恩師、故・代田文彦は、経穴のイメージを雑誌に発表したことがあるが、合谷については<針麻酔に使うツボ>以外のイメージがないと書いていた。針麻酔がよく効く身体部位は、脳蓋内手術の際してあったことは知られている。合谷は頭部症状に関係しそうだとはいえそうである。

 

 

脳手術というとわが国の針灸師にとって別世界の話になる。合谷が効きそうな身近な疾患としては、咽痛がある。面疔も効果あるとされるが現代では抗生物質を使って治療するのが当たり前になってしまった。

整形外科疾患では母指内転筋症が重要であり、合谷運動針で即効性がある。

 

 

 

1.面疔に対する合谷多壮灸の効果

針灸師であれば合谷を知らない者はいない。しかしその適応症も知識としては知っている筈だ。最も有名なのは、明治から昭和初期に流行った「桜井戸の灸」だろう。面疔に対して、痛みが楽になるまで合谷に多壮灸(数十~数百壮)する。家伝の灸によくある話だが治効理論といったものはない。ただし古典でいう四総穴の一つであって、<面口合谷に収める>といった文節が存在する。

 面口とは顔面の下半分、すなわち、鼻・口・顎あたりをいうが、昔の合戦で敵の刃から顔面と咽を防御するため、面頬(めんぽお)という道具を使ったりしもした。面頬で隠れる部分が、合谷の効く範囲(鼻口顎咽あたり)に一致するのが興味深い。

 


 

   私は合谷の灸がなぜ面疔に効くのかを推理して、すでに本ブログに発表した。その内容をかいつまんで紹介すると、合谷刺激→脊髄→脊髄視床路→視床→大脳という痛みの伝達過程で、一部は脊髄視床から三叉神経脊髄路に分岐し、三叉神経反応をもたらすのではないか。この三叉神経反応の特徴は、末梢三叉神経分布とは異なり、タマネギ様の同心円の縞模様になり、オニオンスキンフェースとも称される。合谷を刺激すると、鼻や口を中心とした顔面部症状に治効があるといえそうだ、とした。
本ブログに発表しているので、こちらを御覧ください。

  

 

2.咽痛に対する合谷多数浅刺の効果


1)咽痛に対する素霊の一本針「合谷」刺針

柳谷素霊著「秘法一本針伝書」の中には、咽痛にしての合谷多数浅刺が効くと書かれている。その内容を簡単に紹介する。
正座位、両手を膝の上に起き、腹部に力を入れさせ、健側の手を強く握らせる。直径1寸3分(3.5cm前後)の丸竹を患側の手に握らせ、合谷を刺針点とする。

 


吸気を腹まで入れる心持ちでウンと力を入れさせ、その時に細指術(針管を使って細い針でごく軽く弾入。針管内の針体の弾性により針柄頭は元の位置に戻る。これを反復して実施)。皮膚が発赤するまで繰り返す。針響が前腕に響くか上腕まで達するか、喉に至るならば成功。また反復刺激していると穴処が赤潮し、または軽く血滲むようになれば咽痛は軽減する。とくに扁桃炎に効あり。

※柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」にも喉痛と書いてある。しかしのどの痛みのことを、喉痛と表記するのは間違いである。咽頭症状は主にのどの痛みだが、喉頭症状は咳と嗄声になる。
 

2)咽痛に対して合谷刺激が効果的な理由
     
合谷は大腸経のツボ→その表裏関係にあるのは肺経→呼吸器症状である咽痛に効くといった思考は、時代に取り残されるばかりである。
      

合谷がなぜ咽痛に効果あるのだろうか。それは前述した面疔に対する合谷多壮年  灸と同じことがいえるだろう。ここで使っている細指術刺激は、面疔に対する合谷  多壮灸と同じく、皮膚刺激だという共通点がある。

合谷皮膚刺激は、脊髄視床路を経由して大脳に伝達するが、C1~C4頸髄レベ  ルで三叉神経脊髄路も刺激が伝達され、顔面部のオニオンスキンパターンに対応し  た範囲で治効が及ぶのだろう。

 











 

   令和8年9月27日、針灸奮起の会有志の面々とともに、埼玉県坂戸市にある道教廟「聖天宮」を参拝してきた。「聖天宮」はわが国で最大規模になる。道教とは、祖先を敬うのではなく、自分自身を不死になる修行を学ぶ宗教で、死後のことは興味の対象とはならない。健康で天寿を全うするのが目的とするので、伝統中国医学とつながる面がある。聖天宮への参拝記念写真を紹介する。なお本廟は、休館日はないが閉門は午後4時と早いので、来訪時間は要注意である。

 


聖天宮入場券 大人500円

  
1.きらびやかな外観
   きらびやかな外観は、仏教的な浄土や死後の世界ではなく、 神仙になった者のみが往来できる天上世界を表現している。道教の最高神は「天帝」(わが国でいう「天」と同じ意味合い)。葛飾柴又の帝釈天(たいしゃくてん)とは仏教における天帝の別称。聖天宮は天帝に次ぐ三清道祖(さんせいどうそ、詳細後述)を祀っている。
 


 
2.天門(下写真右の門)
 

 


 最初に目にする門で聖天宮の入口である。廟で多用する赤色は、中国では子どもが授かるという意味がある。天門の屋根は黄色い瓦屋根で、尖端部のうねった龍の屋根飾がある。反り上がった黄色い瓦屋根は五行の「中央」を意味。龍は神の使いとされる。屋根の最上部中央は脊頂といい、天門と前殿には龍玉(如意宝珠)がある。如意宝珠とは願いがかなう尖端が尖った球形の宝石。
 前門基部には2対の獅子がある。片方が口を開けた阿形(あぎょう)、もう片方が口を閉じた吽形(うんぎょう)で、併せて阿吽(あうん)で物事の始まりと終わりあるいは生と死をさすものだが、実際に置いていたのは、2体とも同じ形であった。神社では獅子ではなく狛犬が置かれているが起源は同じ。
 



3.前殿

 

前殿の前でガイドの説明を受ける参拝の方々


    前殿の外観は天門と似ているが、 前殿の内部には空間がある。聖籤(せいせん)(おみくじ)ほか縁起物が置かれている。これは神社にあるおみくじと同じようなもの。
     前殿の天井には八卦天井がある。八卦とは万物の法則を示し、天の入口まで続く。
 前殿の両脇には東側に鐘楼、西側に鼓楼が建つ。鐘は陽、鼓は陰を示す。聖天宮では機械仕掛けで午後3時に鼓と鐘が叩かれ、ドン・チンといった音が12回ずつ鳴る。
 楼は登ることもできる。私は午後3時に鼓楼に登り、音を体感しようと思った。時間が来ると、ドラム缶をコンクリートに落下させるようなドッカーンとした大きな音で、どこか壊れたのではないかと思うほどの大音量であった。まあ遠く離れて聴く分には丁度良い音量になるらしい。
 




4.客丁と行事場
 前殿と本殿は客庁(休憩室)と行事場を介して繋がり、通路沿いの壁と天井には神仙世界が描かれている。

1)九竜柱と九竜網
 

 


前殿・本殿にある高さ5mの龍の透かし彫りが施された九龍柱と石板彫刻の九竜網。     「九」は中国語発音で永久の「久」につながる。龍は神の使い。

2)八仙綵(さい)(八仙刺繍)
 八人の仙人をモチーフとし、本殿入口に掛けている。浄穢(じようえ)(清浄な処と穢れている処)の境界線。

3)天公炉

 本殿に入る前に、本殿を背にして線香3本に火をつけ、天公炉内に立て、天を仰いで天帝に謝意を煙にのせて伝える。天帝とは、我が国でいう「天」と同じ概念。

 天公炉は少し高い台上に設置されていて、周りを石製の柵で囲んでいる。柵を支える支柱には石の球体がいくつも設置されているが、球体には隙間があり、内部にやや小さい石の球体が入っている。その中にはさらに小さい球体がある。つまり三重の球体になっている。指で押圧すると、内部の球体を動かすこともできる。
 

 


4)台湾グッズとスイーツ自販機、休憩所
 オリジナルグッズ・台湾スィーツ、小龍包などの冷凍食品など珍商品がある自販機がある。客庁には立派な休憩スペースも完備している。 
 

 私が購入したのは、ココナツミルクで170円だっだ。これだけが少々安く、他の缶ジュースは230円のものが大半だった。このココナツミルクはサラッとして喉が乾いた時には美味しいとは思うだろうが薄味だった。
 


5.本殿
 


 

 


