皆さん、こんばんは。
今日は、自ら求めて生きる人がたどる人生と、この世の疑問や自分の生きる意味を探し求めることなく過ごす人の人生の違いをお話していきたいと思います。
聖書には、
「求めなさい。
そうすれば、与えられる。
探しなさい。
そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。
そうすれば、開かれる。
だれでも、
求める者は受け、
探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。」
と書かれてあります。
今の時代、私達は普段気になったことや疑問に思うことを、すぐにインターネットで調べることができるので、多くの人が今やインターネットから様々な知識を得ることができるようになりました。
そうして、疑問に思うことを調べた分、理解した分だけ、それを自分の知識として蓄えて、その後の判断や行動に生かしていくことができます。
知識だけでなく、様々な才能や技術も、自分が自らその才能を磨こうとしたり、技術を手に入れようとしたりしなければ、一生その才能や技術を手に入れることはできません。
私達が何の行動もせず、探し求めることをしないなら、当たり前のことですが、何も得られないということです。
ですから逆に、栄えることのできる人は、誰よりも様々なことを求めた人だと言えます。
様々な知識を求め、自分の個性才能が何なのかを見極め、またさらにその個性才能を伸ばして使ってもらえるようにと、どこまでも努力して求めたからこそ、その分様々な知識や技能を身につけ、結果を残し、さらに成長していくことができます。
この世で栄えると言うと、お金持ちになったり、芸能界で有名になったり、ビジネスを成功したりと、色々なイメージがありますが、神様の世界では、これは成功とは言えません。
では、神様から見た人間にとっての真の成功とは何なのでしょうか。
それは、
「神様と愛し合い、神様がその人に与えた個性才能を見つけ、神様のためにその個性才能を使って沢山の人々に有益を与えていくこと」
です。
私達人間には必ず1人1人、その人にしかできない、その人にしか与えられていない個性才能という神様からのプレゼントがあります。
どんなに自分に個性才能がないと思っていたとしても、神様が人間1人1人を愛してこの世界をつくられた以上、必ず神様はその人にどう生きてほしいのか人生の計画をしてくださっていて、ただ生きて死ぬのではなく、自分が産まれてきた意味となる個性才能を与えてくださっているのです。
そして、その個性才能を神様がくださった心情には、その個性才能を使ってこの世を生きる人々の役に立ってほしい、つまりお互いの個性才能を使ってお互いに有益を与え合ってほしいという思いが込められています。
では、この世を生きる人々にとって、真に有益になることとは何なのでしょうか。
この世の中では、様々な分野で様々な人々が活躍していますが、神様から見た真の有益とは、ただ自分の個性才能を使って有名になって、お金を沢山稼いで栄えていくことではありません。
それは、言ってしまえばあまりに次元の低いことなのです。
なぜなら、それは結局のところ「自分のため」に行っているにすぎないからです。
神様の世界では、自分のために何かをすることは求められていません。
神様の世界では、むしろ自分をどこまでも捨て、この世の人のために、何よりも個性才能を与えてくださった神様のために、個性才能を伸ばす努力をして人間的に成長していくこと、そしてさらには、その個性才能を使って沢山の人に神様の溢れる究極の愛を肌身に感じさせていくこと、そのような愛の世界をつくっていくこと、これこそが神様が私達に個性才能を与えてくださった理由であり、真に人々に有益となる行いなのです。
なぜなら、神様の愛ほどに私達人間が必要としているものはないからです。
私達人間は、愛を求める生き物です。
人間は、どんな人でも、結局は愛を求めて生きています。
ですが、家族や、恋人や、友人や、ペットや様々なものから、結局自分の思ったように愛を受けることができず、どこか心が完全には満たされない状態で生き続けているのです。
神様は、私達が神様以外のものから愛を十分に受けられるようにはつくられていないからです。
つまり、どんなに努力してもがいても、私達は神様以外のものから、本当に満足のいく愛を受けることはできないですし、むしろ神様は、神様の愛だけで心が満たされるように人間をつくったのです。
そして、神様の愛を一度でも受けたり感じたりした経験があると、到底この世の愛では満足できなくなります。
なぜなら、人間の愛はあまりに移り変わりが激しく、毎日コロコロと気分が変わる、自分中心の愛だからです。
ですが、神様の愛は、一心に、ブレることなく、永遠に私達1人1人を求め続けてくださる、深い愛なのです。
その神様の愛を感じてこそ、また神様を愛してこそ、人間は人生をどこまでも幸福に、何の不満なく、神様から祝福されて生きることができるようになります。
そうして、この世界をコントロールしている神様と深く愛し合っていくなら、神様がその人に、富や名誉や様々なものを与えたくて仕方がなくなりますし、また、その人が世界中の人々から必要とされて、世界各地で活躍する人にするために、個性才能をどこまでも豊かに伸ばす手助けまでしてくださるようになります。
そして、その人自身は、富や名誉を得るために生きることはもはやどうでもよくなって、神様への深い愛で心が満たされるので、どうにか神様のことを多くの人に知ってもらいたいと思うしかなくなり、自分の個性才能を、多くの人を神様の愛へと導くために使いたいと思うしかなくなるのです。
神様と愛し合って生きていく、それこそが、人間にとって真に有益だと心から悟れるからです。
そのような人は、神様に自分を使ってもらうために、どこまでも自分の成長のために求めていきるようになります。
自分の個性才能を伸ばすために、また神様の次元に近づくために、とにかく求めなければ、いつまでたっても何も変わらない、むしろ年をとればとるほど、将来や老後に不安を感じるようになります。
そうして自分の人生を振り返ると、誰にも必要とされず、有益にもなれていなかったことに気づき、後悔して死んでいかなければなりません。
そのような人が死んでから天国に登れるかと言えば、登れないですし、むしろどこへ行ってしまうのか分からないのです。
なぜなら天国は、この世で神様を愛して功績を残した人だけが、神様に迎え入れてもらえる、本当にレベルの高い場所だからです。
だからこそ、天の次元の国なのです。
そして、天の次元の国の王様である神様が、聖書で私達に教えてくださっています。
どんなことでも、求めれば、与えられると。
ですが、求めないなら、与えられません。
つまり、与えられないのなら、何も手にすることができません。
何も手にすることができないなら、あとは滅んでいくしかありません。
自分が持っている個性才能が何かさえ分からなければ、求めればいいのです。
分かるまで求めればいいのです。
とにかく求めるのです。
そうすれば、必ず与えられます。
ヒントや、答えが与えられます。
神様があなたを愛して個性才能を与えたのですから、あなが心から求めるならば、神様がヒントや答えを送ってくださらないはずがありません。
神様は、あなたの個性才能をどこまでも使いたいのです。
どうか、皆さんが自分の個性才能を、神様のため、この世の人のために使える人となれることを祈ります。
皆さんに神様からの祝福がありますように。
