東京瘋癲酔人日記 -16ページ目

東京瘋癲酔人日記

夜の街で飲み歩く、私、安吾の日記。

キャバクラ、BAR、居酒屋などで見かけた様々な事柄を綴りながら、自作の小説も発表しています。

266c975e.jpg まずは、食事である。
今日はショコタン並みにブログをアップしてみよう。
 今は無き「キャバクラ総合会議室」では、一部の人が「予告登板」をしていた。

 予告登板とは「今夜(もしくは○月×日に)、キャバクラ●◎に行きます」と板の上で宣言することである。
 予告登板をする人がでると、その書き手を観察しにその店に行ったり、突発的なオフ会になったりすることがあった。
 さて、私、今日、予告登板することにする。場所は歌舞伎町。店はこれから会う遊び仲間と決めるので、今は、発表できない。
 あとで、モブログで書き込むかもしれないので、興味のある方は、どうぞ、、、

 ちなみに、アクセスが1000件を越えた記念の暴挙である。
 年を取るごとに偏食の度合いが強くなってきた。

 若いうちはなんでも頂けたが、それは欲のせいだろう。若いうち、特に10代後半から20代前半は、頂けるものならとにかく頂きたいという時期だ。
 その時期を過ぎると「好きなものを頂きたい」という傾向になる。好きなものとおいしいものとは、似て非なる基準である。おにぎりが好きの人にとっては、あまりおいしくないおにぎりでも「好きだから頂く」と言う形になるが、おにぎりが嫌いな人は、どんなにおいしいおにぎりでも、頂かないか、一口ぐらいが関の山である。
 この傾向は、欲が減退してくればくるほど強くなる。しかし、おにぎりが嫌いの人でも、自分の好きな人が作ったおにぎりなら、食べるのではないだろうか。うまいまずいを問わず「このおにぎりは自分のためだけに握られたおにぎりであり、他の人は食べることができないおにぎりである」となれば、喜んで食べるのではないだろうか。つまり「おにぎり」に欲を満たす以外の意味づけがでてくることにより、欲を越えた部分での充実が得られるということである。
 また、欲が減退してくると、好きなものでも欲を満たす以外の意味づけがないと、たくさん頂こうとは思わなくなる。そして、欲が減退して、偏食の度合いが強くなっても、欲を越えた部分での充実は、まったく違うステージで喜びを与えてくれるのだ。

 私はなんの話をしているのだろう、、、わかる人にはわかると思うが、遊びと本気の話である。
 めんどくさいのは、こういった話とは別に、男には「狩猟本能」があるということだ。仕事でその本能を満たすこともあるが、やはり異性にそれが向く。
 まったく、男というのは、しょうがないな、、、