 本殿屋根には双龍拝塔を配置。 双龍拝塔とは、2頭の龍が中央の宝塔を挟んで向かい合っている縁起の良い装飾様式。本殿は太極天井である。太極天井は宇宙の始まりや万物の成り立ちを表している。一本の釘も使わず、組木細工でつくられた。
 

本尊の三清祖←残り3本の線香に火をつけ、拝礼。
 道徳天尊:人間を導く道徳を説く。
 元始天尊:宇宙の始まりや根源を司る
 霊宝天尊:真理や経典を伝え、気の流れを司る。
 

 

6.寿金亭 
 西側外苑には寿金亭がある。神様へのお礼や願い事をする際、本殿で金箔の貼られた「寿金(紙の模擬紙幣)」を買い求め、炉に入れ燃やす。煙に乗せて願いを天に届ける。
 

紙製の紙幣と線香販売(少々値段が高い)
 


7.聖天宮、一問一答


Q1:道教廟はなぜ、こうも派手なのですか?
A1:道教は死後のことよるも、不死を目標として修行する宗教であり、その理想形は深山幽谷に住み、霧を食べて生きながらえる仙人になることにあった。その仙人のみる理想世界が道教廟である。道教廟は、道士の修行の場として急峻の山の頂上に建立されることも多かった。

 その一方で一般大衆が日常的に参拝しやすいように街中にもつくられた。ただし信者を増やすため、大衆受けをねらって陰陽五行説や土着信仰も取り入れたので、道教本来の不死へ修行場としての性質からは遠のいた。わが国でも神社の参道沿いには、名物料理を食わせたりみやげ物を売るなどの娯楽的要素があるのと同じ。道教は死者を顧みないので、墓地が隣接されるということはない。この点も神道と同じである。

Q2:道教と針灸の関わりには、どんなものがありますか?
A2:道教が自分の寿命を長くたもとうとする方法を修行するものであるなら、人間の身 体のしくみに関する内容も記述している。
①人体内部にある神々のなかでも、最重要なのは、生命の中枢である三つの丹田である。第一の丹田は脳(泥丸宮)、第二は心(絳宮)、第三は臍下(下丹田)で、それぞれ脳・胸(心臓)・腹の司令部に相当する。
 泥丸宮とは脳みそのことで、死後は脳は融解してドロドロになることから命名されたものだろう。絳宮(こうきゅう)の絳とは、紅の類義語で深紅の色のこと。心臓が血を動かすポンプだということ。下丹田は、下腹にある腹大動脈の拍動のことで、腎水を熱して蒸気を生み出す生命エネルギー源としての蒸気機関と認識していた。


Q3:道教にとってのは呼吸法の重要性は?
A3:息を吸う時、空気は肝・腎より下に気が下りることはない。これは気の関所である 関元で止めるからであるが、道士(道教の達人)は、空気を消化器官に飲み込むので、 關元より下に気を導くことができる。これは蒸気機関に空気を送り込むことで生命の炎を大きくする目的があった。

Q4:丹田は神に属するが、霊魂は低い地位におかれる。その理由は?
A4:人が死ねば呼吸や心臓は停止し体温も低下するが、魂は肉体を離脱して天へと上って、雲としてしばらくの間は下界を見守る。残された肉体は、やがて骨となり魄として 地中に留まる。雲と骨はどちらも白色との共通点がある。
魂魄という言葉ですぐに連想されるのが、背部膀胱經二行にある魂門(Th9棘突起下 外方1.5に肝兪をとり、その外方1.5寸)と魄戸(Th3棘突起下外方1.5寸に肺兪をとり、 その外方15寸)である。背部膀胱經一行ラインには臓腑名のついた兪穴が並んでいる が、背部膀胱經二行ラインは臓腑によって養われる霊と関係しているようだ。   
たとえば脾兪外方1.5寸に意舎、腎兪外方1.5寸に志室、心兪1.5寸に神堂などという のも同じことである。




 
     
      

 

     針灸学校教育では、陰陽五行は習うのだが、その後に成立した道教のことは習わない。道教を知らないと昔の中国人の発想が十分に理解できない。「神」「魂」「魄」といった言葉も、実は道教思想に根づいている。道教思想は別に難しくはなく、その内容を理解すれば、なるほどと感じ入るものが多い。これは中国医学を深く理解する上で非常に有意義なことである。
 
1.「神」とは何か

     神という漢字は、「示」(祭壇)+申(稲妻)で構成される。人知を超えた存在。(雷に打たれた材木で作った祭壇が最も貴重とされた) ただし伝統中国医学でいう「神」とは、いわゆる神様とは無関係で、知性ある生命すなわち現在でいう大脳前頭葉が健全な者のことをいう。医古文で「神なし」というのは狂人のことである。
     一方、道教では脳を上丹田として泥丸宮(にがんきゅう)としている。これは脳味噌的な呼び名であって、現代科学的理解からはほど遠い。

 道教ではその役割に応じて八百万の神々がいるが、しかし人々を圧倒する存在感というより雑多に神々が大勢いるイメージである。そうした中にあって三清道祖(道徳天尊・元始天尊・霊宝天尊)を最高位とする。道教廟では、この三清道祖の像を本殿祭壇中央に据えている。

 

    ただし真の最高神は天帝で、宇宙と万物をつかさどるとされる。天帝とは仏教寺院では帝釈天と名を変えるが、中身は同じ。わが国では「天」として理解する者が多い。

天帝=帝釈天=天の神=天、となる。

 

 
2.「精」とは何か
 

 「精」は<研ぎ汁が青く澄むまで米を洗う>というのが元々の意味で、核心あるいは種というニュアンスに変化した。道教では、空気中にある栄養素(≒酸素)が、腎にある精(生命の核心)と交わって神(=大脳活動)を滋養する役割をもつ。
 道教修験者は、空気中にある栄養物質(≒酸素)をなるべく大量に体内に取り込み、腎にある精を増すことで神を栄養するのだが、息を息を吐き出してしまうと、神を十分に影響できないので、息止めの修行を行った。
 長い時間の息止めは、大気中の酸素を身体各部に取り込むことができ、脳(上丹田)や心臓(中丹田)を養うことができる。しかし息を下腹にある下丹田まで取り込むには呼吸法の修行を必要とした。
    下丹田に多量の空気を送り込むと、関元の炎も大きくなる。ちなみに「丹」とは炎の色でもある。硫化水銀(HgS)は天然では辰砂として存在する。辰砂を熱すると朱色になり、その蒸気を冷やすと水銀になることから、水銀は丹を増やす作用があることから、永遠の生命を得る霊薬であるとされた。
 

3.「魂」「霊」とは何か

 道教は永遠の命を獲得するための道を修行するのだが、死を前提とした考えに魂魄という概念がある。肉体と精神は死後は魂魄は分解して、「魂」は天に昇り、「魄」は地上に残りやがて白骨となる。

 「魄」は「白(骨)」+「鬼」に分解できるが、鬼とは生者でない者すなわち死者のことをさす。魂の目に見えないもの=心とするると、魄は、死者の骨=目に見えるもの=肉体という、魂の対立概念となる。 魂は「云」+「鬼」に分解できる。「云」は天上にある雲、「鬼」は死者のことである。「厶」は自分自身のこと。これらを併せて自分自身が死後に天に上って雲としての存在になることである。

 現代に伝わる鬼のイメージは後世の者がつくりあげたものにすぎない。



 なおキリスト教の世界では「霊」(スピリット)と「魂」(ソウル)は別物だとみなされる。魂=心であり、人が死んでもその人の魂は生き続ける。この魂は、個人特有の心の本質部分であり消滅しない。輪廻して別の生物として継続して存在する。


 

  魂が人の生死とは関係なく存在するのに対し、「霊」は、生命を失った後に新しく誕生する。残存した感情や生へのエネルギーであるが、時間の経過とともに余分なものが削ぎ落とされ、徐々に消滅する。霊をなだめるのが宗教により名前は異なるが供養や法要である。

 魂の中身は個人ごとに異なるが、霊になると個性が乏しくなり個々の人の特定は困難になる。霊の一部は草や石などの自然会の万物の守護に関わるものとなり、三十三回忌を過ぎると天に昇り、祖先としての存在になって、鎮守となり地域を見守る。

 わが国の民俗学の父、柳田国男によれば、人が死ぬとすぐに天に昇るのではなく、山へと向かい、山から子孫を見下ろして、残された者を見ているとした。残された者は決して孤独ではなく、祖先に見守られながら生きている。昔の人は、山や雲を眺めては自分の祖先のことを回想していたのだろう。山から自分の子孫の家には、年に2回、盆と正月に戻り、子孫と親しむ。(柳田国男著「祖先の話」)

