更新頻度が少ないとしても、やはり、安吾さんにリンクしてくるネタでこのブログを書いていくのがふさわしいですね。
「文壇」の崩壊 (講談社文芸文庫)/講談社
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つい先月、講談社文芸文庫から、「文壇の崩壊(十返肇著)」がリリースされていました。坪内祐三さん編集によるものです。年譜によると、1914年(大正3年)生れで、1963年(昭和38年)には、業半ばでお亡くなりになっています。それにしても、1914年生れということは、(乱暴ながら)世代でいうと、ずばり戦中派ですね。日本が敗戦して、おそらく混迷を極めていたであろう時期に、当時の世相と文壇の現場とを、自分の眼で直接見つめ続けてきたからこそ書ける文章が、盛り沢山だよなぁ、と一読して思います。もちろん同じ時期にご活躍された、安吾さんを含む、無頼派様面々のご活躍についても、多くの文面を費やして、紹介してくれてます。

というわけで、それでは、その冒頭作「贋の季節」をさっそく読んでいきましょう。1953年(昭和28年)発表です。もちろんこのブログは安吾さんを取扱うものなので、安吾さんに関連しそうな部分を中心にしてピックアップしていきたいと思います。
まず、著者十返さん自身の生い立ちをも含めた世代論から始まります。安吾さんの「堕落論」は日本の敗戦直後に大ブレイクともいうべく衝撃的な受け取られ方をされたわけですが、その「堕落論」を受容する土壌というのは、敗戦していきなりではなくて、実は戦前戦中からじっくり時間をかけて培われたきた、ということがよくわかります。

<世代>
「年少多感の季節に左翼の崩壊を目撃した私達の世代は、思想の無力さというべきものを戦争以前から感じていた。そして、それはマルキシズムのみならず一切の抽象的体系への不信と、現象のみが唯一の信ずべき大義であるという観念を私たちに与えた。その結果として、いかなる時代が来ようとも、もっとも変化しないのは人間の本能であるという主張となる。生理への観念は変化することがあっても、生理的本能はまがうことなく、いつの世にもあっても人間を動かす。もっとも変動せぬ人間の生理と、最も変動しやすい世相だけが、思想や理論に絶望した現象論者にとって唯一の興味ある対象となったのは当然である。しかも、思想や理論に絶望したペシミストが、皮肉なことに易々として逆のオプティミズム化してくる所以もここにあるのだ。織田のみならず、田村泰次郎の肉体文学も坂口安吾の堕落論も、終戦直後に擡頭した議論はみなこのような共通の場に基盤を置いている。・・・(略)・・・理想も信念も持たない青年にとってヒューマニズムは遠い無縁な主張であり、デカダニズムこそ私達の求めた世界であった。というよりも、デカダニズムの中にしか生きられないような青年と私たちはなった。・・・(略)・・・戦後における絶望とか暗い想念かとか言う傾向は、実はこうして私達の世代では、戦前から、戦前の青年時代から生まれていた。それが戦争によって更に強化されたのであって、戦争や敗戦によって突然生まれたのではない点に、私達以後の世代者との相違がある訳だ」

なるほどです。およそ昭和のヒト桁時代から、日本が敗戦する20年ころまでの時代には、こういう空気があったのでしょうね。美しいだけの思想や理論には、興味を感じることができなくて、いつの世にも変わらない、人間そのものの営みを興味の対象とするしかなくなってしまう。
そういえば、安吾さんもすでに戦中に「日本文化私観」で書かれてましたね。「我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ(日本文化私観)」というあの主張ともリンクしてくるように思います。

<批判>
・・・とはいっても、十返さんは、あくまでも評論家なのです。世代についての考察は以上までで、以下の個所からは「堕落論」へ批判をぶつけていきます。安吾流論法の弱点を、執拗に執拗に攻めてくれます。

「『自分はてんで戦争を呪っていなかった。呪うどころか生れて始めて壮大な見世物のつもりで、まったく見とれて面白かった』と彼は書いている。本当か? あの暗澹たる日々の苦しさを、生命の恐怖に震えていた夜の痛ましさを、いくら彼が軍隊にも引っ張られず、したがって戦場の惨苦を経験しなかったとはいえ、呪わず面白がっていたとすれば、この男は確かにドウカしている。・・・(略)・・・然し問題は更にこういう彼の言葉が、戦後のジャナリズムに拍手喝采されたという点にかかる。戦争を呪っていた筈の人たちが、戦争を面白がっていたという言葉を歓ぶ心理は、果たして戦争にたいする復讐的感情としては認容さるべきか、私には坂口の言葉はハッタリのごとく思われ、かかるハッタリは人間に対する侮蔑のように考えられる。」

