自分が異常な考えの持ち主だということを受け入れる

たくさんの本を読んできて、僕の考え方、価値観が異常だということに気づきました。
 
ただ、今までこの性格、価値観で生きてきたのにそれを異常だとして受け入れて改善できるのかどうかが心配です。
 
今までの通りの価値観や考え方で生きていくほうが圧倒的に楽なはずです。
 
暴力を振るわないようにするのも、独りで生きていくと決めれば、それで周りに迷惑をかけることもありません。
 
そうすることで僕のDVは防げますし、僕が変わることなく誰にも被害がでない状態になります。
 
それを考えると、なんのために価値観や考えを変えないといけないのか?と思うかもしれません。
 

それでも価値観や考えを変える理由

それは大切な人への真の謝罪になると思うからです。
 
今のまま変わらないということは、大切な人へのDVは自分の責任ではない。
 
僕がこんな性格になったのは、小さい頃からの環境のせいで僕は悪くない。
 
自己愛性パーソナリティ障害と診断されているので、その症状によって僕はDVをしてしまう。
 
2回の離婚だって相手が謝ったんだから僕は何も悪くない。
 
ADHDなんだから仕事が遅いのは当然で物忘れも激しくて当たり前。
 
衝動的に怒り出すのもADHDの衝動性のせい。
 
お金の管理が甘いのもADHDの症状。
 
そう、僕は何も悪くない。
 
周りが全部悪いし、僕は環境の被害者。
 
こんな考えや価値観をもったまま、大切な人にいくら謝罪したところで本当の謝罪にはなりません。
 
自分のやったことの責任を裁判でとればそれで話が終わるというものでもありません。
 
本当に心の底から大切な人に悪いことをしたと思うから、上に書いたような考え方をやめなければいけません。
 
独りで生きていくことで周りに迷惑をかけることはなくなるでしょうが、大切な人への謝罪にはなりません。
 

ついつい出てしまう考え方や価値観

僕の癖として、相手が話しているのに口をはさむということがあります。
 
これもDV加害者がよくすることの一つなんだそうです。
 
大切な人とケンカしている時も僕はよく大切な人の言葉を遮るように話していました。
 
こんなついつい出てきてしまう癖をどのように治していけばいいでしょうか。
 
一番いいのは、僕のことをよく知っている人に癖が出るたびに指摘してもらうことです。
 
でも、大切な人はもういないのでそれはできません。
 
なので、自分で気をつけていくしかないのですが、さきほども書いたとおり、変わらないほうが楽なので最初は治そうとするでしょうが、すぐに元に戻るような気がします。
 
では、どのように維持していくのか?
 
それは大切な人にDVをしてしまった責任をいつも感じることです。
 
すべての行動の責任は自分にあるということを忘れないようにすること。
 
これしかないと思っています。
 
すぐに元に戻るというような心配をする時点で、大切な人へしたことへの責任や謝罪を忘れています。
 
可能性はないに等しいですが、もう一度大切な人と暮らせることを前提に自分を変えていくと決めることです。
 

そうすることによって変わることができると思います。

 

大切な人の信用を取り戻すには

以前、大切な人に「一度失った信用はかなり頑張らないと取り返せない」と言われたことがあります。
 
当然ながら今の僕は信用を完全に失っています。
 
もし、もう一度大切な人と一緒に暮らせるとして、信用を取り戻すには僕は大切な人が怒ることに対して謝罪をして更生をしていかないといけません。
 
これはDVに対してだけではなく、生活全般に言えることです。
 
信用がない状態で僕が大切な人と普通の生活を送ることはできません。
 
大切な人にもう一度信用を得て、普通の生活をしてもらうために僕は、大切な人のことを一番に考えて、大切な人が満足するであろう生活をしていかなくてはなりません。
 
それだけではまだ信用を取り戻すことはできないと思います。
 
もう一度、愛してもらうために、大切な人が期待している以上の行動を常に考えて幸せにしていく必要があります。
 
一緒にいた時は、愛しているつもりではありましたが、幸せにすることも大切な人が僕の愛を感じることもなかったのだと思います。
 
もう二度と大切な人にそんな思いはさせません。
 
今度は僕が精一杯、大切な人を愛する番です。
 

まとめ

最後の方は叶わぬ願いを書いてしまいましたが、可能性が低くてもそれを願って自分を変えていきたいと思います。
 
変わることが大切な人への真の謝罪であり、変わることが本当に責任を取るということを忘れないようにします。
 
絶対に変わると決めて生きる。
 
変われない言い訳は探さない。
 
自分の言動の責任をとる。
 
できることならば、今度こそ大切な人を幸せにしたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

言葉の暴力をやめるにはどうすればいいのか?

いままで僕は仕事場、家庭といろいろなところで言葉の暴力を使ってきたと思います。
 
言葉の暴力とは、相手が一番傷つくことをわざと言うことです。
 
相手を支配しようという意図も言葉の暴力には含まれています。
 
大切な人には物理的な暴力だけでなく、言葉の暴力もすごく投げかけていました。
 
例えば、僕の親友が大切な人のことを「さげまん」と言っていたとか。
 
大切な人がしている仕事にケチをつけて、まっとうな仕事ではないと言ってみたり。
 
とにかく、多くの言葉の暴力を浴びせていたと思います。
 
物理的な暴力、言葉の暴力を受けながら、僕のことを必死で変えようしてくれていた大切な人は本当にすごいと思いますし、尊敬できる人です。
 
大切な人には、本当に申し訳ないことをしたと思います。
 
ケンカの時は、ある程度の暴言は仕方ないという意見もあるのかもしれません。
 
僕が言えることではないのですが、もしその考えを持っているのであれば、今すぐ考え直したほうがいいと思います。
 
というのは、相手が怒っているから、相手が暴言を吐いてくるからこちらも言葉の暴力を使ってもいいとならないからです。
 

言葉の暴力を辞めるために

以前の記事にも書きましたが、相手を尊重することができると言葉の暴力はなくなると思います。
 
しかし、お恥ずかしい話ですが今の僕は相手を尊重するということができているとは思えません。
 
では、どのようにして言葉の暴力をやめるのか?
 

