何かから逃げる様に


何かを探し求める様に


日本を飛び出してから


気付けば1年が過ぎていた。




1年前の今頃


1年後の今がどんな風になるかなんて想像もしていなかった。



いや、考えてもいなかった。


全くと言っていいほど、

帰国後の生活は無計画に 


帰国後どころか

数週間先どこに行くか

頭の中の地図はほぼ白紙の旅。



ただ、

人との出会いと、

非現実の世界と、

少しの約束と、

あるようで無いような目的をめがけて

動き続け

休み続け

感じ続け

考え続け


疲れ

笑い

泣き

怒り


終わりのない解放感を感じた日もあれば

迫りつつある終わりを惜しんだり



不安

幸せ

優しさ



覚えきれない刺激的な1コマ1コマ

薄れていく記憶


忘れちゃいけない事

忘れてほしくない事



青い空

澄んだ空気

朝の公園





誰もが知ってる都会のど真ん中に生活している。

コンビニまで徒歩20秒。


1日何万人(何十万人?)もの人が行き交う駅まで徒歩15分。


外から吹き込む気持ちよい風とも

季節を感じる虫の声とも

心地よく目を覚ましてくれる太陽の光とも


まったく無縁の6畳1間。


でも、それと引き換えに【便利】という言葉を手に入れた。




仕事は朝の11時から。

だから朝寝坊でも遅刻はしない。



夜はその分遅め。

シフト制。



だから 友達と会う時間は限られてくる。



派遣。



旅の前は正社員。



年収はそのころとは比べ物にならないかな。



でも、今はサービス残業なんて言葉は無い。

労働基準法という単語は、

単なる誰かの願望から生まれたのだと思っていたあのころとは違い、

今は忠実にそんな法により雇われている。



以前の方が自由だったのか?

今の方が守られているのか?


そうとは思わない。


けど、どっちがいいとかも言えない。




ニートの時のストレスフリーと引き換えの

超・節約生活も懐かしい。




前のブログ記事もホントは書かなきゃいけない時期を過ぎていて、

旅のブログの続きも実は今だ書くつもりだったり。



けど、そうさせないくらいの

やるべきこと、やりたいことに囲まれた生活が

嬉しいような 悲しいような。






有言実行。



旅の後半



【日本に帰ったら

家を探して

仕事探して・・・・】




そんな風にいってたら

その通りになった。



っていうか、まあ、そうならなきゃいけないんだけど。



日本で働くということは

【death of life 】よ

なんて

優雅にバカンスをとっているヨーロッパ人に

冗談混じりに言ってたけど、


そんな生活を始めて早5ヶ月。



彼らの国の風習や生き方にあこがれつつも

自分の国の窮屈さと思える事にブーブーいいつつも


ニッポン社会のレールの上を歩くのは嫌だから旅に出るといいつつも

フラフラしてると単調な落ち着いた生活に憧れたりして、


なんだかんだ

結局日本で生まれ育った私は

ちょっと自分流に、マイペースに脇道に逸れたりしつつも、

日本スタイルのベースの上で生きていくのかもしれないと


思った。



決して否定的ではなく

なんだかんだ言ったって

素敵な仲間や居心地の良い空気が

ココにだってあったりするんだ。




週5日勤務という契約に縛られた私には

お盆休みも連休も夏休みもない。



けど、有給休暇という4文字があと数カ月もすれば私のものになる。



そうなったら、

この猛暑とコンクリートジャングル生活で

色んなものがフツフツしている頭の中を

クールダウンしに

一息つきに

自分が生まれ育った田舎へ向かおう。




目の前の事よりも

もう少し先の未来をみていこう。



そう思って今は仕事をしている。



けど、先ばっかり見すぎていると、

あっという間に目の前の事は通り過ぎる。





やりたい事と

やらなきゃいけない事のバランス。



がむしゃらに生きる時と

冷静に考える時間が必要な時期。





あれから1年。



早いなあ。。。




こうやって、

また旅も

過去のものになるんだなあ。



Life is journey .

Journey is life.






リズミカルに生きたい♪






低音の日もあれば

とびっきり高音の日もある。



意味がわからない程外れ過ぎる事は無いように

でも自分自身でちゃんと色をつけつつ




綺麗なハーモニーを奏でる人生を。





住む世界や環境が違うと


当たり前 と思っていたことがそうでなくて

一方では良いとされている言動が 他方では逆だったり


そんなことがある。



先日インターネットで日本語は【世界で何番目に話されているのか】という記事があった。

その答えは以下の通り。 

 (※ ただ、母国語として・・・とか実際に使用されている・・・という基準の違いや、

情報源によって順位は変わります。)



第1位:中国語
第2位:スペイン語
第3位:英語
第4位:アラビア語
第5位:ヒンディー語
第6位:ベンガル語
第7位:ポルトガル語
第8位:ロシア語
第9位:日本語


