祖父母は姉は初孫と言うこともあり、とても可愛がって物もよく買い与えていました。
 
 
祖父母の家に行くと姉のおもちゃばかり沢山ありましたが当然私は使わせてもらえませんでした。
 
 
私は姉妹の母親となった今思いますが、どうしてあの時誰も「一緒に使ってね」と言わなかったのだろう
 
 
誕生日でもないのに兄弟、姉妹でどちらかだけにおもちゃを買う事も信じられないし、仮に買うとしても一緒に使ってね?とか2人のおもちゃだよ、と言えばすむ事。
 
 
それを言ってくれないから当然姉は自分だけのおもちゃという認識なので私には絶対使わせてくれません。
 
 
おそらく祖母は優しかったので、まだ小学生の姉がそこまで意地悪だと思ってなかったのだと思います。
 
 
 
いちいちそんな事言わなくても一緒に使ってくれるだろうと思っていたのでしょう。
 
 
 
祖父母が姉を甘やかすせいで姉は祖父母宅によく泊まりに行き、その度に何かしら買ってもらうので姉専用の棚がありました。
 
 
そのおかげで姉は小さい頃からおばあちゃんっ子
 
 
またそれが祖母も可愛かったんでしょうね
 
 
その姉専用の棚の引き出しには消しゴム、メモ帳、塗り絵、リリアン、ノート、ロケット鉛筆など当時流行っていたサンリオのグッズがビッシリと詰め込まれていて、小さな私にはまるで宝石箱の用に感じられました。
 
 
羨ましくて羨ましくて、姉のいない隙を狙ってはのぞいていました。
 
 
どう考えても必要以上に買い与えられているのは明らかです。
 
 
だけど小さかった私はそれをあまり疑問に思わず、姉だから沢山買ってもらえるんだろうなぁ、羨ましいなぁくらいにしか思ってなかったので特に誰に問いただすわけでもなくその状況を受け入れていた為、母もその棚の存在を知りませんでした。
 
 
 
ある時、山程あるメモ帳のうち私が大好きだったケロケロケロッピのメモ帳のたったの一枚だけどうしてもほしくてお願いしましたが当然ダメだと言われました。
 
 
それどころか、勝手に覗いたのか?!と怒鳴られました。
 
 
私は姉が見ていない隙に一枚だけこっそりと破って自宅に持って帰り、ベッドの下に隠しました。
 
 
何日か後にそれが姉に見つかってしまい、殴られた挙句に両親に言いつけられました。
 
 
姉の物を取ったと言う事実だけを見て、私がやったことは泥棒だと父からも母からも怒られました。
 
 
この時に私も祖父母宅の姉専用棚の存在を教えれば良かったのでしょうが、そこまでの知恵がなかったのか取った事への罪悪感からなのか特に言い訳も出来ずにただ叱られていました。
 
 
それ以来家で何かが無くなれば、私が盗んだのだと決めつけられるようになります。
 
 
もちろん盗んだ事は悪いことなのはわかります。
でも小さな姉妹であれ程の持ち物の差を見せられたら欲しいと思うのは当然じゃないでしょうか。
 
 
使えもしないほどの量を買ってもらいながらそのうちのたったの一枚すら妹に分け与えない姉はなんのお咎めも無し。
 
 
この時私が年長、姉は小学3年生位だったと思います。
 
 
この頃から姉は何でも自分の方が妹より多く、より高い物を買わないと機嫌損ねるようになりました。
 
 
 
機嫌を損ねるのが面倒だったのか、両親もそれを受け入れてしまったのでこの性格は大人になるまで変わりませんでした。