■ケンカになったらとりあえず黙る

以前の記事でも書きましたが、ケンカになったら相手を敵だと認識してしまいます。
 
相手の言葉は攻撃であり、僕は反撃しないといけないという考えになります。
 
僕の場合、ケンカでなくても意見の対立も攻撃のように捉えてしまいます。
 
こんなとき、ついつい反論したくなるのですが、反論を我慢することで言葉の暴力を防ぐということします。
 
いろいろな本を読むと、怒るのを我慢するのはいつか爆発するので我慢しないほうがいいという考えが書かれています。
 
しかし、DV加害者に限っては違うと言い切れます。
 
特権意識の記事でも書いたように、DVに加害者は通常の考えが異常なんです。
 
なので、ケンカになっているときのほとんどは相手が正しいということになります。
 
ケンカの間、我慢して黙って、ケンカが終わったら相手の言った言葉をしっかり考える。
 
そして、自分の考えの間違っているところを探す。
 
このようにしていくことが必要だと考えています。
 
考えても考えても自分が正しいと思う場合は、考えが足りないか、異常な考え方、特権意識に支配されているかどちらです。
 
どちらにしてもケンカでDV加害者が正しいということはありません。
 
黙って、相手の言うことをしっかり聞いて、後でよく考える。
 

■その場を立ち去る

カウンセリングで教えてもらった対処法です。
 
ケンカ、口論になりそうになったらその場から立ち去るようにします。
 
これは簡単にできそうな気がしますが、実は難しいんです。
 
完全にヒートアップしてからでは相手を攻撃するモードに入ってしまいますので、そうなる前に実行する必要があります。
 
意見の対立を感じたらすぐに立ち去るくらいのほうがいいと思います。
 

■相手の言動にムカつかないようにする

自分が気に入らないことを相手がしたとき、言葉の暴力を使ってしまいそうになります。
 
相手がよほど意地悪な言動でない限り、ほとんどは特権意識からきているムカつきです。
 
相手が悪くないのに言葉の暴力を投げかけるのはおかしい話です。
 
相手の行動は自分の思い通りにならないのが当たり前で、相手にも自分と同じ権利があり対等ということを常に思い出すようにしないといけないと思います。
 
相手の言動にムカつく時、自分の特権意識が顔を出していると思って、考えを改めるようにします。
 

根本的な問題としてある特権意識を常に意識する

何度も繰り返しますが、DV加害者の考えは異常です。
 
僕自身も異常な考え方を持っているはずです。
 
言葉の暴力だけでなく、物理的な暴力も僕自身が選んでやっていることです。
 
DVやケンカの原因を相手のせいにしてしまうのは、自分の価値観が間違っていることを常に意識しておかないといけません。
 
DV加害者は被害者を歪んだ形で認識しているそうです。
 
歪んだ形で認識しながらさらに特権を行使するということは、普通ではありません。
 
相手を自分の都合の良いように歪ませるのではなく、相手をありのままに受け止める努力が必要だと思います。
 

まとめ

僕は大切な人をかなり歪んだ形で認識していたと思います。
 
常に僕のことを考えてくれていたのに、隠しごとがあると疑ってパソコンの履歴を見ていたこともあります。
 
さらに大切な人を自分の都合の良いようにコントロールしようとしていました。
 
最初にも書きましたがたくさんの言葉の暴力もありました。
 
大切な人はすごく辛いを思いをして僕と過ごしていたと思います。
 
このことを過去にするのではなく、一生かけて責任をとるつもりで生きていかないといけないと思っています。
 
暴力反対という当たり前のことを常に意識して、周りの人に暴力を二度と振るわないということを公言していくようにします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

DV加害者特有の特権意識を手放すには

ランディ・バンクロフトの本、「DV・虐待加害者の実態を知る」には、DV加害者は特権意識をもっていると書いてあります。
 
特権意識とは、わかりやすく言えば、男尊女卑みたいな考え方でしょうか。
 
対等な関係とは、男性と女性の円の大きさが同じということになりますが、特権意識をもっているDV加害者の中では男性のほうが円が大きく、女性の円が小さくなります。
 
つまり、男性と女性は対等ではないのです。
 
僕自身はこれに全く気づいていませんでしたし、最初に特権意識の話を読んだ時、自分自身はそんなふうに扱っていないと思っていました。
 
しかし、勉強をすすめるにつれて、僕にも特権意識があるように思ってきました。
 
特権意識は以前の記事でも書いた相手をコントロールすることについても関係していると思います。
 
相手をコントロールすることが当たり前と考えているのは、自分に特権意識があるからです。
 
DV的な考えをもってない正常な男性は女性をコントロールしようとせずに、尊重します。
 
つまり、女性を下に見ているからコントロールしようとするし、支配しようとします。
 
まるで暴君です。
 
なので、自分がDVすることが許されていると考えています。
 
僕はDVすることが許されていると考えはなかったように思いますが、実際に物理的、精神的なDVを繰り返してきたので、特権意識をもっていると考えて間違いないです。
 

5つの特権意識

 
この特権は
  • 身の回りを世話してもらう権利
  • 気分や心を気遣ってもらう権利
  • 性的欲求を満たしてもらう権利
  • 服従してもらう権利
  • 責任を逃れる権利

の5つがあります。

(ランディ・バンクロフトの本より抜粋)

 

■身の回りを世話してもらう権利

これは昭和の日本を思い出してもらえるとわかりやすいと思います。

 

仕事をして家に帰ったらご飯ができているのは当たり前、疲れて帰ってきたのだから家事を手伝わないでゆっくりすることが当たり前などの考え方です。

 

僕の場合、家で仕事をしていたときは家事を手伝っていたのですが、外で仕事をするようになってから家事をあまり手伝わなくなりました。

 

これもこの特権意識からくるものだと思います。

■気分や心を気遣ってもらう権利

 

ある時、仕事のことで講師の方に相談にいったんですが、今の方法でやっていくことがあまりよくないと聞き、落胆してしまいました。

 

その時に大切な人は、「落ち込んでても仕方ないから次を考えよう」と言ってくれたのですが、それは僕が望む励まし方ではなかったんです。

 

それでケンカになりました。

 

僕が落ち込んでいる時に、大切な人が僕が望むように励ましてもらえないと「気遣ってもらう権利」を侵害されたと感じます。

 

ランディ・バンクロフトはこの権利を「DV被害者がどこにいても、何をしていてもDV加害者に目を向けていることを期待している」と表現しています。

 

■性的欲求を満たしてもらう権利

僕は大切な人にSEXを強要していたときがあります。
 
毎日、SEXしたいのに大切な人が断ったことがあり、それを激怒したことがあります。
 
大切な人はSEXが嫌いなタイプではなかったので、そんなに問題にならなかったのだと思いますが、相手が違えばDVの原因になっていた可能性もあります。
 
この権利のもう一つの側面は自分の思い通りのSEX(性的欲求の開放)をしたいということです。
 
性欲がマスタベーションで満足してしまう場合、相手に性的興味をなくす場合もあるかもしれません。
 
実際、僕はマスタベーションのことで大切な人とケンカになりました。
 

■服従してもらう権利

自分の意見を相手が受け容れて当たり前という権利です。

 

この権利が原因で大切な人とよくケンカになっていたと思います。

 

さきほど書いた、心を気遣ってもらう権利のところとも共通しているところがあります。

 

この権利を持っていると考えていると、意見が対立すること自体が権利を侵害されていると感じます。

 

なので、権利を守るためにDVにいたる場合があります。

 

僕の場合、このパターンでのDVがすごく多かったように思います。

 

■責任を逃れる権利

DVをしてもその責任から逃れられると思っている権利です。

 

絶対にそんな権利はないのですが、実際にDVをしているのだからDV加害者は、意識的、無意識的関わらずにこの特権を持っていると思います。

 

相手をコントロールするの記事でも書きましたが、相手の責任にすることもこの権利

の特徴です。

 

この5つの特権を手放すにはどのようにすればいいのでしょうか?

 

特権を手放す

相手をコントロールするという記事でも書きましたが、まずは相手の女性を自分と対等に見ることです。
 
これが大前提になると思います。
 
相手を対等に見るというのは、相手の権利を受け入れるということなのかな?と思います。
 
こんな言葉が出てくること自体が自分が特権を持っていると言っているようなものなのですが。
 
相手を尊重して、対等に受け入れる。
 
恥ずかしながら、相手を尊重するということはどういうことなのかを勉強しないといけないようです。
 

もう一つは自分の考え方が常に特権意識からきているということを意識することです。

 

自分で当たり前と思っていることは当たり前ではなくDV的な考え方であるということです。

 

これを意識することで冷静になりますし、相手の意見も聞きやすくなるのではないかな?と思います。

 

まとめ

こうやって勉強していくにつれて、自分が普段からいかに異常な考え方をもって行動しているのかがわかります。
 
そして、本を読んでいてDV加害者の言葉に共感できてしまう自分がいることについても驚いています。
 
改めて、自分はDV体質だと思いますし、考え方の根本を変えていかないといけないと思いました。
 
大切な人にもう一度会ったとき、異常な考え方のままだと同じ結果を辿ってしまうでしょう。
 
何度、反省しても考え方を変えない限り、誰が相手でも同じをことを繰り返します。
 
異常な考え方を捨てるべく、相手を尊重できる自分になるべくさらに勉強をしていきたいと思います。
 
僕の考え方は異常。
 
このことを肝に命じたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

コントロールしないようにするには?

