僕は「小説を書く」という行為の大半を「技術的側面」が占めていると考えている。そういう前提に立って物語を書いている。
そういうわけで、もし、その大半が技術であるならば、その技術はテーマに関わらず普遍的に活かせるものではないだろうか、という仮説が生まれた。言い換えれば、どんなテーマであれ、技術があるなら一次選考くらいは通過できるはずだ、ということだ。
上品とは言えないテーマ、と題にあるが、本当に下品なのは僕のこういった動機の方なわけだが、、、まぁ、手段にこだわるほどの余裕はないので許してほしい。
そういうわけで僕はマスターベーションをテーマに書いた小説をすばる文学賞に送り、一次を通過した。
さらに調子に乗って、大した経験もないくせに官能小説を書き、フランス書院に送り、一次選考を通過した。
この二つのデータによって僕の仮説はかなり補強されたし、そういった前提の上に立って、二、三飛び跳ねてみると、「うん、この前提の上にある程度大きなものを立ててしまってもいいんじゃないかな?」っていう気がしてくる。
そうして僕は生活しながら文章を書く。うまくいけば「小説として書くべき何か」に出会う事ができて、その時に僕の文章技術は「書くことのできる」領域に達しているんじゃないかなって願いながら。
※こんなふうに言うと、「書くべき何か」がないくせに小説家になろう、なんておかしな話じゃないかと言われそうだ。その通りだ。
僕にはかつて、書くべき何かがあった。そして、その「書くべき何か」はすでに小説に書き終えてしまった。「白カラスに気をつけて」というタイトルで応募済だ。これから半年ほど経ってから結果が分かる。
もしも落ちていたら、僕は同じテーマでまた新しい小説を書く。テーマは、技術と異なり、進化しないものだ。経時変化しない、といった方がいいかもしれない。僕らは人類が誕生した頃から同じ様なテーマを、その時世に合った形に加工する。問題はその加工技術なのだ。その部分ならいくらでも改善のしようがある。