現在ではあまり使われなくなった病名に、性格神経症というのがあります。症状の形成に個人の“もともとの気質―性格”が大きく関わっていて、そのために不安や恐怖を感じ、辛くて我慢できなくなったり、日常生活に支障をきたしたりするもので、不安神経症、強迫神経症、神経症性うつ病(抑うつ神経症)、心気神経症、恐怖症などがこれにあたります。現在は、不安障害、強迫性障害、身体表現性障害、などと呼び名が変わっています。“もともとの気質―性格”というのは、一つのことを考え始めると、そのことが頭から離れない。同じこと繰り返し悩む。自分の感情を表に出せない。周りの評価を気にしすぎる。物事を白と黒でしか考えられない。といったものをいいます。

 性格神経症の患者さんのつらい症状は、薬物療法で相当レベルまで軽減することができます。しかし、クスリでは性格まで変えることはできませんから、その人の悩み苦しみは続きます。悩み苦しみがなくなるためには、自分の性格を変えるしかありません。一つのことを考え出しても、繰り返し考えずに、早く離れられる。自分の感情をうまく表に出せる。他者の感情表出に過剰に反応しない。物事のグレーゾーンを認める。といったように変わることです。「そんなこと、わかっちゃいるけど、変えられないよ」そのとおりです。性格はそう簡単には変えられません。

 ところが、性格神経症の患者さんを、長年診ていると(3年、5年、10年のスパン)、症状の改善とともに、ものの見方や考え方が急に変わってくるのを見せられて、驚かされることがあります。これを、性格が変わったというのかもしれません。変わるきっかけとしては、私の患者さんで今思い浮かぶものを上げると

①    留置場に入れられた

②    痔の手術をした

③    理解ある男性と結婚した

④    親に死なれた

⑤    仕事を辞めた

 それまでは、毎回同じような悩み苦しみを訴えるだけであったのが、急に変化するのです。氷が解けるように、急に悩み苦しみが解けて流れ出すのです。こういう瞬間に立ち会えるのは、精神科医の醍醐味(苦労が報われたとも感じる)のひとつです。数年前までの私は、①~⑤が大きな要因の一つだと考えていた。だから、治療が膠着状態に陥っても、(待てば海路の日和あり、人間万事塞翁が馬、石の上にも三年、といった諺をおもいうかべつつ)何かしらのきっかけ(それがすべてだとは決して思わないが)によって、好転する時が来ると信じて待つことも大切だと考えていた。受容的なスタンスで傾聴し、時に適切な助言(偏った認知の修正など)を続けていれば、そういう時(性格が変わる時)が、遅かれ早かれ来ると考えていた。

 しかし昨年から、手動瞑想(ヴィパッサナー瞑想)を治療に導入するようになってからは、その考え方が少し変わった。性格神経症の患者さんの性格変化に遭遇する機会が増えたからである。これまでは①~⑤が大きな要因の一つに見えていただけで、3年、5年とかけて実は、性格が徐々に変わってきているのを(自己洞察力が向上している)、私が見逃していただけではないか。人間は急な変化には気づくことができるが、ゆっくりとした変化には気づかないことが多い。そういう思いでカルテを見返してみると、確かに性格変化の兆候だとわかる記述があった(私の行ってきた治療も拙速ながら性格変化に役立っていた)。手動瞑想を治療に取り入れたことで、性格変化が数か月レベルで起こったため、私がそれに気づいたのではないか。仏教というのは、内観(自己洞察、自己探求)の教えである。自己探求を進める手段がヴィパッサナー瞑想であるとすれば、手動瞑想を治療に導入することで、性格を変えるスピードを、これまでよりも数年早めることができるのではないか。3年、5年と待たずとも、数か月から1年で“精神科医の醍醐味”が味わえるのではないか。そういう期待を胸に抱きながら、日々患者さんを診察している。