DVについて勉強していくにつれて、僕は典型的なDVに体質であるという確信を持ちました。
 
思い起こせば、中学生の時に初めて彼女ができた時からDV体質だったと思います。
 
嫉妬はすごくて彼女が幼馴染の男の子と話すことも許さなかったし、僕の好きじゃない髪型だっただけでも激怒していました。
 
当時、相当性格も悪かったのでその彼女に振られて以来、反省をして性格改善をしたことを覚えています。
 
そのひとつに「俺」という言葉を使わないようにし、以来、「僕」というように自分のことをいうようになりました。
 
それでも僕のDV体質は根本的には変わってはいません。
 
大切な人を失った今、僕はもう一度、性格改善をしないといけないと思っています。
 
DV体質を見分けるには10項目に当てはまるかどうかを調べるのですが、特に重要でDV体質を決定づけるのは2つ、
 
  • 相手をコントロールしようとする
  • 特権意識を持っている
 
です。
 
この記事では相手をコントロールすることについて、DV体質を改善するためにはどうやって相手をコントロールしないかについて考えていきたいと思います。
 

相手をコントロールするということ

ランディ・バンクロフトの本、「DV・虐待加害者の実態を知る」にはDV体質を改善するために
DV加害者は相手をコントロールすることをやめなければならないと書かれています。
 
僕は今まで相手をコントロールをしていると意識はありませんでしたが、この本を読んで自分の行動を思い返してみると、いくつも当てはまる部分があります。
 
大切な人に対してもコントロールしようとしていました。
 
僕は無意識的に周りをコントロールする術を身に着けているんだと思います。
 
例えば、僕は外面が異常に良いと大切な人に言われていたのですが、それも周りをコントロールしていることになるそうです。
 
喧嘩したとき、僕が100%悪いような状態だったとしても僕の外面の良さで「とみた君がそんなになるなんて、相手が何か言ったんじゃないか?」という風になります。
 

お涙頂戴で相手をコントロール

 
DV加害者にはいろいろなタイプがあるのですが、僕は被害者を装うタイプです。
 
DV加害者のタイプは、はっきり分かれるのではないので、他のタイプと混ざっていることもあります。
 
ここでは僕はわかりやすいように自分のタイプを被害者タイプと書いていますが、もっとよく考えてみると他のタイプも混ざっていると思います。
 
DV加害者の多くは、いつも周りのせいにして自分に責任があることを認めません。
 
大切な人に対してもよく責任逃れをしていたと思います。
 
被害者タイプは他人のせいにすることがより多いのかなと考えています。
 
実際、僕は離婚を2回しているのですが、2回とも相手が悪いということにしていましたし、周りにもそのように話していました。
 
言い訳になるのですが、2回ともちゃんと相手側から謝ってもらったので、僕の被害者意識をさらに高めることになってしまったというのもあります。
 
当たり前の話ですが、ごく一般的な話であれば相手が100%悪いということはないんです。
 
一番、問題なのは自分にも問題があったにも関わらず、僕自身が2回の離婚について反省をしていないことです。
 
被害者タイプの特徴は、自分がひどい目に合っているのだから、ひどい目にあわせたものにはそれ相当の仕返しをしていいと思っているところです。
 
例えば、相手が怒って僕の文句を言うということもそうです。
 
相手が怒って文句を言ってきている、だけど僕は悪くない。
 
文句を言ってくるやつに仕返しが必要だ。
 
僕を傷つけたのだから、相手よりももっとひどい暴力的な言葉で相手を傷つけてもいい、暴力を振るってもいい。
 
というようになります。
 
僕は大切な人以外に物理的な暴力を振るったことはありませんが、他の人には言葉での暴力はすごかったと思います。
 
2回目の結婚は5年間だったのですが、ほとんど一緒に暮らしていません。
 
一緒にくらしていれば、暴力を振るっていたかもしれません。
 
いま考えれば、結婚前後の喧嘩で僕の暴力的な言葉があったように思います。
 
それが原因で妻が一緒に暮らすのが嫌になったとも考えられます。
 
暴力的な言葉をつかった原因は、
 
  • 勝手に被害者意識を感じている
  • 相手がコントロールできない状態にある

の両方だと思っています。

 
被害者意識のことはさきほど書いたので、ここでは、「相手がコントロールできない状態にある」についてを書きます。
 
相手がコントロールできない状態にあるというのは、相手がお願いを聞いてくれないという小さなことも含まれます。
 
セックスを拒否されるのもそうです。
 
他には、休みを合わせてくれない、僕のやろうとすることを禁止するなどです。
 
被害者タイプでいうのであれば、お涙頂戴の話で相手がのってこない場合も相手がコントロールされない状態にあるということになります。
 
自分が被害者ではないと言われたときも暴力的行為にでる可能性もあります。
 

相手をコントロールすることをやめるには?

相手をコントロールせずに対等な立場でものを考える。
 
これをするにはどのようにしたらいいでしょうか?
 
DV加害者は意識的にも無意識的にも相手をコントロールしようとしてしまいますので、相当な意識改革が必要だと思います。
 
まずは、他人や環境のせいにしないこと。
 
今、起きていることは全て自分の決定したことで起きているので、起きていることに対して責任をとること。
 
周りから自分の欠点や他人や周りのせいにしていることを指摘された場合、真摯に受け止めて、言い訳したくなってもしないこと。
 
などが考えられます。
 
他人や周りの人のせいにしていることは、よく大切な人にも指摘されたことでした。
 
大切な人はいつも必死に僕に気づいてもらおうと訴えていました。
 
いま思えば、もう少し素直に大切な人の意見を聞いておけば良かったなと思います。
 
それに子供のように反抗して大切な人を傷つけてしまったことを後悔しています。
 
今まで43年間生きてきた性格を変えるのに等しい行為ですが、これらのことを改善していかないとDV体質から抜け出すことはできないでしょう。
 

まとめ

今回は相手をコントロールしないことについて勉強してきたことを書いてみました。
 
正直、性格を変えるのはかなり難しいと感じています。
 
今、現在やっているのは、絶対に「物理的な暴力をしない」です。
 
次にやろうと思っているのでが「言葉での暴力をやめる」です。
 
相手をコントロールすることをやめるのはその次くらいに考えています。
 
一度に全てできればいいのですが、ここは着実に一歩一歩進んでいきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

失って初めて気づいたこと

大切な人を失って初めて気づいたこと、その中でも失って、もう取り戻せないと思うこと。

 

それは、僕に向けられた人生で一番大切な「愛」です。

 

以前の記事でも書きましたが、僕の母は自分勝手な性格で僕のことを甘やかすことはすれども愛してくれてはいませんでした。

 

そんな僕の人生の中で唯一、愛をくれたのは「大切な人」です。

 

愛を受け取ったことのない僕は、大切な人が愛をくれていたことに気づくことすらありませんでした。

 

喧嘩して彼女が必死でわかってもらおうと説明するのは、僕を愛していたからです。

 

暴力を受けても何度も僕と一緒に頑張ろうと思ってくれたのは愛があったからです。

 

