最近アクセスを増やしてきた海外ニートさんいわく、日本政府はわざと国民が英語をできないように教育することで、彼らの海外流失を防いでいるのではないか・・・。
新鮮な視点だと思った。なるほど確かに、英語が堪能になれば、わざわざ長時間労働と陰湿な人間関係に苦しむこととワンセットになっている日本でのそれなりに便利な生活を捨てて、別に理想の生活が待っているわけではないものの労働法が遵守されることで日本よりは人間らしい生活が保証されているかもしれない海外の国々に移住することもかなり簡単になるわけである。
そういう潜在的な欲求を持っている人は、身の回りを見るだけでも相当、多そうである。だとすると、これはもはや、「バビロン捕囚」ならぬ「ニッポン捕囚」が起こっている、といっていいのではないか。生まれた国だからずっと住んでいるよ~などと呑気に構えていたら、たちの悪い売国奴ども(そういう存在が民主党にも見当たらないといえる保証はない・・・とりあえず政権交代はめでたいが)の悪政のもとで、他の経済的に同水準の国の住民が思いも及ばないような、とんだ理不尽な苦しみを味わわされる毎日をすごしていた・・・そんな悪夢のような状況。
そういう人たちは、能力さえあれば、もう日本を去りたいのである。一日100人も自殺で死ぬような不気味で不可解な抑うつ状況が支配している所に無限の嫌悪感を抱いた人たち・・・それが彼らだ。
そういう人たちは、気質的に海外の住人である(どこの国かは知らないが)。そういう人たちが我慢して日本に住んでいるのなら、そして支配層の邪悪な意図のもとで語学という脱出手段を奪われているのなら、それはもう、かの昔にバビロニアに連れてこられたユダヤの人々と同じ状態ではないか。
恐ろしいのは、限界を超えた過重労働のストレスで、多くの人が足を引っ張り合い、または非人間的な労働モラルの支配下で自縄自縛に陥り、その結果、社会が多くの人に指摘されているような精神的内乱もしくは内戦状態に陥っていることである。安全な脱出の方法があるなら、非常に多くの人々が脱出を望むのではないだろうか。それをはっきり口には出さないにしても・・・。ふるさとがどうしたとか言ってる場合じゃないよ、と白旗を上げて・・・。
それが、「ニッポン捕囚」と私がいう意味である。これは特許申請したいほどの優れた概念だな、と自分でも思う。
この概念を使うことで、多くの人がわけもわからず不気味に思いながら苦しんでいる日本の状況の本質が、驚くほど簡潔かつ的確に言い表されるからだ。
嗚呼、この状況から助け出してくれるモーゼ(彼が導いたのは出エジプトだが)のような救世主はいつ出現するのか・・・。
ま、別に国外に出なくても、政治がよくなって住みやすい国になれば、ここに居続けてもぜんぜん構わないんだけどね。あと、個人の力量を発揮して自分だけは素晴らしい暮らし方を実現するとかね。
そういう風になるといいですね。私も、そして、あなたも。
このように、私がたまに気が向いてブログを書くと、いつも例外なく、よい記事を書いてしまうことになる。これが、恐ろしいのである。私が本気を出せば、アメブロの人気ブログのトップ集団に入ることなど、たやすく出来てしまうのではないか。万一そんなことになりでもしたら、自分の楽しい時間をごっそり奪われてしまうことになる。私の才能は、主に私が自分で楽しむために使いたい。
だから、私は、また沈黙する。次にいつ書くかわからないので、読んでくださったロボットさん(だけとも限らないかな・・・ゴメンなさい)は気長に待っていてください。