ツッコミごもっともです。あの戦時中の東京のことです。食料もロクに配給されてこないし、頭の上からはいつ爆弾が降ってくるのか予想もつかない状況が、延々と続いているのに、「まったく見とれて面白かった」というのは、不自然過ぎますよね。やはり、安吾さんはただものではない、ではなくて、ただドウカしてるのかも。それは言えます。

「もしも、私達の面前に『俺はこれから堕落しようと思っているんだ。堕落したら救われるからネ』などと得意になっているような手合が現れたらどうであろう。しかもそいつが『俺は正しく堕落する考えだ』などといったら、私たちは閉口するよりほかあるまい。それこそ自分に甘えた鼻持ちならぬ観念家である。卑屈にして傲慢なる独善的に自己陶酔でありかつ自己欺瞞。ましてや、かかる人物が、そのような意識を抱くことによって自虐しているなどと考えるならば、それは則ちもっとも低俗な意味での自愛でしかない」

たしかに、この「堕落」は、上記引用部のように、日常の話し言葉になってしまうと、とたんに不自然なものになってしまいますね。現実の世界では「堕落」とは謎すぎて、ピンと来ないから、まず、誰にも受け入れてもらえないと思います。こういった「堕落」の救いようもない観念性というのは、昭和20年代からすでに指摘されていたのですね。
たしかに安吾さんのテキストでいう「堕落」には毒があります。たとえば「堕落」をテキストどおりに肯定してしまうと、仕事も学業も放擲してしまっていいんだ、それが本来の人間を取り戻すことなんだ、ということになってしまいます。でも、それではただの怠け者であり、言葉どおり鼻もちならない自愛にすぎないわけですね。そもそも、「正しい堕落」って何なのでしょうね。「堕落」というワードは、やはり謎過ぎて、惑わされます。

「かような非論理的論理が、敗戦翌年に受けたということは、当時の若い世代が観念的でもよいから、なにかしら自分たちの立場に希望を与えてくれそうな倫理に縋り付きたかった心情を示しており、とくに堕落論が歓ばれたのは、それが過去の現実的地盤を裁断して見せた点にあろう」

まずは、既存の価値観、ものの見方を、歯切れよくバッサリ斬るのが、まず安吾さんの文章の魅力ではありますね。それが敗戦直後の読者的には、かなり気持ちが良かったのかなと思います。

「坂口安吾の堕落論もまた観念上の産物でしかなかったのは現実からの飛躍が、現実の底を見極めることなく徒らに現象を撫で回しただけで簡単至極になされたからである。したがって、世相につれて変化する人間の生活基盤を最初から黙殺している堕落論が、新たな現実の移動とともに早くも忘れられたの自明であった・・・(略)・・・彼が実は常識家であり、今までの言行がその裏返しであったことを暴露したまでである。然し、彼は文学上でも生活上でもやはりこの構え方で押そうとした。然し、それは無理であり、ポーズとなり、観念となり、それまでのような迫真力を失っていった。堕落論もまたかかる彼の倫理一般への否定であったが、それは同時に絶対的倫理へのひたぶるな欲求であった。・・・(略)・・・昭和22年「散る日本」という作品あたりから坂口の作品は急速につまらなくなっていった。常識家であるにも関わらず、なお八方破れ的ポーズを見せようとして、遠慮会釈もなく唯わめき散らしたデタラメぶりが人々の鼻につき、しかも彼の実態が誰の眼にも明らかになったのである。その特攻魂の自爆ぶりは成程たいした度胸ではあったが、それは作家としての度胸というよりも、やけくそになって尻をまくった居直りであった・・・(略)・・・初期の風博士以来、彼は常に人間を茫漠と解放することを希望してきた。そして、その限界における限り彼の態度は明瞭であったが、解放された人間の行方については、いまだかつて書いたことがなかったのも、所詮はその解放が観念的であったがために書けなかったのに他ならぬ。彼の作品は常にその結末において人間を捨て去る。彼は己の描いた人物に責任をもとうとしない作家の一人である。・・・(略)・・・彼の時、かつ描いたところは、たしかに我が国の誤った通俗道徳律や封建制度の欠陥を突いてはいたのであった。しかし、その突手自身が現実上の確固とした基盤に立っていなかったために、突く手が宙に浮いたのである。則ち人間の解放を説きながら、解放された人間は如何にあるべきかには及び得なかった所以である」