そんな彼女に対して僕はひどいことばかりして苦しめてしまった。

 

僕は大切な人を失ったと同時に愛された世界を失いました。

 

今後、僕は誰かに愛されるという経験をすることはないと思います。

 

大切な人は自分を犠牲にして僕を愛してくれていたからです。

 

こんな僕にそんなことをしてくれる人は他にはいないでしょう。

 

孤独

僕は大切な人に出会う前、孤独でした。
 
表面的な交友関係はあれども、ずっと独りでした。
 
僕は愛された世界を失ったので、また孤独の世界に戻ることになります。
 
以前の孤独の世界と違って、今はさらに孤独感を強く感じます。
 
今、孤独感を非常に強く感じていて、絶望に近い感覚になるときがあります。
 
大切な人にしてしまったことを後悔していますし、大切な人がもう戻らないと思うたびに胸が苦しくなり、息がしづらくなります。
 
夜も眠ることができません。
 
新しい住居には大切な人との思い出の品がたくさんあります。
 
特に観葉植物は思い出が深いです。
 
観葉植物を見るたびに大切な人との会話を思い出して苦しくなります。
 
思い出されるもの全てを処分したほうがいいのかな?とも考えます。
 
でも、大切な人を思い出すことによって、自分のしてきたことを忘れないようにしないといけないとも思います。
 
苦しいけど、観葉植物は捨てられません。
 

この先のこと

僕はこれからどのように生きていけばいいのでしょうか。
 
DVを更生したとして、仕事が成功したとして、先にあるのは孤独です。
 
大切な人はもういません。
 
正直、何度も連絡しようとしました。
 
でも、今の彼女の気持ちを考えると、連絡することは彼女の苦しみを思い起こさせるだけだと思います。
 
本当に苦しくて、声が聞きたいと何度も思います。
 
苦しくて、何度も彼女の写真を見てしまいます。
 
デスクトップの写真は二人がおどけて笑っている写真です。
 
でも、連絡することはできません。
 
彼女の幸せを考えると、僕とはもう会わないほうがいい。
 
そう思います。

 

この先、僕は立ち直ることができたとしても孤独のままです。

 

孤独はいつも大切な人を思い出させます。

 

しばらくは本当に辛いけれど、なんとか生きていくことをしなければと思います。

 

自分を変えていく

孤独の中にあっても自分を変えていくことは忘れません。
 
今までの自分でいることは罪だと思うからです。
 
最低な人間から少しでもマシな人間にならなくてはいけないと思います。
 
マシな人間になって大切な人を思うとき、僕はどんな思いをするんでしょうか。
 
きっと大切な人に感謝すると思います。
 
今は、自分がしてしまったことの後悔しかありません。
 
でも、大切な人は僕に変わるきっかけを作ってくれました。
 
大切な人が最後にくれた愛だから僕は変わることを決意します。
 

最後に

裁判まであと1週間になりました。
 
弁護士さんからは実刑の可能性があるという事も聞いています。
 
僕が今までしてきたことを考えると当然だと思います。
 
裁判には大切な人も出席するそうです。
 
久しぶりに顔を見られる嬉しさと僕の顔を見たときにどんな顔をするのか不安です。
 
大切な人は愛のかたまりのような人でした。
 
僕とじゃなければ、きっと幸せになってくれると思います。
 
彼女には幸せになってほしいと心から思います。
 
本当に好きだった。僕のしたことは許されないのもわかっています。
 
できるならば・・・。
 

 

喧嘩にならないようにするには

僕と大切な人はしょっちゅう喧嘩していました。
 
毎日のように喧嘩していたこともあります。
 
僕から見ると喧嘩の原因はちょっとしたことが多かったです。
 
それでも大切な人にとっては自分をわかってもらうための大事なことだっと思います。
 
そういう経験を思い起こして改めて思うのは、相手が怒っている時に適切に対応することです。
 
僕は適切な対応ができなかったために喧嘩になったし、暴力を振るうことになってしまいました。
 
適切な対応ができなかったことをいまさらながら猛反省しています。
 

適切な対応は「質問」をすることだと思う

相手が怒っている時にすること。
 
それは「質問」をすることだと思います。
 
この考えは留置場で読んだ本「いい質問」が人を動かすからヒントを得ました。
 
質問するということはちゃんと相手の話を聞いていないとできません。
 
「質問」をすることで日頃から相手に好かれることができるし、喧嘩しているときも質問することで相手が本当は何に怒っているのかがわかります。
 
何に怒っているかわかると、二人で解決策を考えることもできるんじゃないかと思いました。

常に相手に好意を持ってもらう

「いい質問」は人を動かすには、質問にちゃんとした答えを返してもらうために相手に好意を持ってもらうことが大切なことだと書いてあります。
 
恋人同士の場合、お互い好意を持っているのは当然だと思っていると思います。
 
しかし、相手が自分の好意をわかっているだろうという考えは間違いです。
 
好意を持っていることは、愛してるとか、キスとか、抱きしめるとかいろいろな方法で常に好意を伝えておかないと喧嘩になりやすいと思います。
 
僕を含めて男性は特に気持ちを伝えるのが下手な人が多いようです。
 
女性は気持ちで生きているので、男性からの気持ちを聞けなければ不安になります。
 
なので、相手に好意を持っていることを常に相手に伝えることが重要になってくると思います。

相手を否定しない

男女で会話しているとき、男性は女性にアドバイスすることが多いんだそうです。
 
でも、女性はアドバイスを求めていなくて、ただ単に共感してほしいだけだったりします。
 
特に男女の会話で起こりがちなのは、男性が女性にアドバイスするために女性の行動を否定してしまうことです。
 
僕も大切な人の話をよく否定してアドバイスをしていました。
 
相手の話を否定すると相手は攻撃されたと感じるかもしれません。
 
攻撃されたと感じたら相手は不機嫌になるかもしれないし、そのあと喧嘩になってしまうこともあります。
 
どうしても相手の行動を変えたい場合は、相手の言動を否定せずに相手の言動を変えるということがいいそうです。
 
相手の自己正当性、自尊心を傷つけないで行動を変えてもらう。
 
「いい質問」は人を動かすには3つのポイントが書かれています。
  1. 大切なのは相手を傷つけない
  2. 相手の行動を肯定した上で、変えてほしい要望を言う
  3. 相手が行動を変更してくれたら感謝や称賛をするということが大切
この方法はなれるまでは難しいと思いますが、身につけたいテクニックです。
 
