患者さんから言われる常套句に一つに、「先生は私のような病気をしたことがないから、私の気持ちがわからない」というのがあります。それに対する私の答えは、<おっしゃる通り、あなたのような病気を、私は体験したことがないので、その苦しさや、その気持ちをあなたのようには分かりません。しかし、あなたと同じような病気で苦しんでいる人を、何人も診てきました。そして、その人たちがどのようにして、病気を乗り越えていったかを、私は知っています。その人たちの中から、あなたによく似た症状の人を思い浮かべ、どんな薬を処方し、どんな精神療法をするのがよいかを考えて、それを実践するのが私の仕事です>と伝えます。精神科医の臨床力というのは、患者さんを目の前にして、よく似た患者さんをどれだけ多く思い浮かべられるかである。そして、それぞれの患者さんの治療で、何がうまくいって、なにがうまくいかなかったかを、正確に思い出せるかである。それゆえ、全く経験のない患者さんを診ることは、多大のエネルギーを消耗します。教科書どおりの治療から始めて、何度も試行錯誤を繰り返す必要があるからです。もし、その患者さんを害する可能性(症状を悪化させる)が予想できた時は、その病気の治療経験が豊かな医者に、さっさと紹介するべきです。それでは、一つ問題提起を
① うつ病を体験した精神科医は、うつ病治療が上手か
② パニック障害を体験した精神科医は、パニック障害の治療が上手か
③ 統合失調症を体験した精神科医は、統合失調症の治療が上手か
④ 強迫神経症を体験した精神科医は、強迫神経症の治療が上手か
精神科医は自分が精神障害を患っても、自分で治療することはしない。というのが精神科医の常識です。内科や外科などの身体疾患とは違って、自分で治療することができないということです。これまで何人かの精神科医の精神障害を、主治医として治療しました。もし私が精神障害を患ったら、信頼できる精神科の先生に自分の治療をお願いするつもりです。なぜなら、自分の症状や、おかれている状況などを客観視することはできないから。また、自分が患っている精神障害と同じ患者さんをみるとなると、どうしても自分の体験(とりわけ感情面で)にすり合わせて診てしまい、客観性が失われ、適切な治療ができないと思います。共感するのも、ほどほどでないといけないし、場合によっては、共感してはいけないこともありますから。精神科医の臨床力とは、その病気を自分が体験することではなく、その病気に罹った多くの患者さんの治療を、失敗も成功も含めてたくさん体験し、その中で試行錯誤することで養われるのです。
同様のことが、精神障害のカウンセラーにも言えます。○○障害を体験したカウンセラーは、○○障害の人の気持ちがよくわかるので、良いカウンセリングができる、ということにはならないのです。○○障害を体験したから、○○障害の専門カウンセラーになった、という話には相当の危険が潜んでいると思います。私の診ている患者さんの中にも、心理カウンセラーを目指したい、という方がいますが、<自分のために勉強するのがいいよ>とアドバイスするのが常です。