安吾さんの眼鏡変遷史についてメモします(写真等の引用はすべてウェブ上から行いました)。安吾さんといえば、その丸眼鏡フェイスがインパクト強すぎです。評して「丸眼鏡スト」「昭和三大丸眼鏡」という言葉もツイッター上で目撃しました。的を得過ぎてて、笑いが止まりません。もっと流行っちゃってください。
ただ、眼鏡というキーワードで全集をいろいろ探ってみますと、ご本人は、丸眼鏡(ラウンドタイプ)にこだわっていた様子はそれほど無さそうですね。眼鏡は、実用品でしかなくて、その時代に出回っていたものを自然にセレクトしていただけでは、という印象です。
それではまず、安吾さんと眼鏡の出会い。有名な以下のエピソードを読みなおしてみます。おせじにも幸福な出会いとは言えません。偉大なる落伍者の原点ですらあります。
「私は小学校の時から近眼であったが、中学へ入ったときからは眼鏡なしでは最前列へでても黒板の字が見えない。私の母は眼鏡を買ってくれなかった。私は眼が見えなくて英語も数学もわからなくなり、その真相が見破られるのが恥ずかしくて、学校を休むようになった。ようやく眼鏡をかってもらえたので天にも昇る気持ちで今度は大いに勉強しようと思ったのに、私が又不注意でどういうわけだか黒眼鏡を買ってしまったのだ。(石の思い)」
中学校からいきなり①黒眼鏡セレクトです。そして、黒板の字が見えないことやら、眼鏡が壊されたことやらで、お勉強に気持ちが乗らない件、なんだか言い訳めいてるようにも思います。
ただ、残念なのは中学生当時の眼鏡顔写真が残っていないので、黒眼鏡事件の真偽は、けっきょく不明ですよね。その当時の黒眼鏡とはどういうものなのでしょう。いろいろ検索しましたが、さすがに特定しづらいです。
以下文面なんかは、近眼あるあるを代弁してくれてて、親近感がわきますね。視界のボヤボヤ加減と作業のしづらさとが、よくわかります。
「私はいつか眼鏡をこわしたことがあった。生憎眼鏡を買う金がなかったのに、机に向かわなければならない仕事があった。顔を紙のすぐ近くまで下げてゆくと、成る程書いた文字は見える。又、その上下左右の一団の文字だけは、そこだけ望遠鏡の中のように確かに見えるのである。けれどもそういう状態では小説を書くことはできない。そういう人の不自由さを痛感させられたのであった(文字と速力と文学)」
ちなみに、いつか安吾忌で聞いた綱男さん談話によると、眼鏡のレンズの度はー5Dで、ご本人の視力は0.02くらいだったのではないかとのことです。納得です。
②引き続いて、東洋大学学生時代のポートレイト。縁のない、いわゆるツーポイントですね。仏教的な悟りをつかみたく、代用教員をやめて、大学でインド哲学を専攻されていたときのもの。生真面目に思索に耽る学生さんというイメージです。

③昭和18年新潟帰省時のポートレイト。「風博士」で作家デビューは果たしたものの、まだまだ売れっ子とはほど遠く、京都やら取手やらあちこち放浪されていた時期のものですね。フレームは黒。細い金属縁。一山タイプの丸眼鏡ではないかと思われます。

④そしてこれは林忠彦でおなじみ。有名な汚部屋でのポートレイト。いわゆるロイド眼鏡です。黒のセルフレーム。ノーズパッドも付いているように見えます。安吾さんといえばこれですね。

⑤昭和20年代後半、桐生時代のポートレイト。丸眼鏡のようですが、ボストンタイプに近いですね。ブリッジの下にキーホールという窪みもあります。アメリカンな型の眼鏡がこの年代に入ってきたのでしょうか。

⑥そして、もうひとつ桐生時代のポートレイト。安岡章太郎さんと並んで撮られたもの。ここまできて、趣向が急に変わって、細いフレームの金属縁に変わっています。レンズは真円ではなくて、すこし横長でオーバルタイプのようにも見えます。個人的にはこの変化気になります。

さて、こうして当時のポートレイトをあげつらいながら、bot中の人はいったい何を言いたいのでしょう。
けっきょく、安吾さんは生涯通して、眼鏡はほとんどラウンドタイプでしたが、それでも、残された文面からは、形へのこだわりは、あまり感じられないように思った、ということです。
もしも、もう少し長生きされていたら、その折々の流行に合わせて、ボストンタイプ、ウェリントンタイプあたりもセレクトされて、着用されてたのかも、と想像してしまいます。
(さすがに、フォックスタイプは想像しづらいですが)
なお、本ブログ執筆にあたり、丸眼鏡研究会のウェブサイトはいろいろ参考になりました。おそらく、③昭和18年ご使用のはカイチ、⑤昭和20年代後半ご使用のはデシポンあたりでかなり再現できるのではないでしょうか。
いちばん安吾らしい④は現行モデルではなかなか難しそうですね。特注が必要でしょうか。
というわけで、メモ以上です。では。