女性との会話は、否定もアドバイスもせずにじっくりと話を聞いて共感することも大切だと思います。

【まとめ】普段からいい関係を築く

今回は恋人同士が喧嘩にならない方法を考えてみました。
 
喧嘩にならないようにするには普段から恋人と良好な関係を築くことです。
 
感情的に愛していても良好な関係を築けてなかったら、自分の気持ちも伝わらないし、相手のことも誤解してしまいます。
 
当たり前のようなことですが、僕にはできていなかった。
 
僕がよく喧嘩になったのは議論に持ち込んだからです。
 
議論になると対立してして喧嘩になってしまいます。
 
自分の正当性を主張することになるからです。
 
良好な関係を築くには質問をしながら相手の話をしっかりと聞くこと。
 
相手に共感をすることが大切だと思います。
 
そのために会話を盛り上げたり、相手の真意を知るための質問力はやはり必要になってきます。
 
喧嘩の少なくなる良好な関係を築くために質問力を身に着けたいと思います。

怒りを抑えることよりも大切なこと

僕は大切な人と喧嘩になった時に、怒りを抑えることができなくなって暴力を振るうということを繰り返していました。
 
喧嘩のたびにどんどん我慢が効かなくなってすぐに手がでるようになって、手が出たときには大切な人はいつもひどい怪我をしていました。
 
そして、逮捕される事態になったのです。
 
留置場で「もう怒らない」と反省して出てきたはずなのに、瞬間的に「イラッと」してしまうことが多々あります。
 
怒ってはいけないからイラッとしても駄目だと悩んでいましたが、瞬間的な怒りは止められないことがわかりました。
 
じわじわくる怒りも抑えることができません。
 
今の僕にはまだ怒りを抑えるということが難しいと感じています。
 
「DV加害者男性への心理臨床の試み」にも怒りを抑えることは無益であると書いてあります。
 
では、どのようにするのが良いのか?と考えた結果、
 
怒りを抑える方向ではなく、うまく怒ってうまく自分の感情を処理していく、そして暴力をふるわないようにしていく。
 
というように目標を設定してみました。
 

誰が僕を怒らせているのか

 
「DV加害者男性への心理臨床の試み」には怒りの感情は他者からもたらされるのは出なく、自分が引き起こしている
 
と書いてあって驚きました。
 
今までは相手が僕を怒らせていると思っていたからです。
 
 
怒りは自分が引き起こしているということは、考え方を変えることができれば、瞬間的にイラッとしても怒ることがなくなりますし、じわじわくる怒りを我慢するということもなくなります。
 

怒りを回避する考え方に変える

僕が怒らないようにする、暴力をふるわないようにするには考え方を変えるしかないと思っています。

 
大切な人との喧嘩を思い出すと
 
  • 自分の言っていることが理解されない
  • 自分のことを否定されている感じがする

が多かったように思います。

 

他に思い返してみると僕が勝手に勘違いをして怒ってしまったこともありました。

 

今、冷静に考えるとなんと自分勝手なことを思って怒ってしまったなと思います。

 

自分の言っていることが理解されないのは、大切な人がどのように僕の言葉を受け取っているのかを考えていなかったからです。

 

自分のことを否定されている感じがするのも、僕が勝手に否定されたと思っていただけで大切な人は否定しているつもりじゃなかったかもしれません。

 

こう考えていくと、全ては僕の未熟さから来ているということがわかります。

 

男性と女性は脳の構造が違い、話が通じないことがよくあることを勉強しました。

 

僕が女性にわかる言葉、気持ち言葉で話すようにして、否定されていると感じたら相手の真意をしっかりと理解するように話の内容を確認することができれば、ほとんどが喧嘩になる前に解決できたのです。

 

問題はイラッとした時に今書いたようなことができるかどうかです。

 

今までの考え方や感じ方を変えようとするのは至難の技のような気がします。

 

しかし、今、僕が変われないと永遠に変わることができません。

 

僕は大切な人を失い、裁判で有罪という形で社会的な責任をとることになっているし今後、2度と同じようなことを繰り返してはならないと強く思っているからです。

 

そのためには自分と徹底的に向き合い、乗り越えていきます。

 

自分を成熟させる

いろいろな本を読んでいて改めて感じるのは、僕が典型的なDV加害者のパターンに一致していることです。
 
DV加害者は
 
  • 暴力を悪いことだとは思っていない
  • 暴力にまで発展するのは相手に責任がある
などがあるそうです。
 
DVにはサイクルがあり、
 
  • ハネムーン期
  • 緊張の蓄積期
  • 暴力の爆発期
 
の3つがくるくると回っています。
 
このサイクルはどんどん短くなり、最後にはハネムーン期がなくなることもあるそうです。
 
僕にもこのサイクルは当てはまっていたように思います。
 
他にも当てはまる部分がありました。
 
誤解も含む、自分勝手な理由で怒る「理由なき暴力」、「相手を暴力で支配する」というようなことも書かれています。
 
加害者は性格、心が成熟していない場合が多いこともわかっています。
 
やはり僕が未熟であるから、暴力という簡単な手段によって問題を解決しようとしてしまったのだと思います。
 
自分を成熟させていくのはかなりの時間がかかると思いますし、どのようにすれば成熟していけるのかもわかりませんでしたが、「DV加害者男性への心理臨床の試み」に掲載されている「ドゥールースモデル」にそのヒントがあると思いました。
 
ドゥールースモデルは非暴力の車輪
  • 敬意
  • 信頼と支援
  • 誠実さと責任感
  • 責任ある育児
  • 責任の共有
  • 経済的な協力
  • 交渉と公平
  • 脅迫的でない振る舞い
の8つがありそれぞれ、暴力の車輪
  • 威嚇行為
  • 精神的虐待
  • 隔離・孤立
  • 軽視、否定、非難
  • 子供を利用する
  • 男性特権の行使
  • 経済的虐待
  • 抑圧と脅迫
に対応しています。
 
人間として成熟するということは非暴力の車輪に書いてあるようなことを身につければ良いのではないかと考えました。
 
非暴力の車輪の細かい内容を見ていくと僕ができていないことばかりです。
 
喧嘩の際に二人が納得できる結論を探すとか、相手の意見を批判せずにしっかり聞くとか喧嘩中でも相手が暴力を振るわれないという安心があるとか。
 
他にもいろいろと書いてありますが、僕の理想とする形が掲載されています。
 
ドゥールースモデルについては専門の本が出ているみたいなので購入して読んでみようと思います。
 

暴力中毒

「DV加害者男性への心理臨床の試み」にはDV行為はアルコール中毒やタバコなどと共通している部分があるということが書いてあります。
 
性格の問題ではないとも。
 
これは僕にとってすごく光になっています。
 
僕は以前、タバコを吸っていましたがやめることができました。
 
暴力は中毒なので、やめることができる。
 
暴力は強い自制心があればやめることができるんです。
 
さきほど書いた人間的な成熟ももちろん必要ですが、また違ったアプローチで暴力をやめるという問題に向き合っていけそうです。
 

【まとめ】怒りを感じたらまずは立ち止まり、自分の未熟さを認識する

 
今回の勉強でわかったことは簡単ではないけれど、僕は変われるということです。
 
DV関係の本を読んでいると、加害者の更生は本当に難しくカウンセリングやグループセラピーを受けても改善する可能性が低いと書いてあったり、改善はしないと書いているものもあります。
 
勉強すればするほど、自分の最低さがわかりますし、改めて反省することも多いです。
 
そして、自分に正当性があると思っていたことが何よりも恥ずかしいです。
 
DV行為に正当性はありません。
 
どんな場合でも。
 
暴力に至らなくても自分の正当性にこだわったとき、ストレスを感じるし、喧嘩になる場合もあると思います。
 
なんでも相手に迎合するということではないですが、相手の意見を受け入れることで自分の考えも昇華できるかもしれません。
 
そのように考えていくことで相手も自分も大切にできるのかな?と思います。
 
こうやって勉強していても僕は「イラッと」してしまうことがあると思います。
 
その時は一旦立ち止まり、自分の未熟さ、正当性にこだわらないということを意識していきたいと思います。
 
大切な人は今、どうしているのでしょうか。
 
僕と離れることによって幸せになっているのかな。
 
僕の勝手な思いですが、早く生まれ変わって、もし許されるならもう一度大切な人と会いたいと思います。

愛するということがうまくできない

TVで老夫婦が経営している焼き肉屋さんを取材していました。

 

その焼き肉屋さんは5年も休んでいないそうです。

 

理由はお店を辞めた時に奥さんを世界一周の旅につれていってあげたいから。

 