     もっとも儒教の創始者である孔子は、「怪力乱神を語らず」として、神秘的な現象やあの世のことよりも、「今をどう生きるか」という現実の道徳や政治を重視した。神秘的な神霊(神)については否定しないものの距離を置き、積極的に関わろうとしなかった。この立場はキリスト教の真逆である。キリスト教は神と契約し取引する。わが国でキリスト教が一定以上に広がらないのは、日本人のもつ儒教的素養(=宗教に縛られないが、日常に溶け込んでいる)があるからだろう。

 

4.「神」「霊」「魂」の名のつく正穴
 

 「神」「霊」「魂」のついた正穴分布を調べると何か分かることがあるのではないか。

このように思って正穴の分布を調べると、次のことが判明した。
 ①これらのツボは下半身には存在しない。

 ②「神」「霊」のつく経穴は、頭部・心経・前胸部・中背部と解剖学的に脳や心臓に

  関わる位置にあるが、両者の区別に特徴的なものは発見できなかった。つまり経

  穴的には、同じようなニュアンスで使われていることがわかった。

 ③魂のつくのは魂門一穴だけだった。
 

1)魂のつく正穴(1穴)

 ①魂門(膀): 中背部にある。魂(たましい)。目に見えぬ気をつかさどる。同系統

   のツボに魄戸があるので併せて説明する。
   魂は気をつかさどり死ぬと天にのぼり神となる。形(=肉体)を主どるのは魄。  

   魄は地上に止まって鬼となる。鬼とは得体の知れない亡者で人間ではない。
   魂門は肝兪の外方1.5寸にとる。魂は五行でいう肝の五神になる。

   魄戸は肺兪の外方1.5寸にとる。魄は五行でいう金の五神になる。
    ここでいう神とは精神活動のこと。


2)霊のつく正穴(5穴)

 ①青霊(心):青=若い、未熟。青霊とは生まれたばかりの霊、すなわち死亡して

   肉体を失うのと引き換えに誕生したばかりの霊。死後硬直が始まって、上腕二

   頭筋が動かなくなって肘の伸縮ができなくなっている。青霊穴も硬直してい

   る。

   仰臥位で手を下げた肢位で、上腕にある青霊は、背部Th6棘突起下にある霊台

   (督)墟とほぼ同じ高さにある。霊台の語源は後述。青霊は、霊台の分身的存在

   になる。

 ②霊台(督):霊墟と対峙している。腹臥位になると、このあたりが最も隆起する

    処。

 ③霊墟(腎):「墟」は遺構のことで、土を盛った墓をさす。墓の中にはすでに霊

    が抜けた後の骨だけが残っている。霊墟のツボの位置は、仰臥位になると大

    胸筋が最も隆起する処。
 ④霊道(心):右手掌を胸にあてがうと、手関節尺側が、心臓あたりに位置するこ

    とから、 心臓に関係する道すじとした。

 ⑤承霊(胆):「承」は受ける、「霊」は神(=知性)。通天と同じく頭頂にあり、思

                  惟活動に関与している。

 

3)神のつく正穴(8穴)

 ①神蔵(腎) :前胸部。心に近い紫宮の両側で霊墟の上にあり、神霊(=心)を

    守る。
 ②神堂(膀) :上背部で心兪の傍にある。心の精神である神を蔵する部。
 ③神封(腎): 読みは<しんぽう>。「神」=心、「封」=封鎖→領域。心に近い領

    域。
 ④神門(心): 手関節尺側にある。神は大脳活動で知性のこと。「心」には、心拍 

    数に影響を与えるもの=喜怒哀楽との意味もある。胸の中央に手をあてる

    と、神門穴あたりがちょうど心臓の位置になる。
 ⑤神闕(任):「神」は生命、「闕」は要塞や都市を守る城壁の大きな門、また門間

    の通路。「闕」は体内への入口という意味。臍からへその緒を伝い胎児は滋養

    されるので、臍は神の気の出入口だとする。
 ⑥神庭(督):前頭部にある。脳は神の府であり、「庭」は門庭(前庭)

      神庭(拝殿)→本神(本殿)→頭維の亀裂から脳(御神体)へ達する。
 ⑦本神(胆): 前頭部にある。神庭に横にある。神=脳(知性)。  
 ⑧神道(督):左右の「心兪」の間の後正中。神には「心」「脳」の2つの意味が

    あるが、神道では「心」とく心拍に変化をもたらす感情(怒喜思憂驚)を意

    味。  

1.炷 

    これまでのを私は、針灸免許をとって十年過ぎた頃まで、モグサをひねって小さくして立てたものを艾柱(がいちゅう)と誤って記憶していた。針灸学校教員になり、灸基礎実技を教える立場になって、艾炷だと知って仰天した。<炷>という文字の存在を認識していなかったのだった。 


1)線香の燃えつきる時間 
 坐禅と厳しい修行で知られる永平寺に一年間、座禅修行に行った人の本を読んでいる時こと。「時間にして四十分、一炷とよばれるこの時間は、線香が一本燃えつきる時間を意味し、永平寺の座禅はすべてこの一炷単位で構成される‥‥との記載を発見した。こうしたところにも<炷> という漢字が使われている。
そこで<一炷>について漢和辞典で調べてみると、<禅寺では線香が1本燃え尽きるまでの時間(40分)を一炷と呼び、坐禅を行う時間の単位とした‥‥>とあった。永平寺で使われている線香は、長寸タイプらしい。というのも、時計がなかった時代には、線香の燃えつきる時間を一つの単位とした。ゆえに線香の長さには決まった単位があって、票準とされた中寸サイズは、13~14㎝の長さで、燃焼時間約25分だということなので。

 江戸時代、遊郭では線香の火がたち消えるまでが芸子と遊ぶ時間と決まっていて、延長する場合2本3本と線香の火を足していった。線香が1本燃えつきる間、客人を飽きさせないよう接待できるようになることを一人前といい、一人前になったことを一本立ちといった。一本立ちの語源はここから来ているという。ちなみに線香1本分の遊び代は、現在の価格で2万円程度だという。

 線香の燃え方が一定であることから、江戸時代以前には時計として利用された事実もある。これを線香時計あるいは香時計とよぶ。

 線香時計とは線香を横に寝かせた長方形の器の両サイドに、溝が切ってあり、そこに糸を横たわらせ、その先には「青銅の玉」がある。時が経って線香が次第に燃え、やがて線香の火が糸の処に行くと、熱が糸を焼き、すると玉が落下して、下の鈴を鳴らす。現代でいう時報に似ている。

 

 

 香時計とは、灰床の上に、抹香(まっこう:粉末状の香)を播き、直線を折り曲げた規則正しい幾何学模様を描いておく。その一端に火をつけ、燃え進んだ長さで時刻を計る。灰床の大きさに合わせた木製の板に、一筆書きのような迷路模様のスリットが開けてあるのを用意しておき、この木枠を灰床の上に置き、スリットにお香を敷きつめておく。
 

 


  

2)炷(しゅ)とは?  
 <炷>の意味を辞書で調べてみると、①灯す。芯をたてて明かりをつける。または線香をたてて灯す。②線香などを数える単位、とあった。
そうであれば艾炷とはモグサを燃やすこと、あるいは燃やすべきモグサというような意味になるだろう。その燃え方は、ボッと一度に全部が燃えるのではなく、まるで線香のように、下へ下へとゆっくり火が燃え移る様を思い浮かべる。<灸>という漢字は火+久に分解できるが、この<久>には<長く続く>の意味があり、<灸>の文字全体としての意味には、

<長く続いてもえる火>という意味がある。  

 通常の半米粒大や米粒大艾炷の丈夫に点火すると、ゆっくりと下方に燃え、全部燃えて終了する。このような小さなかたまりでは気づきにくいことだが、燃焼丸めた点灸用上質もぐさの隅から火をつけても、まるで野焼きのように、途中で絶ち消えることなく、一定の速度でゆっくりと燃え広がり、最後には灰のかたまりになる。 これも特筆すべき、もぐさの特徴的な燃え方である。
 実際にそうなるかを、確かめてみた。2gの点灸用上質もぐさの一端を点火して、燃え方を観察すると、見事にゆっくりと燃え広がったのだった。

 

 

3)炷(た)くとは

 ある日、70歳くらいの女性患者の治療をしていたら、家でお灸を炷(た)いた‥‥」という表現をした。ご飯を炊く、風呂を焚く、とはいうが、灸を炷くというのは違和感があった。そこでネットで「炷く」およびその類義語を調べてみた。