まさに安吾文学の弱点をついているよなと思います。「堕落」をすることで、解放された人間は、さて如何にあるべきか。敗戦直後のおそらくアナーキーな世相ならば、堕落論はごもっともな内容だったでしょうが、それでも世の中がだんだん落ち着いてくるにつれて、テキストととしての破壊力もだんだん大人しくなってしまいます。

<提案>
「競輪問題以後、彼は都心を離れて山間の地に移住したが、そうした孤独の環境の中で彼が自己の特異性を成育したならば、彼が次に言っているような言葉も彼自身によって実現されるであろう『我々の思想生活と言うものは観念によるもので、小説が観念的でなくてよい、という場合は、観念生活のあげく観念によって観念をはぎとることができた時にのみ意味をもつ』と・・・(略)・・・坂口はおそらく現代作家のうち観念生活に強く耐えられるだけの強靱性をもつ作家としては石川淳と並ぶ存在である。孤独の中に彼が自らを沈潜し観念を成熟させたならば、彼はたんなる観念的モラリストならぬリアリストとして再生し得るのではなかろうか。そのためには観念的思考の基盤が抽象的理念から時代的現実に移らねばならぬ。観念が人間を変貌させ得る事実を彼が身を持って示すならば、彼のもどかしさも解決されうるであろう。もっとも、それが何時の日か、果たしてその時が来るかは確固としては彼自身にも言えまい」

批判をひととおり済ませたあとは、大胆にも安吾さんへ提案を示しています。ただ、ここの書き方がかなり抽象的になってきてますね。でも、bot中の人的には、なんとなくわかるような気がします。言い方を変えれば、ややこしい世相などにとらわれずに、孤立をおそれず、まず自分の世界を確立することに静かに専念してしまえばいいのではないか、ということなのかなと思います。
たしかに、桐生時代の安吾さんは、創作がふたたび旺盛になっていますね。小説なら「握った手」「保久呂天皇」「女剣士」等々、独自の世界を着実に深めていったように思います。ただ、それはあくまで小説家として地味に進化を続けていたという安吾さんのすばらしさを示しているだけであって、もう、敗戦直後の「堕落論」のようなセンセーショナルな衝撃をもって迎えられるようなことは、以降はもうなかったのかもしれませんね。
「山間の地」とはおそらく桐生のことかと思います。

<むすび>
これらを通読して感じたことは、やはり坂口安吾といえば、戦前戦中の空気を吸ってきたリアルタイムな読者としては、まず何はさておいて「堕落論」なのだ、ということです。思想などというものが無力であり、デカダニズムが醸成されてきたという時代背景が昭和初期からあったこと。戦争とも関係なく基調低音として鳴り響いていたこと。その上で、戦争がはじまったことで、なおさら深まったしまったこと。しんがりに敗戦のどさくさで、既存の価値観がひっくり返ってしまって、そのタイミングで坂口安吾「堕落論」がリリースされたこと。このインパクトがなによりも最強だったのでしょうね。
ちなみに、bot中の人は、太平洋戦争はおろか、安吾さんが現役で活躍されていた時代を知りません。知らないおかげで、ずらり並んだ安吾全集に遺された作品全体を遠巻きに眺めながら、いたって自由に読んで、楽しむことができます。「堕落論」ばかりではなくて、説話調の「紫大納言」「桜の森の満開の下」、ルポルタージュ的な「新日本地理」、コントっぽい「落語教祖列伝」、本格推理小説「不連続殺人事件」だって、堕落論に負けず劣らず抜群に面白いではないか、と思っています。思うに、安吾さんはそもそも戯作に徹する才能もあったし、そして書くことについては誰よりも誠実だったので、結果的に、水準以上のものをどっさり書き上げてしまったというまでのことかなと思います。
なにはさておいて、敗戦直後の、おそらく既存のあらゆるモノやら価値観やらが崩壊に瀕していた時期に過ごされた人間としては、やはり安吾といえば繰り返される呪文のように、生きよ堕ちよの「堕落論」である。これに尽きるのだ。堕落をすることで、人間そのものの本性に立ち返る、このこと以外に人間を救う道はないのだ。この破壊的な言辞が実に深く深く刺さるほど刺激的だった時代だったのですね。
というわけで、今回の結論。「堕落論」の受容プロセスを改めて確認しました次第です。だらだらメモ以上でした。