店主の旦那さんは本当に奥さんを大切にされていて、奥さんの手が荒れるからという理由で皿洗いは旦那さんがする徹底ぶりです。

 

お見合いで出会った二人だけれども、今は奥さんがいないと1日でも生きられないというようなことをおっしゃっていました。

 

この老夫婦は本当に愛し合っているんだろうな思います。

 

僕は大切な人を愛しているつもりではあったけれど、ちゃんと愛せていませんでした。

 

大切な人を失ってから僕はいろいろなことに気づき、反省をして変わるために勉強をはじめました。

 

その中できづいたこと、それは大切な人以外に愛されたことがないということです。

 

母との関係

現在、母との関係はあまりうまくいっていません。
 
今の母、昔の母の両方とも僕は好きになれないからです。
 
理由は色々とありますが一番の理由は母の自分勝手な性格です。
 
幼少のころは母の妹に育てられました。
 
両親が離婚して、母と一緒に住むようになったんですが母は彼氏を家に連れ込み、寝泊まりさせていました。
 
僕と兄を残して母は彼氏としょっちゅう旅行にいったり。
 
でも、僕たちは旅行はもちろん休日にどこかに連れて行ってくれたこともないetc...。
 
自分の性格を母のせいにしたくはないのですが、やはり幼少のころの母との関係は関係していると思っています。
 
8歳半から10歳くらいまでの間で子供にとって一番問題なのは「愛されること」らしいです。
 
この期間に両親は離婚して先に書いたような状態になりました。
 
僕は一番、愛されないといけない時期に愛されていなかったんだと思います。
 
以来、母と一緒にいて愛されていると感じたこともありません。
 
もしかしたら、僕と同じで愛情はあったのだけれども母もまた愛するということを知らなかったかもしれません。
 
事件を起こしたときも母は僕を怒りませんでした。
 
本当に僕のことを心配して愛しているなら僕に対して怒るはずです。
 
どうして僕のことを怒らないのか?と聞いたら「やってしまったことを今更、怒っても仕方がない」と言うのです。
 
本当にそうでしょうか?
 
僕は怒らない母に対してすごく違和感を持ちました。
 
甘すぎることは愛情ではないと思います。
 
自分の子供だけを守って被害者のことを考えられない人は、まともな思考の持ち主だとは僕は思えません。
 
前の僕は暴力を振るっても謝ることがなかったので、まともな思考の持ち主ではないという意味では同じです。
 
でも、今は母に対して違和感を持ちますし、被害者になった大切な人に対しても本当に悪いことをしたなと思っています。
 
僕は母と同じ思考になっているということがすごく嫌だし、母を嫌いになっている理由でもあります。
 

愛とは?

 
僕は愛されたことがないから愛することができなかったのだと思います。
 
今は大切な人に愛されていたことに気づいたので、愛し方を知れば僕も愛せるはずです。
 
愛するということをしっかりと勉強して、大切な人にもう一度出会った時に今度はしっかりと愛して愛される関係になれたらと思います。(もう一度やり直せる可能性はないに等しいですが。)
 
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本には、「愛は与えることであり、もらうことではない」と書いてあります。
 
愛とは能動的な行為だからです。
 
与えるというのはいろいろな側面あるので補足すると、与えることが喜びになっているとき愛ということになると僕は解釈しました。
 
ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを相手から受け取ることになる。
 
与えるということは相手も与える側にするということになるとも書いてあります。
 
僕は大切な人から本当にたくさんのものを与えてもらえました。
 
なのに、どうしてうまく大切な人に与えることができなかったんでしょうか。
 
その問にエーリッヒ・フロムは与えるという意味で人を愛することができるかどうかは、その人の性格がどの程度発達しているかということになる。
 
愛するためには、性格が生産的な段階に達していなければならない。
 
と答えています。
 
僕は性格が心が発達していないから愛するということがうまくできないということになります。
 
愛には配慮、責任、尊重、知の4つの要素があると書いてあります。
 
この要素のどれか一つでも抜けると愛とは言えないんだそうです。
 
愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。とエーリッヒ・フロムは定義しています。
 
以前の僕には4つの要素のどれもなかったと思いますし、積極的に気にかけることもできてなかったと思います。
 
大切な人の人生に対して要素の責任や尊重があれば、暴力を振るうということはできないはずだし、配慮があれば大切な人に対して当たり前のように時間を投資することができたし、知があれば大切な人のことをもっと知ろうとしたはずです。
 
僕は愛するということをどんなことか知らなかった。
 
性格が成長していないから大切な人に与えることもできなかった。
 
いまさらどうすることもできないけれど、これから性格を成長させて与える喜びをしれる人間になるしかないと思います。
 

自分自身を愛せていない

エーリッヒ・フロムは隣人を一人の人間として愛することが美徳だとしたら、自分自身を愛することも美徳であろうと言っています。
 
そして、自分自身を愛することと他人を愛することは不可分の関係にあるとも言っています。
 
つまり、自分自身を愛せない人間は他人も愛することができないということです。
 
僕は自分自身の愛し方がわからないと悩んでいたんですが、ヒントになるものがマイスター・エックハルトの言葉の中にありました。
 
他人を自分自身よりも愛さないならば、ほんとうの意味で自分自身をを愛することができない。
 
この言葉を肝に銘じてやっていきたいと思います。
 

愛する技術

愛というのは感情であり、意思でもあると僕は思います。
 
誰かを愛するという意思。
 
自分の意思で決めているのだから愛を高めることができると思います。
 
いや、そう思わないと僕は愛するということが永遠にできなくなります。
 
エーリッヒ・フロムは人を愛するためには謙虚さと客観性と理性を育てなければいけないと言っています。
 
成熟した人間になることによって愛するという技術を高められるということです。
 
僕でも今から頑張れば人を愛することができるようになれると思います。
 
残念ながらエーリッヒ・フロムの本には具体的な愛することを高める技術は載っていませんでした。
 
しかし、この本を読んだことで勉強になることがたくさんありました。
 
自分を客観的にみることができたし、愛するということは技術的に高めることができるということなどです。
 

【まとめ】愛とはとても深いもの

今回、勉強したエーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本ですが、正直いうと一番気になっていた異性愛についての結論が納得できないところもありました。
 
なので、僕の解釈は自分の都合のよいものになっていると思います。
 
何回も読み直してエーリッヒ・フロムが本当に意図していることを知りたいと思います。
 
この本の中で僕の母のことを書いているじゃないか?と思う箇所がありました。
 
自己愛のない母親が子供に構いすぎるのは子供を愛しすぎているからではなく、子供を全然愛することができずに、それを償おうとしている。
 
という部分です。
 
僕の母は愛していると思い込んでいるのだと思います。
 
そして、大切な人が愛してくれていたんだということもわかりました。
 
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的にゆだねること。
 
大切な人は僕の中に愛があると信じて愛を与えてくれていたんだと思います。
 
こんな最低な僕を愛することはすごく不安だったであろうし、しんどいことだったでしょう。
 
それでもがんばってくれた。
 
僕は勘違いした愛を本当の愛だと思って大切な人に接していた。
 
だから暴力も振るったし、言葉でも傷つけた。
 
本当に申し訳ないことをしたと思います。
 
これからは本当に愛するということはどういうことなのか?を常に考えて生きていきますし、本当に愛せるようになっていきたいです。

人の気持ちがわかるようになるには?