 炊く:食物を煮る。
 薫く:くすべて煙をたてる。火をつけて香をもやす。
 焚く:①炎や煙をふき出してもえる、もやす。②ある程度の広さがある空間で、香に

  直接火をつけて匂いを漂わせる。
 炷く:①間接的に熱を加えることにより、香木に含まれる香り成分をゆるやかに解

  き放つ。②線香に火をつけてもやす。

 つまり「炷く」とは、香りを放ちながら、ゆっくりと燃やす、といったニュアンスになると思った。 

 


2.艾と蓬

 もぐさは漢字では艾になるが、よもぎは漢字では艾と蓬の2種類ある。そこで艾と蓬の違いを漢和辞典で調べると、艾は<刈り取った草> で、蓬は<ぼうぼうと生えている草>だという。
 確かに、もぐさを製造するには、まずよもぎを切ることから始める。
ヨモギはかつては河原などでごく普通にみられる野草だった。

 

3.壮

 お灸をすえる単位には、<壮>を用いる。代田文誌著「十四經図解 鍼灸読本」(絶版)を見ていたら、<壮>という単位を使う理由が書いてあった。以下引用する。「灸一灼を一壮と云うは、壮年の人にあてて幾灼と定めたれば、壮と云えり。年寄りたる者、いとけなき者は、ほどほどにつけて、その数を減ずるなり。」(榊原玄輔著「榊巷談苑」より)

壮には、盛んにする、元気づけるという意味がある。
 以下余談。現代では壮年は、青年期の次に迎える時期をさすようで、気力体力ともに充実した働き盛りの年頃をいう。
ちなみに熟年という言葉は新しく考案されたもので、1980年代からマスコミを中心に広がった。もとは老人ということだが、現代では中高年の意味に使われている。

 

4.線香の原料

       
 線香は、基材+接着剤+香料水を練り合わせ乾燥させて製造する。わが国では

70%が淡路島製。淡路島の漁民が冬場、漁に出られない時期の、内職仕事として始まった。

1)基材としての杉葉粉

 

 

 杉の葉を乾燥させ、粉砕して粉にする。杉粉の特徴は、火付きが良く、燃やすと昔懐かしい焚き火のような、素朴で独特な強い香りがする。煙が多いので、現代では主にお墓参り用の線香として広く親しまれている。

2)接着剤としての椨(たぶ)樹皮

 

 樹皮採取に際しては、幹の一部を縦に浅くナタで削ぐようにすると、再生できる。全周を削いだり、幹の芯の部分まで傷つけると復活しなくなる。


 

 

 椨は日本の南方で広くみられる常緑広葉樹。この樹皮は、線香製造の際のノリ粉(粘着剤・成型材)の役割がある樹皮は再生するので、何度も採取できる。椨の樹皮や葉を乾燥させ、細かいく乾燥して粉末にする。 これに水や熱湯を加えることで強い粘り気が出てくる。杉の葉の粉末だけではボソボソ として固まらないため、椨を「天然のつなぎ(のり粉)」として混ぜ合わせることで、初めて細長い線香の形に成型できるようになる。椨自体は燃やしても香りがしないため、杉や香料の邪魔をしない。

3)香料
   粉末にして、線香原料内に加える。香料には安いものから高価なものまで数種類あり、これらを調合して製品化する。ここでは代表的な2種について記す。灸療用で使う線香では、むしろ香料はない方が好まれる。

  ① 白檀(びゃくだん)

   線香の香りの中心は植物由来の香料「香木」。その代表が白檀。白檀は、甘くて落

          ち着いた香。
 

 

  ②沈香(じんこう)
   傷ついた時に樹脂ができ、それを乾燥させたもの。香り成分はサンタロール。
  1g5000円程度と高価。沈香の中でも樹脂含有量が高く高品質なものを伽羅

       (きゃら)という。ベトナムのごく限られた地域でしか採取されず、自然界の偶然

        が重なり、数百年の歳月をかけて熟成されるため、非常に高価で金以上の価値を

        もつとされる。

 

        
 

 

 

1.平田内蔵吉(くらきち)の略歴


   

     兵庫県赤穂の生まれで、江戸時代の赤穂藩(現在の兵庫県)、浅野家の筆頭家老、大石内蔵助(くらのすけ)にちなんで内蔵吉と命名された。非常に才能に溢れた人で、医師の業務の傍ら十二反応帯を考案して熱針療法を実践したり、操練法を完成させたり、詩人になったりと振れ幅の多い人生を歩んだ。44歳、沖縄戦で戦死。
 現在に伝わる平田内蔵吉の功績は、平田式十二反応帯および反応帯を診療に使った熱針療法であろう。この十二反応帯について質問されても、平田自身答えられなかった。

2.熱針療法
 
 柄の先に三角錐のロートが漏斗があり、アルコール綿を入れて燃やすと三角の頂が熱くなる。これを患者の皮膚に短時間接触させ、リズミカルにトントンと叩く。正常であれはあまり熱さを感じないが、非常に熱く感じる箇所がある。ここが患部になる。この患部を入念に叩いているうちに、自然に熱さも落ち着いたものになる。

 


     現在ではこのようなコテは入手できなくなったが、昔マジQという家庭用治療器が発売されたことがある。コテを電熱器で温める。現在では中古で入手可能。

 

 熱く熱した金属を皮膚に当てるという意味では、昔からあるイトオテルミーと同じなので、とくに目新しさはない。

3.平田氏十二反応帯

 人体を部位別に12個所輪切りにしたデルマトームのような横線と、経絡のような縦線を合わせると、横線と縦線の格子模様ができる。それぞれの交点は、東西医学を統合した結果としての治療点だとみなした。輪切りの横線をデルマトームだとすると、これと経絡を組み合わせるとの発想は、目新しいものではなく、まったく異質のものを組合せても相乗効果は生まれないのは当然あって、大半の者はインテリ奇人の一人だとみなし、これを遠ざけた。
  このデルマトーム様の輪切り方式は、実際はデルマトームとは全く異なり、部位ごとに完結している。体幹には12の輪切りに区分され、上肢・下肢・顔面・頭部にも別々に12に区分されるという新説だった。この発想もあまりに独断的で、この説に至った根拠もまったく示せなかった。

4.七条晃正の解釈
 
 平田の死後平田氏帯十二反応帯に熱心だったのが七条晃正医師で、平田氏十二反応帯を解説している。この内容は、現在下に示したネット情報として検索できるが、これをもってしても疑問が解決したとはいえない。

 なお七条晃正は、かつて七条式電探を開発したことで知られる。

 

七条晃正「平田氏十二反応帯の力感覚的解釈」論文

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed1950/2/1/2_1_13/_pdf/-char/ja

 

 平田氏十二反応体が独自性をもつのは、身体パーツことに12等分して全身症状を投影させた点と、パーツの順列にある。以下の図は七条自身がモデルとなったものだが、懸命さが読者にも伝わってくる。最初はモノクロ写真で提示したが、これでは原稿にならないと拒否され、写真を元にイラスト風に書き直したという苦労話がある。





     体幹前面、体幹背面、上肢、下肢等をそれぞれ12区分して指定された臓腑に振り当てている。奇妙なのは、体幹前面が上から下へと1区~12に区分しているのに、下肢は足先から鼠径・臀を下から上に1区~12に区分している。一方、上肢は、肩を1区に、手指を12区と区分している。この説明として七条は、次の図を載せているが、私の見る限り、これも納得できる内容とはなっていない。



    立位で静止していればバランスがとれて当たり前である。しかし片腕を上げたり、片脚を上げたりして立位を保とうとすれば、バランスをとるため脊柱は湾曲するだろう。脊柱の湾曲を表現するには、錘を使って負荷をかけると一層はっきりすると考えた。

     上図で、体幹前面か上から下に1区~12区と配列する一方、下肢は足から鼠径部に向けて1区~12区に配列している意味が理解できると思う。
 一方、上肢では肩関節が1区になり手指が12区に配当することも納得いくのではないだろうか?

