なぜ めぐり逢うのかを

私たちは なにも知らない

いつ めぐり逢うのかを 

私たちは いつも知らない

 どこにいたの 生きてきたの 

 遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない

 

なぜ 生きてゆくのかを 

迷った日の跡の ささくれ

夢 追いかけ走って 

ころんだ日の跡の ささくれ

 こんな糸が なんになるの

 心許なくて ふるえてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出会えることを

人は “仕合わせ”と呼びます

                          『糸』 中島みゆき

 

 中島みゆきの曲は、学生時代に買ったLPレコードに始まって以来、現在までずっと聴きつづけています。おじいちゃん先生は、昨今、『糸』という曲を、恋の詩として聴くのではなく、仏教における“縁起”や“慈悲”を説く詩、として聴いています。

 つい最近までは、“仕合わせ”となっているとはつゆ知らず、“幸せ”、だと思って聴いていた(彼女には『幸せ』という曲もある)。ところが、“仕合わせ”という言葉の意味が、「めぐり合わせ」に近いもので、良いことも悪いことも含められるということを知りました。それ以来、「あなた」は「恋人」ではなく、「老若男女を問わぬ見知らぬ誰か」であって、その出会いによる「めぐり合わせ」が、「別の誰かのためになってゆく」という、“縁起”や“慈悲”を説く詩として聴いています。

 『糸』という曲は、結婚式でよくつかわれると聞きました。私は、葬式でつかわれるのも良いのでないかと思います。ちなみに、テーラワーダ仏教の国では、葬式の時に『無常偈』がつかわれると聞いたことがあります。