僕は人の気持を理解できないことに20代の前半で気づきました。
 
多分、もっと前から人の気持ちがわかっていなかったです。
 
よく相手の立場になって考えると、人の気持ちがわかるようになるといいます。
 
でも僕にはわかりません。
 
特に女性の気持ちがよくわかっていないと思います。
 
相手の立場に立つことが難しいんです。
 
大切な人ともよくそれで喧嘩になりました。
 
なんとかして人の気持ちを理解できるようになりたい。
 

相手の気持ちをきちんと聞く技術

人の気持を理解する本をさがしてたどりついた本です。
 
この本には人間は一人、一人「枠組み」をもっていて、会話というのはその「枠組み」の交換と書かれています。
 
会話をしていく中でお互いのズレや誤解の修正をしていくプロセスも含まれているそうです。
 
枠組みが違うということは考え方や感じ方が違うということになります。
 
理解するということは相手の言うことや考えを聞いてそれを自分の「枠組み」で捉えるのではなく、相手の「枠組み」で捉える努力が必要とも書かれています。
 
なるほど、お互いのズレや誤解を修正することを考えるとちょっと会話の中で確認が必要になってくるので会話のスピードが落ちそうですが、相手を理解するということに繋がると思いました。

相手の話をまとめてみる

相手の話を理解しようとするとき、話し終えた相手の話を自分なりにまとめて相手に話すのがいいそうです。
 
まとめて話すことによって、自分の理解もわかりますし、相手が伝えたいこととどれくらいズレているのかもわかります。
 
ズレていることがわかると誤解したまま話をしなくていいので話している相手もちゃんと聞いてくれているという感覚もってくれるんじゃないだろうか?と思います。
 
僕は「相手の話をまとめて話す」ということをほとんどしたことがありません。
 
それは自分はしっかりと理解しているという根拠のない自信があったからです。
 
いま思い返してみると相手の意図をほとんど理解せずにいろんな人と話をしていたんだと思います。
 
これからは間違った自信を捨て、相手の話をまとめて話し、理解を深めるということをしていきたいと思います。
 

相手に共感するということ

コミュニケーション系の本を読んでいると「共感」という言葉がよく出てきます。
 
共感とは、自分のフィルターをかけず、批判的にならずに相手の話すことをそのまま受け止めることらしいです。
 
今の僕は共感的に話を聞くということがほとんどできていません。
 
相手の立場に立って話を聞こうとすることも共感的な聞き方なのかな?と思います。
 
また、共感したことを言葉にして相手に伝えることが大切らしいです。
 
これはさきほど書いた「相手の話をまとめて話す」ことをする時に共感した部分もいれていくといいんだろうなと考えました。
 
女性との会話は「共感」が大切と言われます。
 
女性との会話は気持ち言葉ではなすのがいいそうです。
 
気持ち言葉とは「気持ちで表現する言葉」で、女性は相手の気持ちに寄り添って気持ち言葉で話すことが多いんだとか。
 
一方、男性は「知的まとめ言葉」が得意らしいです。
 
男性と女性が話をするとき、気持ち言葉と知的まとめ言葉で話すから話に折り合いがつないようになるそうです。
 
女性と話すときはもちろん、男性に共感したいと思うときは「気持ち言葉」を使うのがいいと僕は思いました。
 
大切な人と気持ち言葉で話せていたら喧嘩も少なくなっていたのかな・・・。
 
また、「プロカウンセラーの共感の技術」には
 
共感とは人と人とが関わり合い、互いに影響を与えていくプロセスであり、相手とぴったり同じ気持ちになるものではない。
 
と書いてあります。
 
あまり同調しすぎるのも良くないということでしょうか。
 
共感については、入り口すら立てていないと思うのでさらに勉強していきたいと思います。
 

【反省】そもそも僕は・・・

 
僕の場合、大切な人と話すとき、ながら聞きで話すときがありました。
 
なので、よく「話聞いてる?」と言われていました。
 
そして、自分が喧嘩中や自分が言いたいことがある場合、相手の話をろくに理解せずに言い返すことを考えていました。
 
僕は理解できないのではなく、最初から理解しようとしていないときも多々あったのだと思います。
 
これはすごく反省しないといけないことです。
 
前回勉強した「怒りを鎮める うまく謝る」に書いてあったことを思い出します。
 
喧嘩を解決するには、相手に時間を投資することが大切と。
 
投資というのは「相手と向き合う、協力する」ということと僕は本を読んで感じました。
 
僕は大切な人に時間を投資していたつもりでしたが、全然できていませんでした。
 
それは物理的な距離や時間ではなく、大切な人と向き合えなかったからです。
 
大切な人と向き合っていないのに2人で過ごしたり、長い時間一緒にいることをしても相手は満足するはずがありません。
 
ずっと一緒にいるからといつの間にか「なあなあ」になっていたと思います。
 
好きじゃなくなったわけではないですが、大切な人に対して理解する努力や時間の投資するということを怠っていたと気づきました。
 
相手を理解するということは、たとえ短い時間であってもちゃんと相手に投資することが大切なんだと当たり前のことを今更ながら思います。
 
そのためには大切な人のことを常に考え、理解するということが必要になってきます。
 
相手に時間を投資することはやっていきたいです。

【まとめ】相手を理解しようとすると喧嘩も少なくなる?

今回、勉強して相手のことを理解しようと努力すれば、喧嘩も減っていくかもしれないと思いました。
 
相手の話をしっかり聞くことができるようになると、相手の本当に言いたいことも理解できますし、相手もしっかり聞いてくれてると思うので安心できると思います。
 
相手の話を聞くことができなければ誤解することもでてくるし、相手も聞いてもらえていないという不満が残ります。
 
これからは理解する努力を怠らないようにしようと思います。
 
アマゾンで調べてみるとわかりますが、人の気持を理解する本はほとんどないんです。
 
もし、良書を知っている方がいれば教えてください。
 
 
 

僕は謝ることができない。

僕は大切な人の気持ちを考えることができなかったし、謝れませんでした。
 

喧嘩したら絶対に相手を言い負かしたいと思っていました。

 

謝ることは「負けた気分になる」からです。

 

大切な人によく「あなたは喧嘩に勝つことしか考えていない」と言われました。

 

そう言われるたびに僕は言いました。

 

「そんなことはない、自分の言い分をいいたいだけだ」と。

 

僕はそんな言い訳をいつもしていました。

 

だから大切な人との喧嘩が始まると終わりがありません。

 

物別れに終わることがほとんどです。

 

僕は自分が負けそうになると喧嘩と関係ない話を持ち出したり、相手の揚げ足をとったり、それでも相手が黙らない場合、暴力に至ってしまうときもあります。

 

僕のことを怒らせるやつが悪い

 

暴力を振るっても謝ることは少なかったです。

 

それは黙らない相手が悪い、暴力を振るってしまうような状態にした相手が悪いと思っていたからです。

 

全ては相手の責任と思っていました。

 

僕のことを否定するのはすべて攻撃だと思っていましたし、相手がそういうつもりでなくても僕が攻撃と受け取ったら喧嘩になります。

 

それが僕の勘違いでもです。

 

攻撃されたと感じたら頭に血がのぼって、相手の話をまともに聞かなくなります。

 

高圧的な態度で威圧します。

 

物理的な暴力がなくても言葉の暴力で相手を傷つけます。

 

相手が一番、言われたら傷つくと思うことをわざわざ選んで言うのです。

 

反省もできない

 

逮捕された直後は暴力を振るって怪我をさせた責任は取るつもりでいましたが、反省はできませんでした。

 

その時はまだ大切な人が僕を馬鹿にしたと思っていたし、取り調べされているときも反省していないと言われました。

 

僕を弁護してくれるはずの弁護士さんにも、もう少し頭を冷やしたほうがいいと言われる有様です。

 