 

 

 

 

1.これまで当アメーバブログで紹介した頭針ブログ
   
 頭針法は焦順発医師が創始者とされ、その後多くの者が追従していろいろな流派が誕生、その結果、頭針法の精度が増したというより、どれが決定版なのか判然としなくなってしまった。頭針チャートはホログラムのようであり、どの一つのみが正しく、他は間違いという指摘は成り立たないというのが現代の認識である。

 このような頭針法の歴史の中で、以下文献には9種類の方法について紹介しており。上手に整理されている。山元式新頭針についても同列で紹介されていて驚かされる。中国にはさまざまな頭針の専門家がいることを、今更ながら思い知らされる。

<头皮针流派比较与分析頭皮針流派分析(中文)>  

https://zhuanlan.zhihu.com/p/516681848

 

    私も本ブログでこれまで2回、頭針の原稿を発表した。しかし代田文彦も頭針について書いていたのだった。改めて追加するとともに、頭針の考え方を総括したい。

 

 

 

 

 

2.ペンフィールドの脳局在      

 下図はカナダの脳神経外科医ペンフィールドが今から約70年前に、大脳局在と身体部位の関係を示した地図で、頭針法の出発点ともなった図である。大脳の前頭葉と頭頂葉の境界には中心溝とよばれる長くて深い溝があり、中心溝の前方は随意運動に関与し、中心溝の後方は体性感覚に関係している。
 その身体部位の配列をみると、足部は中心溝の内部に入り込み、また手指の神経は脳の表層に存在し、足の神経は頭頂部から脳の奥深くの範囲、上肢は中心溝の中央1/3の部分、頭顔面は中心溝の下1/3部分になっている。
 脳の中の感覚や運動をつかさどる部分の中で、手・目・耳などを含めた身体全体の約1/3は口の機能のために使われている。口には多くの情報があり、口を動かすためにはコンピュータでいう内部メモリーが消費される。



3.焦氏頭針のマップ   

 

     中心溝付近の大脳局在の知識は、焦順発の頭針中の図にも表現されている。


     この図では運動区と感覚区を示す帯が描かれている。この線の起点を前頂穴、終点を和髎としたのは、私の見解だが、朱氏頭皮針では起点は百会と前頂の中点になるのは単なる誤差だとしても、終点はコメカミ部の太陽あるいは頭維というように、焦氏とはだいぶ違ってきている。
 

4.朱明清の頭皮針のマップ

(朱明清、彭芝芸著、「朱氏頭皮針」東洋学術出版社、1989.9.20刊)




1)頂囁帯


     朱氏頭針マップには「頂顳帯」という領域がある。「顳」とはコメカミのことで、太陽穴の位置でもある。「顳」には蟀谷の別名がある。「蟀」はコオロギの意味で、顎を開閉する際に生ずる関節円板の音を、コオロギの羽音に例えた。
 上図で示した水色部分は私が付け加えた。頭頂部を時計の針の回転軸にたとえると、  頂顳帯は、2時と10時方向になる。頂顳帯は、人を頭頂部から見た際、肩関節や股  関節の方向になるので、それぞれの関節障害時の使用頻度が高くなる。

2)額頂帯と頂枕帯


  

     朱氏頭皮針では、神庭から百会穴間の督脈を「額頂帯」、百会から脳戸までを「頂    枕帯」とよんでいる。額頂帯は、額から頭頂方向に4分割され、①頭顔・咽喉舌、②  胸上肢、③上腹、④下腹と配列、すなわち任脈が割り当てられている。
 頂枕帯の「枕」は玉枕穴のこと。玉枕は脳戸の外方1.3寸になる。頂枕帯は頭頂部  から強間方向に4分割され、順に①頭頸、②背、③腰、仙・会陰に配列している。す  なわち督脈が割り当てられている。

5.代田文彦の頭針法


1)百会から症状方向を示す方向の頭皮反応点を施術する

 私が玉川病院に在籍していたある日、代田先生の研究室の本棚に、新刊本を発見した。著者は代田先生自身で、ページをめくっていると頭針に関する重要な内容が書いてあった。どうしてもその本のタイトルが思い浮かばず、残念ながら今となっては調べようもない。記憶を頼りに内容を再現すると、だいたい次のような内容だった。

 ①立位にした人体を上から眺める。
 ②頭頂点(督脈で百会と前頂の中点)を時計の針の回転軸にたとえると、症状部位

  は、時計の文字盤の方向で示すことができる。
 ③たとえば鼻は12時、両耳は3時と9時、右肩関節は2時という具合になる。
 ④頭皮上で頭頂点からこの方向に直線を引き、針管の先でこするようにこの直線の

  圧痛を診て、症状が改善する兆しがあればそこに斜刺する。
 
    ※上の①②③の方法からだけでは、位置を特定できない。ベクトルでいう方向は決定できても、原点からの距離が不明だからである。そこで上の朱明清の図を参照しつつ距離情報をくけ加えてみた。

 


2)爪先で頭皮を押圧して効果確認
 

 1)の工程で、だいたいの治療点の位置は定まったが、最終的には爪先で頭皮を押圧して効果確認する。たとえば、「腰」反応点を爪先で押圧しつつ、前屈動作や上体の回旋動作をやらせる。また「肩」反応点を爪先で押圧しつつ。結帯動作や結髪動作を行わせ、改善の有無をチェックする。

 あまり改善ないようならば、近くに別の反応点を見出し、爪先で押圧して効果の有無を確かめるようにする。効果があるから、はじめてこの点に刺針する。


6.刺針手技
 
 頭皮マップだけに注目したのでは、治療効果は得られない。重要なのは、刺針手技および導引の併用である。

1)焦順発の頭鍼

 2.5~3寸の26~28号中国針。斜めに捻針しながら刺入、頭の皮下、あるいは筋肉層にまで刺針。その深さに達したら、針を固定し上下してはならない。その後、毎分200 回前後捻針し、各回針体が前後に2回転するくらいに回旋し、1~2分間捻転。5~10分間置針しておいたら、また前回と同じように捻針することが必要。これをもう一度繰り返してから抜針する。
 一般的に頭皮鍼の留鍼時間は、長いほど優れた効果が得られる。通常は、2~4時間

にも及ぶ。留鍼中に間歇的に手技を施し、一定の刺激量を持続できれば、治療効果は一段と高められる。
 
2)朱明清の頭針手順


 ①患者を椅子または車椅子に座らる。
 ②症状部に対応する頭皮を見定め、針刺激する。と同時に導引(詳細後述)を併用

  する。 この時の使用針は、1~1.5寸の30~32号中国針を使用。帽筋腱膜下層

  (疎生結合組織)に刺入する。そのためには、頭皮と15~30度の角度として、1寸

  くらい刺入。、
  術者は足を開いて床にしっかりと立ち、足指で床を掴むように力を入れ、手指に

  気合を込めて導引手技(詳細後述)を行う。
 ③手技 
  a.抽気法:補の手技(=提挿補法)
    頭皮に対して、15度の角度で、指の力を用いて鍼尖を皮膚にすばやく刺入し、 

   さらに腱膜下層まで刺入したら鍼体を寝かせ、1寸ぐらいゆっくり刺入した

   後、瞬発的な力で表層に向けてすばやく引き出す。引き出す幅は、多くても1

    分くらい。得気があり効果が収められるまで、以上のことを何度か繰り返す。
    b.進気法:瀉の手技(=提挿瀉法)
    刺入方法は抽気法と同じ。鍼体を寝かせ、1寸ぐらいゆっくり刺入した後、 

   瞬発的な力で内にすばやく押し入れる。押し入れる幅は、多くても1分くら

   い。得気があり効果が収められるまで、以上のことを何度か繰り返す。
 
3)併用する導引手技
     
 朱明清の臨床では施術に際しては患者の傍に立って、刺針に際しては腕と手に力を  込め、素早く強く、かつ上下動の小さい雀啄手技を加える。これは朱明清なりの導引  術である。この動きは促通のことで、現代ではリハで脳血管障害後遺症などの運動麻  痺治療で実践されている。脳や神経に適切な刺激を与えて、麻痺などで動かしにくく  なった身体が本来持っている運動や感覚の引き出しやすさを高めるアプローチのこと  である。
 <朱明清が実技デモで示した導引例>
 ①片麻痺に伴う歩行困難(車椅子患者)
   座位にさせ、頭皮針実施。刺針手技に応じて、患側下肢を太ももから浮かせ、

  足裏を床面に音をたて叩きつける動作を繰り返す。大きな動作ほど有効。
 ②耳鳴、難聴
  患側外耳口から術者の指先を入れ、刺針手技に応じて、指を抜き差しする。
 ③腰痛
  座位で頭皮針を実施。その際、助手の先生に腰背部疼痛部を叩かせる。

 

7.左足が動かず転倒しやすい症例(75歳、女性)
 

 数ヶ月前から上記症状出現。整形外科では脊柱管狭窄症とL5S1神経ヘルニアと捉えていたが、症状は運動神経性のみで間欠性跛行もないので、訳がわからなかった。それでも何とかしようと、①左坐骨神経ブロック点+陰部神経刺針、②下肢運動麻痺に対する醒脳開竅法として左委中と左三陰交、③左下肢の反応点として右頂顳帯手技針を試みた。(症状は左側だったが左頂顳帯は効かず、右頂顳帯刺激で効いた)

