青州黄巾賊三十万とその流民百万が、兗州になだれ込んできたのは五年前の事だった。当時兗州牧だった劉岱は賊を侮り、迎撃のため出陣するも、その圧倒的な数に呑み込まれて戦死した。劉岱の配下であった鮑信は、友人だった曹操に援軍を依頼した。鮑信と当時曹操の参謀だった陳宮は、曹操を兗州牧に担ぎ上げ、青州黄巾賊の対応に当たることを提案した。それまで袁紹の一部将に過ぎなかった曹操は、これを飛躍の機と捉え、彼らの要求に応えた。無論、正式な任官ではないが、今は乱世、力を示せば人々を納得させることはできた。

 これまで黄巾賊相手に数々の戦捷を上げていた曹操には、青州黄巾賊討伐に自信があった。しかしその自信は、最初の出陣で見事に打ち砕かれた。

 敵の数が圧倒的なことは承知の上である。流民を抱えていることもある。となれば食料の問題が出てくることは明らかだった。

 しかし青州黄巾賊と交戦してみると、その意思の強さに圧倒された。今までの黄巾賊とは、根元の部分から違っていたのだ。明らかに何か強い意志を持ち、戦っている。不平の憤りや貧困の喘ぎとは明らかに違う、何か。そして口にできる糧食もほとんどないであろうに、飢える気配もなかった。野や丘を埋め尽くすその民すべてが、一頭の巨大な生き物のように、曹操の前に立ちはだかった。それは曹操に、畏怖を与えるのに十分だった。

 そして彼らとの、熾烈な戦いが始まった。

 曹操軍は鮑信の兵と合わせて四万、騎馬は四千である。

 曹操は砦を二つ築き、兵糧を運び込み、黄巾軍に包囲させては、尽日攻め続けた。各砦の兵を五隊に分け、昼夜問わず、交替で攻め続けた。もはや賊などとは思っていなかった。戦である。相手に敬意と尊厳を持って、一人一人殺し、殺される。曹操も兵と一つになり、剣を振るい、返り血を浴びた。敵の数は無限だった。味方の兵も疲労が限界になり、倒れるものも出始めた。逃亡しようとする者もいたが、即座に処断した。戦うか死か、それしかなかった。地獄のような世界に、曹操は耐え続けた。将も兵もまた、耐えていたのだ。

 戦に機が訪れた。数日の戦で、敵の中核となる部分が見えてきたのだ。そこを崩せば戦の大勢はこちらに傾く。ただ、その数は十万。曹操は決断した。砦の守備二千ずつを遺してそこに総攻撃をかける。兵には枚(ばい)を噛ませ、馬には草鞋(わらじ)を履かせた。夜陰に紛れ敵の本隊に近づき、夜明けとともに総攻撃を仕掛けた。先鋒の鮑信が雄叫びを上げ、何かに取り憑かれたかのように遮二無二突っ込んでいった。第二段、第三段の夏侯淵と曹洪も突っ込んでいく。曹操も馬腹を蹴った。

 流石に堅陣だった。びくともしない大岩に、何度も体当たりするようなものだった。曹操は血飛沫の中を駆け回り、剣を振るい続けた。鮑信が敵中深く食い込んでいく、その間隙を夏侯淵、曹洪が駆け敵陣を崩していく。見渡す限り敵。地獄のような世界を、たった四つの騎馬隊が駆けまわっていた。馬も兵も限界が近づいてきたとき、見えてきたものがあった。敵の最も硬い一万。恐らく指揮官のいる中枢の部隊。そこを崩せば、黄巾軍は瓦解するはずだ。崩せるか。

 曹操がそう思った瞬間、鮑信が迷うことなくその一万に突っ込んでいった。どこにそんな力を残していたのか、と思うような駆け方だった。人は限界を迎えたさらにその先、急に力が沸いてくることがあることを、曹操は知っていた。まさに鮑信の今の状態がそれだった。そしてその力を出し尽くしたときに、その人間は死ぬ。曹操は懸命に鮑信を追った。