでるよ、お金じゃないよ・・・洗濯機を新しく買って、自分で洗濯をして、人並みの生活ができるようになり、部屋が片付いてるのを見るのはとても気持ちいいよ。これが本当の幸せだよ、先生!私は地獄を見てるからそれがわかるよ、お金じゃないよ、昔はひどかったもの私、今は幸せだよ!放っておくよ!・・・・・・今日は良かった、先生と話ができて、気持ちが楽になったよ!こんな話、誰にもできないもの」と、いつものニコニコ笑顔のT子さんにもどっていた。
補足:重症の強迫症状(不潔恐怖など)というのは、本当につらい。一動作、一動作に、普通の人の何倍もの時間を要し、へとへとに疲れてしまう。風呂に入るのに4~5時間、トイレを終えるのに8時間を要する人もいる。 畳一畳の世界から一歩も外に出られないということもある。まさに地獄のような世界である。