 結果は①②無効で予想した通りだった。③で母趾底背屈はややできるようになり、歩行スピードがアップした。ということで次回来院では、③の取穴と手技+導引をきちんと入念にやるつもりでいた。

 それにしても病態不明で不安だったが、患者は大学病院に行って脳内髄膜腫(良性)との診断を受けた。これで了解したが、しばらく針灸は休止するとの電話を頂戴した。残念な幕切れだったが、中枢神経疾患に対しても頭針で直後効果が得られたことは収穫だった。

 
 

    筆者は2024年6月10日に<犢鼻褌の話>のブログ発表した。その後、考えも進化したので、ズボンの歴史を加えて再度発表することにした。これに伴い、ブログ<犢鼻褌の話>は削除した。

 改訂版の学校協会編「経絡経穴学」では「外膝眼」の位置を「犢鼻」としている。つまり外膝眼と犢鼻は同じ部位となってしまった。WHOが制定したのでは反論もできないが、既存の鍼灸有資格者からは概ね不評である。

1.犢鼻の語源(以前の考え方)
 
 膝蓋骨の左右下縁には、内膝眼と外膝眼があり、そのすぐ下方の膝蓋靱帯上に犢鼻をとる。この3つのツボがセットとなって仔牛の目と鼻になるという興味深い話だった。今後は、犢鼻穴の位置の説明で、註釈として「外膝眼ともよばれる」という説明になったのである。

 

2.中国でのズボンの歴史は脛衣から始まった
 

 古代黄帝の時代から17世紀中期まで、漢民族の着る漢服の下半身の衣服は、いわゆるスカート式で、風を防ぎ局部を隠すのには良かったが、防寒に適さなかった。
 そこで秦・漢の頃は、このスカート式衣服の上に「脛衣」(けいい)を着用することもあった。脛衣は2本の脚を部的に覆うだけのもので、紐で腰に結び付けていた。歩行時に雑草や害虫を避け歩きやすくするという用途があった。脛衣はわが国に伝来し、後に脚絆(きゃはん)やゲートルと名前を変え、現代に至っている。




    やかて脛衣の丈をウエストまで上げ、ベルトで固定した股開きのズボンに進化した。これを袴(こ)とよぶ。袴は防寒の用途として有効だった。袴は現在のズボン(中国語で褲)の原型になる。


3.褲(こ)から褌(こん)へ
   
 褲は「衣」+「庫」に分解でき、庫は中にしまい込むという意味がある。したがって褲は、衣服の中に陰部をしまうというのが語源である。
 褲は尻が丸出しだったが、乗馬用として股の閉じたタイプも考案され、これを褌(こん)とよんだ。褌は現在のフンドシのことだが、下着の意味に限定されるわけではない。褌の完成により、農作業や騎馬戦闘に支障をきたさなくなった。
 
 当時の中国では、褌を犢鼻褌とよぶことの方が多かった。『史記』では、<犢鼻褌は子牛の鼻の形をしている>と記している。劉鳳師は、 王先千著『漢書注釈』の中で、<褌との名前は、その形から付けられたもので、仔牛の鼻に似ているからではない>と記されている。




4.褌の始まりは江戸時代
 
     中国では犢鼻褌とよんでいたが、わが国に伝来した江戸時代では、単に褌と称した。わが国では江戸時代中期までは普段下半身に何も身に着けないのが普通だった。ただし合戦に参加して落命した際、性器丸出しの姿ではみっともないとうことで、尊厳を守るためにいざ戦闘という際には褌をつけるようになった。軍の兵士として戦うことが多いことで、「衣」+「軍」との漢字になった。江戸の男にとって、褌は衣類の一つであって、暑い季節には褌一本で街を歩く者も普通にいた。
 犢鼻褌を、わが国では「たふさぎ」とよぶこともあった。この語源は「股塞ぎ」すなわち尻が露出していないフンドシとしたことが語源だとする説が有力である。フンドシの種類の一つに、もっこフンドシがある。このタイプならば尻を隠すことができる。
 



 褌は男女とも使われたが、女性では褌ではなく襦袢(じゅばん)を着ることもあった。襦袢とは着物の下に着る着物の形をした肌着である。


 5.結論


  東周:紀元前770年- 紀元前256年
             秦:紀元前905年 - 紀元前206年
         漢:紀元前206年- 紀元 220年


①褲=半ズボン、ズボン。ズボンの原型は袴(尻が露出)
 褌=フンドシ、尻が露出しない袴(乗馬用として) 

②フンドシの中の隆起物とは、膝蓋靭帯ではなく陰茎のことで、それを仔牛の鼻に比
 兪した。
③したがって犢鼻の位置も陰茎の形状に似た部位をさしている。つまり私は膝蓋靭帯
 中に犢鼻穴をとる方が妥当だと考えている。









 

 現行361穴の正穴には同名異穴が6組ある。頭竅陰と足竅陰、頭臨泣と足臨泣、腰陽関と足陽関・腹通谷と足通谷・手三里と足三里それに手五里と足五里がそれである。

 6組ある同名異穴のうち、足臨泣、足通谷、足竅陰が足趾間に集中していることにに驚く。とりわけ臨泣と竅陰が頭と足の第4・第5趾間にあって、ともに胆経に所属していることから、頭と足趾間に何らかの関係がありそうなことが示唆される。

 足指の第4趾第5趾に同名異穴が集中しているのかという疑問に対し、ヒトは足指を覆うような靴を履く習慣となったからだとする説がある。靴を履くことによって足の第4趾第5趾が開扇できず、骨や関節も細く華奢になったという指摘がある。すなわちこのあたりの筋や関節は力学的な弱点になったというわけである。

 

 


     
1.頭竅陰と足竅陰
 

 「竅」竅は引き絞った細い穴のことをさす。人体には七つの陽竅と二つの陰竅がある。陽竅とは耳孔(2)・目孔(2)・鼻孔(2)・口孔(1)。陰竅とは尿道口(前陰)と肛門(後陰)である。
 なお「竅」のつく治療としては中国天津の石学敏が創案した醒脳開竅法が知られている。脳卒中は脳から末梢へ流れる経絡が詰まって発病したのだから、経絡の詰まりを取り除いて流れを回復させることを主眼とした治療法である。具体的には末梢神経幹に対する針刺激を行い、電撃様針響を与える技法になる。醒脳開竅法は、脳血管障害発症直後に生ずる痙性麻痺を緩めるのに得意だが、共同運動から分離運動への移行を促すのは苦手とする。



1)頭竅陰(胆)
   

 頭竅陰の位置は、文字で説明しづらい位置であり、図も文献により微妙に異なる。
 耳介背面と側頭骨の境界だとする者と耳介後部の側頭髪際部とする者がおり、後者の取穴が主流である。
 竅が引き絞った細い穴だとすれば、頭竅陰穴付近では外耳孔だが、もっと細い穴のことを意味するのではないだろうか?そのように考えると、耳介軟骨背面が側頭骨に付着する溝部を竅としたのではないかと思うようになった。

 





    つまりは外耳孔の高さで、耳介縁を側頭骨に押し付けた際、耳介外縁縁が側頭骨に 接触する溝部と解釈した。この部は後耳介筋がある。

2)足竅陰(胆)

 胆経の末梢下流は、足臨泣→侠渓→足の竅陰と流注する。侠渓穴の「侠」は、ここでは狭(せまい)や挟(はさむ)と同義で使われている。したがって足侠谿の位置は、ごく狭いくぼみで第4第5趾間の境目になる。正確には足侠谿は足の第4指外側爪甲根部、爪甲の角を去ること1分にとる。

2.頭臨泣と足臨泣

1)頭臨泣(胆)

 臨泣には、頭臨泣(胆)と足臨泣(胆)がある。「臨」は見おろすこと、つまり目を伏せた状態。「哭」が声を上げて泣き叫ぶことなのに対し、「泣」は声を上げずにしのび泣くこと。
 

2)足臨泣(胆)
 

 立って目を伏せ泣くと、涙は下に落ちる。その涙は足指の足臨泣(胆)あたりを濡らすだろう。この見解は私が発見したと思っていたのだが、先行者がいた。中国黒龍江省の高式国 (中医薬研究院副研究員)著『針灸経穴名の解説―医療効能と位置』(絶版)に同じ内容があるらしい。

 

   


3.腰陽関と足腰関

 

 1) 腰陽関(督)

