薬が母の人格を変えたのではなく、今までの波乱に満ちた人生や脳梗塞が母を変えていたのだと思います。

 精神科に入院してからの母は、何十年も刺さっていた刺が抜けたかのように、笑顔が増えました。

 最初は家に帰りたいと言ってましたが、

「いっぱい考えたのよ。でも、考えても仕方がないから諦めたの」

「今は幸せよ。今いる場所で幸せを見つけなきゃね」なんて言い出して。

 無理をしているのかな?と思ったけど、ネガティブの塊だった母は、無理なんかする人じゃなかったし、こんなに前向きな発想をすることはなかった。

 前の病院では、「死にたい」って言ってたくらいだし。

 これ、本人が一番楽になったんじゃないかな?


「でもね、この病院ちょっと変わってるのよ。おかしい人ばっかりいるの!」

 自分が認知症だなんて知らないからね、ちょっと吹き出してしまいました。

「歩けるようになったら、家に帰ろうね」

 いつまで誤魔化せるやら……。

 母は暴れてリハビリを拒否していた為、歩けなくなり片手しか動きません。

 家や施設にいくら自由があっても、身体は自由に動かない。趣味の友達がいても、彼女たちのように活動はできない。なまじ、まともな思考力があるだけに、周りを観て羨ましいと指を咥えるばかりじゃ、それも切ないだろうし。

 この後、現在に至る2年近くの間は、2、3ヶ月に一度は高熱を出していました。内科も併設している為、点滴などの処置も早く、やはり病院の安心感は絶大です。

 要介護5と認定された母は、特養という選択肢もあったのですが、心臓病もあったので私は病院一択でした。

母の入院費は、食事、衣類レンタル、オムツ、髪のカットまで全て含めても10万を少し越えるくらいです。


 一方、私は夜布団に潜っても、隣の部屋に母がいないことが未だに受け入れられなくて。 

 でも、そんな時は縁起悪いけど火葬場で灰になった母を想像するんです。どんなに呆けてても、生きていてくれている今が、どれだけ幸せな事だか。生身の身体に触れ、声を聴けることがどんなに温かいことか、ちゃんと噛みしめておこうって。 


 面会の帰り道、一人の高齢女性が話しかけてきました。 

 その方のご主人も同じく脳梗塞で倒れ、認知症を患ってしまったそうです。 

「男だけに暴力を振るうし、手に負えない。自分一人で面倒みられないから、入院させたは良いけど、罪悪感で苦しくて眠れない」と嘆きます。 

 毎日会いに来てあげたいけど、年金暮らしに交通費も800円かかると。お金を理由に毎日来られないなんて情けないわと言います。 

 この人、以前の私と同じだ。痛いほど気持ちが解りました。 

「預けて正解です。在宅で面倒を看るだけが、愛情じゃないと思います。見放したんじゃなくて、ご主人を大切に思える距離になったんですよ」 

 だって、毎日会いに行きたいって思ってるんだから。

 これ以上の愛情はないと思うの。

「ご主人は幸せですね」

 あの時に私が誰かに言って欲しかった言葉を、そのまま伝えました。 

 女性は泣き出して、ありがとうと言ってくれました。「先生は、いちいち見舞いなんか来るな!って言うのよ」 

 女性がくすりと笑います。 

 きっとラスボス先生だ。笑

 ぶっきらぼうだけど、女性にとって、何よりも楽になる魔法の言葉だったと思います。

 医者は患者のことよりも、家族の精神状態を気にしているのかもしれません。