日本語って意外と多いのね。 

と思ったのだけれど、私は2位と3位の部分をみて1つの事を思い出した。



スペインを旅していた時のこと。 


旅行者の間で必ずと言っていいほど話題に上がるのが、

【英語が思ったほど通じなくて苦労した】 という点。



私が廻ったいくつかのヨーロッパ諸国と比較しても、確かにその点は際立っていたかもしれない。



が、とある日本人の人がこう言った。

「まあ、 イギリス人がスペイン語を話せないようなもんだよ。」 と。


それを聞いて妙に納得してしまった。

そして、上記の記事を見た時にその納得は強いものに。



私たちは、中学校から英語を習い、

一部を除き、殆の高校で外国語の授業といえば選択の余地なしに英語である。

日本では、外国語を使う仕事といえば圧倒的に英語の需要が大きい。


海外旅行でも、大体の国ではとりあえず英語は通じる。とか、

2011年からは小学校でも英語が必修科目になるように、まずは英語・・・ということであろう。


現に、私がOLをやっていたころも、

中国人やインド人と取引をする際、お互い母国語ではなくとも英語でコミュニケーションをとっていた。

    (先方が日本語を話せる場合もあった。)



このことからも、私も昔抱いていた様に、世界への入口は英語という仕組みがなりたっているかのように見える。

というか、実際に少なくとも日本にいる限りそうなのだろう。



そして、旅に出ると、そういう(=英語がわかれば大抵どこでもやっていける)訳でもないという

現実を見ることになる。



その一例がスペインというわけだ。

勿論、私のように英語の能力自体に問題があって通じないという事もあるのだけど、

今回のスペインの例に関しては、多くの英語を母国語として話す人達(オーストラリア人、カナダ人、アメリカ人、イギリス人)とも冒頭であげた【英語が通じなくて困った】という話は盛り上がるのだ。



逆に、英語圏で育った人にとっては、なおさらその様に感じたのかもしれない。

少し前までは(?!)世界で大きな力を持っていたアメリカや、

多くの先進国と呼ばれる国で使われている言葉だからこそ、

英語の強さというのも当たり前だと思ったり、自分の国に来る海外からの観光客はたいてい英語を話そうとする訳で

そんな面でも、自分たちの母国語というのは世界的に広まっているのだろうと自然にそういう意識になっているだけに、実際通じない場面に当たった時の疑問や不満がわいてくるのだろう。



が、意外と英語よりもスペイン語話者が多いという上記のデータを見れば、

ありえない事ではないのだ。



たまたま目立つ(?)国で使われている言葉だったり、

世界の流れや育った環境によって自然にそういう意識が植え付けられて行ったり。



そう考えると、常識とか普通とかって、実際とは異なっていたり、

自分を取り囲む世界で自然に刷り込まれた意識であって

住む場所や世界によって簡単に変わったりするものなのかもしれない。



この繋がりで、日本と日本語に目を向けてみる。



旅の途中で 友達に

 「あなたが思っている以上に、日本語って人気なのよ。」

って言われたことがある。


私にしてみれば、こんな小さな国の言葉を習っても使えるのは日本だけだし、

しかも今の時代中国語をやった方が・・・って思っていたのだけれど、

日本のアニメ人気や、欧米とはまったく違った文化に興味を持ち、日本語を勉強する人は多いらしい。

 (もちろん、難しさから脱落する人も多いらしいけど^^;)


これも、上記のデータが表している。



そして、逆に


「日本に行って英語を話せる人がなかなかいなくて、旅行中大変だったよ」とか、

「あんなに技術が発達している日本だから、普通に英語通じるかと思ったら、実際は違ってびっくりした」


といわれることもある。



なんだか申し訳ない気分になりつつも、

私にとってはそりゃーヨーロッパのど真ん中にあるスペインで英語が通じないのは驚きだけど

英語圏の国からは離れている島国ニッポンじゃ当然じゃない!  


と思ったりするのだけれど、やはり人の意識というのはそういうものなのだと実感する。


そして、「なんでスペイン語が通じないんだ」って怒る人はあまり見たことがないし、

一度、オーストリアのバスの切符売場でスペイン語が通じなくて困っていた(恐らく)南米人の人をみたけど、

窓口の人も、「スペイン語は無理ね」と、チケット買いたいならドイツ語か英語を話して・・・くらいのさらっとあしらう感じだった。

  (まあ、オーストリアには英語も通じないことも珍しくなくて、それでも何とかコミュニケーションをとろうとすると、逆ギレされるという体験を私も数度しましたが^^;)




逆に、日本側の意見として、

とある国の国民性について語る掲示板で


「特に●●からの観光客は日本語を話す気配すらない。

 第一声目は【Do you speak English ? 】(=英語話せますか?) 。

 せめて、すみませんくらい日本語でいえないの?」  


なんてネットの書き込みを見た事もある。



私は旅をするとき、最低限【こんにちわ】と【ありがとう】は現地の言葉を覚えるようにはしてるけど、

やはり最終手段は【Do you speak English? 】 と聞いて英語でコミュニケーションを取ってしまうし、

その観光客の心理もわかる。


でも、これって場合によっては失礼かもな(まあ、仕方ないんだけど^^;)

とその日本側の意見を見た時に思った。




今までは英語が世界の中心なんて思わされていたけど、

そのうち、それも中国語とかスペイン語とかに変わる事があるのかもしれませんね。



なんだか、まとまりのない文になってしまいましたが、

タイトルどおり、無意識のうちに擦り込まれている意識とか、先入観ってすごいな~。

教育の恐ろしさ(?)ってやっぱあるんだな~ってお話でした。


 



久しぶりの更新ですが、実はすでに帰国しております。(笑)


が・・・ まだ未完成のブログは、旅を振り返りつつ、たま~~に振り返りつつ更新し続ける予定ですので、

思いだした頃に見に来てくれると嬉しいです(^O^)



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