1に自分軸、2に自分軸、3,4が自分軸、5も自分軸

他人軸で周りに意識を向けちゃうと
誰それになろうとして自分を見失いガチで

「I have everything I need」って
バシャールも似たことを言ってたけど
地球人類、全員、完璧な状態で生まれてきてるから
自分らしく生きれば何の問題もないっていう

でも他人軸になって人を羨んだり、誰かになろうとすると苦しくなっちゃって



最近は思考系、理屈系が薄まって感覚系が強くなってるから
言葉や活字離れが進んでいて、その関係からなのかはわからないけど
突然、英語が降りてくるようになってきた

小さい頃、アメリカに住んでて、当時は英語で考えたりしてて
っていっても小さいから考えることなんてタカが知れてるんだけど
「Oh my god!」とか「Oh no」とか、そんな程度で
小さいから理屈なんて考えないからね
感覚と感情で動いてるから

思考系より感覚系の方が強かったわけで

日本語や活字をバンバン使うようになった時期と
思考やエゴがバンバン発達した時期が一致してるから
ボクにとって日本語や活字って思考・エゴの顔みたいなトコがあって

だから思考系が薄れると日本語や活字も遠のいていくんだろね

(逆に感覚時代に親しんだ英語が降りてきてるのかもしれない)

もともと、感覚系だったから
あまり言葉とかは得意じゃなくって
エゴと他人軸が強まった思春期の頃に
日本語を発達させてったトコがあったから

異性を気にしはじめて他人軸が強まった気がするなぁ、エゴとね

子供の頃は無敵だったけど、中高生辺りかな
異性を気にしたり大人ぶったり
そこら辺から少しずつ自分を見失いだして、自信が揺らいで、
自信が揺らぐからエゴで強引に自分を主張しようとして

みんな、大なり小なり似た経緯を辿ってるんじゃないかしら


「I have everything I need」
1に自分軸、2に自分軸、3,4が自分軸、5も自分軸

「 I need」だから、自分にとって必要なモノだね
人の持ってるモノを欲しがると苦しくなる

他人軸ってことだね

自分軸で、自分を楽しめばね

 

 

ちょっと余談・・・・

 

殆どの人はドラマを演じるために地球に降りてきていて

(ボクはドラマを演じるためじゃないらしい、最近、気付いた

 だからボクは大根役者で、っていうか、どう演じればいいかは

 わかってるんだけど、それを演じるのに抵抗を感じちゃう・・・演出家寄りかな

 だから覚醒ってトコに興味を持ってるんだろうけど)

 

色んなドラマを演じる中で、戦争ドラマを演じにやってきてる人もいて

でもそうゆう人って、どうしても「死」とか「殺」とか「復讐」ってものが

付きまとっちゃってね、アレなんだね

 

昔の戦国時代とか幕末とかは

「殺」じゃなくって「闘い」で

あとは歴史を変えるとか時代を変えるとか・・・変革ってトコ

男の子が闘い系の漫画に熱中するのもそうゆうトコへの憧れだったりして

だから闘いの裏テーマとして流れを変えるっていうのもあって

 

でも今はもうそうゆう時代じゃないから

戦争には闘いの要素はなくって

あるのは「殺」、「死」、「恨み、復讐」っていう

すごく暗いものだけで、だから悲惨なモノしか現れないわね

戦国時代みたいにカッコいいモノがなくって

でもそこに意識を向けてるから

戦争っていうドラマを演じちゃうのかもしれないけど

(テロとか支配系のカルト教もそうだね

 そこに意識を向けてるから

 そうゆう悲惨系の底なし沼にハマっちゃう

 悲劇は「劇」だからドラマとして成立するんだけど

 悲惨系はもう劇でもなんでもない

 戦国時代や幕末は劇として成立したけど

 テロとか今の戦争って、もう劇にならないわね)

 

恨み、復讐っていう執着、執念が消えるまで

たぶん、無間地獄を何度もループするんだろうと思う

 

自分もそうだったけど、嫌気がさすまで、延々と同じことを繰り返すからね

(人間や人間社会への恨みの念ってのがあったからね

 恨みの念ってのはね、粘っこくってしつこいから

 人間や人間社会への恨みの念が覚醒の足を引っ張ったりするわね)

 

(久しぶりに思考の強い文章を書いたわぁ・・・・浄化しとこ)