 生命エネルギー源である臍下丹田(ツボでいう気海~関元の下腹部エリア)の裏(背中側)に位置する。丹田から生み出された陽気が下半身に流れるための途中の関所。

2) 膝陽関(胆)
 本穴は膝の外側に位置するため「陽」の部位。「関」は膝関節または関所。胆経上で、陽気が通る関所。
 

4.腹通谷と足通谷

 

1)足通谷(膀)   
 足通谷は第5中足指節関節の前、外側陥凹部にとる。膀胱経の経気が通過して腎経に向かう処。足指を開扇させると、第5趾中足関節遠位部が陥凹して「谷」となる。本穴は外反小指の局所反応点になる。



2)腹通谷(腎)   
 腹通谷は上脘穴の外5分、肓兪穴の上5寸にとる。飲食物が胃へと通過する部位。


5.手三里と足三里

1)足三里(大)

 膝蓋骨直下、外膝眼(=犢鼻)から3寸下方。前脛骨筋中。昭和20年代頃までは、足三里の健胃作用を重要視したのだが、健康保健制度が普及した現在、胃腸強の目的で針灸を希望する者は皆無となった。安価で効果確実は薬物療法を前に、針灸は敗北したのだった。

 足三里刺針が、確実な効果となるのは、脛骨筋TPS活性化すなわち脛の痛みやコリである。下腿前面の胃経は深腓骨神経痛の反応ではないことに留意する。深腓骨神経固有知覚支配は、足太衝のみである。このあたりは間違いやすいところなので要注意。

 

 



2)手三里(胃)

 肘関節外側横紋端に曲池(大)をとり、その下方2寸。長・短橈側手根伸筋間
 (肘髎の下から3寸)。バックハンドテニスに有効。
 
  手三里は大腸経所属だが、フェリックスマン「針の科学」の中で手三里は便秘や下痢などの大腸症状に効かないので古典理論は信頼性が薄いと記している。手の前腕にある合谷や手三里は三叉神経や大後頭神経に影響を与えることができるので、後頭部痛や顔面症状に効果的だと思われる。

6.手五里と足五里

 

1)手五里(大)

 

    手五里の穴の語源は、手三里から上5寸になるというのが語源である。曲池の上4寸、肘髎上3寸になる。手五里の取穴に際しては、まず手三里をとり、その上方5寸とするならば、肘関節完全伸展位で実施するべきである。そしないと同身寸法での取穴はできない。

    臨床的な取穴は、上腕外側の肘関節外側横紋端から1/3の処にとり、深部に橈骨神経がある部になる。これを目標に置針または電撃様針響を与える。橈骨神経上位麻痺に対する治療は手五里手技針一択であり、効果も高い。

 

2)足五里(肝)
 

    大腿内側基部。脾経の箕門(脾経)の上5寸になる。箕門(きもん)の『箕』は「み」ともいい、穀物を選別するときに脱穀するザルのことである。箕門は太ももの内側にあり、脚を前に投げ出して座る姿勢が箕に似ていることから命名された。

 


 

 

 

     それにしても箕門は他経上のツボであり、なぜ足五里取穴の基準点とするのだろうか?足五里は、陰廉の下3寸でもある。陰廉のすぐ上方には恥骨がある。足五里も陰廉も長内転筋内縁にある。足五里を取穴するには、こちらの方が確実ではないかと、思うのだが、陰部に近い部に触れることは差し障りがあるのだろう。



鼠径靭帯まわりのツボは複雑なので、整理してみた。

①大腿内側で長内転筋縁に足五里と陰廉がある。

 

②鼠径靭帯中央に大腿動静脈が縦走している。ここに「衝門」(脾)をとる。「衝」と

 は脈拍拍動部のことで、本穴は大腿動脈の拍動を触知できる。

③そのすぐ内方で鼠径靭帯部に気衝(胃)をとる。気衝は胃経が勢いよく腹壁下行

 し、鼠径溝で気衝で衝突したら、外方に直角に曲がり、大腿前面の髀関で再び衝突 

 し、髀関から再び直角に下方に曲がるというユニークな走行をしている。この場合

 の「衝」は、衝突の「衝」を意味している。

 

④鼠径靭帯をはさみ、気衝の直下には急脈(奇)がある。急脈は、常在する拍動部で

 はなく、脈が急に出現したりすることがある。鉄砲水のようなもので、勃起時に出現する拍動を意味するのではないだろうか?
 

 足の五里(肝)の適応症は、生殖器疾患になる。足五里は性過敏帯ともいえる。古典では精液を製造したり貯めるのは腎であるが、射精は肝の役割だとしている。
 以上、手足の五里について解説した。両穴とも取穴に難はあるが、手五里は橈骨神経高位麻痺による下垂手に適応があり、足五里は生殖器疾患とくに射精不全に適応があるという話になる。





 







 

 引き続き、あまり知られていないツボの語源について整理してみる。

 1.頭臨泣(胆)
     臨泣には、頭臨泣(胆)と足臨泣(胆)がある。「臨」は見おろすこと、つまり目を伏せた状態。「哭」が声を上げて泣き叫ぶことなのに対し、「泣」は声を上げずにしのび泣くこと。

 

2.足臨泣(胆)
 目を伏せて泣くと、涙は下に落ちる。それは足指の足臨泣(胆)あたりを濡らすことになる。この見解は私が発見したと思っていたのだが、先行者がいた。中国黒龍江省の高式国 (中医薬研究院副研究員)著『針灸経穴名の解説』(原題は、「高式針灸穴名解」)の内容がそでれある。


※ 高世国著『鍼灸経穴名称解説』の評価

 『鍼灸経穴名称解説』は、1982年に出版された。これは鍼灸経穴名称を解説した最初の専門書である。著者は高世国氏で、家が貧しかったので中学を卒業後、家庭教師をしつつ独学で中国伝統医学を学んだ。80歳(執筆当時)を超え、50年以上の医療経験を持つ高世国氏は、非常に尊敬され名高い中医医である。すべての経穴には恣意的な名前ではなく、深い意味を持つ名前がある。ほとんどの経穴は晋代以前に徐々に発見されたものなので歴史的記録が乏しい。現代において、国内外の少数の学者が解釈や文献研究を試みてきたが、満足のいく結果は得られていない。このような特殊な歴史的状況下で、翻訳本「針灸経穴名の解説」(原題は『鍼灸学名解』)の刊行は、鍼灸学界にとって間違いなく重要な出来事であった。高氏は長寿で102歳で死去した。
 

モノクロ写真をAIでカラー化

 


3.然谷(腎) 
 別名は然骨で、然骨とは舟状骨のことをいう。「然」は、<然り(しかり)>で、然谷は、<そこにまさしく谷がある>こと。舟状骨は飛び出ていて、その直下のくぼみに本穴をとる。後脛骨筋の機能は足の底屈で、この運動を酷使するランナーが痛めやすい処。これが後脛骨付着部炎である。

 


4.頭維(胃) 
  「頭」は頭部、「維」は額の髪と鬢の髪をつなぐこと。頭髪とヒゲの接合部分のこと。  

※もみあげ部には、曲鬢穴もある。
 「 曲」は弯曲、「鬢」は側頭部の髪の毛で、もみあげの一部分で、弯曲した部分にあることから名付けられた。 鬢は、もみあげ後縁の上方で、耳尖の高さになる。

相撲の力士が頭髪を固めるのに使う油を、鬢油という。鬢油はハゼノキの実からつくられる。一般人でも購入可能。


 

5.公孫(脾)

 古代中国では、公(=貴族)の身分は、その子まで引き継がれたが、公の孫は臣民(=平民)となった。公孫は脾経の絡穴になって、胃経と連絡している。本穴は脾経経脈の端付近にあるので、公孫と名付けられた。
 

 

6.懸鐘(胆嚢)

  「懸」はつり下げること。伝統舞踊の踊子がこの部位に鐘の形をした鈴(足鈴とよ  ぶ)をつり下げていたことに語源があるとする文献はいくつか発見したが、足鈴を使った舞踊はインドや東南アジアの風習であり、中国とは異なる。
 

 

 踵骨を後ろから見ると鐘の形をしていて、鐘がアキレス腱というヒモにぶら下がっている。ヒモの元という意味で懸鐘となづけたと考えられる。
 外果の上3寸の懸鐘からあたりで腓骨が腓骨筋に隠れて触知できなくなるので、別名を絶骨という。浅腓骨神経痛では、陽陵泉と同時に 懸鐘にも強い圧痛が現れることが多い。

 

7.隠白(脾)

    古代中国人は現代の欧米人と同じく、室内でも靴(正確には鞋=サンダル)を履いて生活していた。その形は驚くことにブーツに似ていて、基本的には現代の靴と同じく足指を覆い隠すものだった。

 隠白穴は母趾内側の爪甲根部内側にとるが、この部は靴に隠れるところになるので、「隠」と名づけた。赤白肉の境なので、「白」となった。

 

 

我が国は、江戸時代頃まで、履物といえば草鞋(わらじ)だった。  普通の草鞋は足指がつま先より前に出て地面に触った。その方が踏ん張りが効いて長距離を歩きやすかったからだという。ただし母趾で地面を蹴って前に進むのならば、母趾球で小石や草の硬い部分を圧迫され、母趾球が傷つくことがあった。その予防として母趾を隠す必要があったのだろう。これぞ隠白の由来である。
 

 

8.大敦(肝)

 古代中国で、青銅器製の円球状の容器を敦とよんだ。穀物を入れた儀式用に用いた。         拇趾の形が厚く大きいので、敦に似ていることから命名。母趾爪甲根部内側に位置する穴を大敦とした。ちなみに中国で古代石窟で知られる敦煌は、「壮大で輝かしい」という意味。

 

 

 

 

 


 

古典「素問」霊蘭秘典論では、臓腑の機能を古代中国の官職に例えている。臓腑の機能は、これだけにとどまらないが官職に例えることで、親しみやすくなっている。臓腑の官職については、これまでにも大勢の人が説明しているが、私も整理してみることにした。
なお官職の説明の最後は、ほとんどが「○○出ず」となっている。これは出ないという否定形ではなく、どうして出ないことがあろうか、という反語表現になっている。


  ①肝    将軍の官                                        
  ②胆    中正の官
  ③心    君主の官
  ④小腸   受盛の官
  ⑤脾    倉廩(そうりん)の官 
  ⑥胃     同上
  ⑦肺    相傅(そうふ)の官 
  ⑧大腸   伝導の官
  ⑨腎    作強(さっきょう)の官 
  ⑩膀胱   州都(しゅうと)の官 
  ⑪心包   臣使(しんし)の官 
  ⑫三焦   決瀆(けっとく)の官 

 
 
1.肝        

将軍の官、謀慮出ず   

肝は「月」+「干」で、干は幹の原字。身体の中心となる幹のことでその重要性が知れる。「謀慮」とは人間の思考のこと。

将軍は自軍における最高位の者である。君主の意向を受けて自国全軍を統率するが、行動そのものは君主の命令に縛られない(一刻を争う戦闘で、いちいち君主に報告して命令を受領する余裕はない)。その行動は、肝における木の枝葉のように、のびのびと伸びているのがよく、この状態であれば気を身体中に巡らせることができる。すなわち気合いを入れた状態が好ましい。
「肝」の機能が失調すると情緒が不安定になる。とくに肝の「疏泄機能」(全身に気を巡らす機能)は人間の精神状態に非常に影響されやすく、ストレスを感じるとすぐに失調すやすい。
  

2.心    
君主の官、神明出ず


 「心主血脈」ともいい、血液の運行を制御する意味になるが、より重要なことは、心は君主のように一国の統帥の位置にあり、協調統一的な生命活動を維持するための「神明」すなわち神のような英知を生むことである。
 


3.脾・胃      
倉廩(そうりん)の官、五味出ず

 脾と胃は不可分の関係があって、胃は受納をを主どり脾は運化(飲食物を気血水に変換する力)を主る。
 「倉廩」は米殻の倉庫、「五味」は気血に化生する源のこと。胃から分泌する津液により飲食物を消化をして気血に変換し、五臓に送り届ける。現代でいう消化管全般をさしている。

 

我が国は、「衣食足りて礼節を知る」という格言がある。この元ネタは中国にある。「倉廩実(み)ちて則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱(えいじょく)を知る」である。 米倉に穀物が十分に詰まっていて、日々の衣服や食糧が満ち足りていてこそ、人々は初めて礼儀や節度をわきまえ、名誉や恥辱の区別を心得るようになるとの意味。

 

4.肺     

相傅(そうふ)の官、治節出ず

 「相傅」とは補佐の意味。ここでは君主である心の補佐官のこと。「治節」とは肺の主な生理機能を包括的に説明したもの。すなわち肺が呼吸運動を調節することで、同時に全身の気機(昇降出入)が正常に行われて血液の循環も維持され、津液の代謝も管理・調節されるといった意味。

 

5.腎    

作強の官、伎巧出ず
 
 「作強」とは、重労働に耐える強者、「伎巧」とは聡明で智恵にまさり精巧多才なこと。現代の頑張りのきく熟練工のようなものだろう。
作強の官とは、腎が他臓器の作用を促進することをいう。

 腎のこの作用は、一口でいえば活力源で、腎は精を蔵し髄を生む結果、足腰を強化し生殖や生長を担うものとなる。

私見:腎水を熱して蒸気をつくり、蒸気を身体各所に回す処。現代でいうボイラーのような機能。


6.心包    

臣使の官、喜楽出ず

「臣使」とは君主の役割を代行する家臣のこと。心は命を守るという重要な役割があって多忙なので、心に代わり喜楽などの情緒担当は心包が代行するという意味。現代でいう大脳辺縁系機能。

 

7.胆        

中正の官、決断出ず        

 「中正」とは不偏の意で、公平、正確の意味を含み、「決断」とは決定、判断のこと。

古代中国(三国時代の魏~隋初)には、中正官という役職があった。その役割は官吏の評価と選抜を担当した。すなわち現代の人事部のような役割だった。地方の有力者や官僚から推薦された候補者を評価し、九つのランクに分類する役割を担い、最上位を一品、最下位と九品とした。この人選には家族の調査や父親の社会的な地位も評価の対象となったので、貴族の固定化を助長する結果となった。唐代以降はこの反省に基づき、中正官制度ではなく科挙制度の導入に至った。

 通常排泄物は不潔なものだが、胆汁はけがされていない。このことから不正に染まることがないので、「胆は清浄の腑なり」ともよばれる。
※肝は計画、胆は実行。肝により戦術を決断した後、胆により実践される。

 

8.小腸   

受盛の官、化物出ず
 
 「受盛」とは、受け入れ器に物を盛ることで、予算配分する役人のこと。「化物」とは消化して変化させる意味で、胃が消化し脾が吸収した飲食物の残渣の中から、さらに有用なものを吸収する一方、不要な水分を膀胱へ送って小便とし、不要な固形のかすを大腸に送り大便とする。小腸の機能が失調すると、これらの分別が不十分なまま大腸に送られ、下腹部痛や下痢などの原因となる。

 

9.大腸   
伝導の官、変化出ず

 「伝導」とは、大腸が糟粕(しぼりかす)を輸送する通路。「変化」とは、糟が変化して糞便となって体外に出し、腸内にとどめないこと。胃で消化したものが小腸で更に消化吸収され、その糟粕が今度は大腸に集められ、糟粕を糞便に変化する。大腸が失調すると、腹鳴や下痢や便秘といった排泄障害がみられるようになる。

 

10.膀胱    
洲都の官、津液蔵す

 「州(しゅう)都」の元の意味は中州(川の砂州)の住居地のこと。ここでは膀胱が、水(小便)を貯蔵し、一定量集まると排出する。水を管理することの重要性から、膀胱は国家の首都を司る官吏だとした。
 膀胱と表裏関係にあるのは腎で、小便は、腎の気化作用により作られ、膀胱に送られる。ここでの気化作用とは、水が気に変化することをいう。具体的には腎が温められて腎水は水蒸気として上にのぼり、やがて冷やされて雨となって腎水に戻るという原理に基づく。
   
11.三焦    

決瀆(けっとく)の官、水道出ず


 二千年前、河の堤防が未発達だったので、数年に1回は大河は氾濫し、農作物に深刻な被害を与え、住居や家畜小屋を破壊した。このよう水害を避けるため、灌漑工事は国家事業として非常に重視された。
 「決」とは疏通状態、「瀆」とは溝。「決瀆」とは水道を疏通、つまり水の流れを妨げずうまく通すこと。三焦は溝を切り開き水を流す官吏に例えている。例えば、上焦で病気を治せないなら水は胸に溜まる、中焦では胃に水が溜まる、下焦ならば水は二便が乱れる。このような状況にならないよう、体内の水液を上下に流通し、また体外に排出する。三焦は、貯水槽→水蒸気→雲→雨→貯水槽へ再び戻るという循環をくりかえす内部空間である。

    しかしながら針灸において、三焦経が水液代謝促進の治効とする印象はどうも薄いようである。三焦経は小腸経とともに手足の少陽経に属し、①身体外側面に作用する、②少陽病として胸脇苦満にも関係する、③苦い胆汁から口苦などのイメージになる。