本当に反省しだしたのは、留置場に入って1週間くらいしてからでしょうか。

 

取り調べの中で事件のことを話していると自分がしたことの大変さが徐々にわかってきたし、大切な人へ対しての暴力がいかに簡単なものになっていたかということもわかりました。

 

事件が起こる前にも喧嘩したのですが、そのときも当たり前のように暴力を振るっています。

 

怒る=暴力になっていたと思います。

 

そんな最低な僕は留置場に入って2週間ほどたったときには大切な人に本当に悪いことをしたなと思うようになって、後悔もするようになりました。

 

一番後悔したのは大切な人に何度も暴力を振るったことです。

 

僕はどうしても大切な人の言っていること、気持ちを理解できなかった。

 

自分の言い分をわかってほしいがために、暴力という安易な選択をしてしまった。

 

彼女が必死で説明しようとしているのに耳を貸さなかった。

 

2度とこんな過ちを繰り返してはならないと強く思うようになりました。

 

同じ過ちを繰り返さないためにも、喧嘩になって暴力を振るわない、言葉の暴力をなくすことができるようになる勉強していきます。

喧嘩の関係を修復するということ

喧嘩した時にうまく関係を修正できれば暴力を振るうようなことにもならないし、言葉の暴力も投げかけなくて済みます。
 
相手が怒っている時に僕が謝ることもありました。
 
回数としてはかなり少ないですが。
 
しかし、謝ったところで相手は怒ったままだし、やっぱり喧嘩になるということを経験しています。
 
「怒りを鎮める うまく謝る」という本には、関係を修復するには謝罪が重要ではないと書かれています。
 
誤解のないように書いておきますが、この本には適切な謝罪の方法も掲載されています。
 
関係を修復するには謝罪が重要ではないという言葉を補足しておくと、口喧嘩のあとの「関係修復には謝罪よりも大切なことがある」ということです。
 
「怒りを鎮める うまく謝る」には、喧嘩の原因は
  • 相手から脅威を感じる
  • 相手から大切にされていないと感じる

2つがあると書いてあります。

 

大切な人が僕に怒る原因は「自分が大切にされていない」と感じていることが多かったように思います。

 

彼女はよく、「私のことを大切にして!」と言っていました。

 

喧嘩するたびに言葉の暴力を浴びせられた彼女は、僕の冗談やちょっとした言動ですごく傷つくようになっていたんだと思います。

 

そんなことにも気づかずに、僕は「大切にしているつもり」だったので、何を言ってるのかよくわからず喧嘩になりました。

 

自分が勝手に「大切にできている」と思っていただけで、実際は大切にできていなかったんです。

 

大切な人の気持ちをまるで考えることができていませんでした。

 

彼女は大切にされていない気持ちをいつも抱えていて、不安で寂しくて僕に訴えていたんです。

 

今は大切な人の気持ちを考えることができなかったことをすごく後悔しています。

 

本当に低レベルな話ですが、これからは相手の気持ちを考えられるという当たり前のことができる人間にならないといけないと強く思っていますし、そうなることが暴力を振るわないことにつながっていくと思います。

 

喧嘩中に求められること

 
「怒りを鎮める うまく謝る」に喧嘩中(口喧嘩が終わっても解決しない状態を含む)に相手から求められることの調査結果が掲載されています。
 
その調査によると、
  • 強くあたらないでほしい
  • 愛情を示してほしい

の2つの割合が多いんだそうです。

 

【強くあたらないでほしい】

 

強くあたらないでほしいというのは口喧嘩での罵倒、態度、強く何かを相手に求めるなどです。

 

もちろん、暴力も含まれます。

 

強くあたるということは相手に脅威を与えることになるし、まともな話し合いができなくなる状態です。

 

以前の僕は強くあたるどころではなく、強烈にあたっていたと思います。

 

強くあたらないでいるというのは喧嘩中でも落ち着いて話し、相手の気持ちを考えることかな?と思いました。

 

喧嘩中でもまずは、物理的にも気持ち的にも相手が安全であるということをわかってもらうこと。

 

これも大切なことだと思います。

 

落ち着いて話すことができれば、喧嘩になっても暴力に至るような大変なことにはならない確率が高くなると考えました。

 

僕の場合、相手の言葉を誤解して僕が怒りだして喧嘩になることもありましたが、それも相手の気持ちや言葉をしっかりと理解しようという努力ができていなかったからです。

 

【愛情を示してほしい】

 
喧嘩中に愛情を示すというのは僕はすごく難しいと感じています。
 
というのは、僕は喧嘩になると相手を敵と認識してしまい、攻撃の対象と思ってしまうからです。
 
喧嘩中、相手を敵と認識しているということは愛はありません。
 
ここから抜け出さないと僕は喧嘩中に愛情を示すことができません。
 
愛情を示すということは、キスをしたり、抱きしめたり、言葉で愛情を示したりしないといけないと思います。
 
ということは喧嘩中に敵対行動を解かないとだめだということです。
 
これは僕にとってかなりの恐怖になります。
 
僕は非常に弱い人間です。
 
武装を解き、無防備になることは負けるも当然の行動なんです。
 
それをしないといけない。
 
武装を解くには、まずは相手を敵として認識するということをやめることだと思いました。
 
敵じゃなくなったら激怒や暴力に発展するということも起こらないし、愛情を示すこともできるようになります。
 
喧嘩した時に対立をさけるにはどうしたらいいのか?これをしっかりと考えたいと思います。
 

【コミュニケーションで仲直り】

 
喧嘩を解決する方法は、割合の多い
 
  • 強くあたらないでほしい
  • 愛情を示してほしい
 
の他に4つあります。
 
  • もっとコミュニケーションをとってほしい
  • 敵対行動をやめてほしい
  • 愛情を注いでほしい
  • 謝罪してほしい

の順で多いそうです。

 

謝罪してほしい以外はほとんど、最初に説明した2つに含まれているような印象を受けました。

 

ただ、謝るだけではなんの解決にもならないし、相手も満足することはないと思います。

 

謝罪と一緒にこれからどうするのか?という話がついてくるでしょう。

 

それを相手と一緒に考えられるような状況の謝罪はすごくいいと感じました。

 

「怒りを鎮める うまく謝る」には

 

仲直りするにはコミュニケーションを取ること

 

と書いてあります。

 

相手に対して不満に思っている状態で、眉間にシワをよせた表情であってもコミュニケーションをとったほうが仲直りできる確率が高いそうです。

 

これは成熟した大人の対応だと思います。

 

僕は全く逆で、相手と距離をおいて話さないことがほとんどでした。

 

大切な人は仲直りしようと必死で話しかけてくれていました。

 

だからこそ仲直りもできたし、こんな僕でも2年半も付き合うことができたんだと思います。

 

今度は僕が武装を解いて、コミュニケーションをとれるようにならないといけません。

 

まだ時間がかかるかと思いますがそうなりたいと強く思っています。

 

喧嘩になりそうになったとき

 
相手が怒りだしたとき、こちらが怒ると喧嘩になってしまいます。
 
「怒りを鎮める うまく謝る」には回避方法として
  • 相手が感情をぶつけくることを攻撃だと思わないこと
  • 傷ついていると感じている責任をとる
という2つの方法が書いてあります。
 
感情をぶつけてくることを攻撃だと思わないことが僕は重要だなと思いました。
 
相手が感情をあらわにして僕を責めてくることは攻撃だと思っていましたし、相手がそんな態度をするなら僕も怒っていいと思っていました。
 
怒っていいと思っていたんです。
 
僕はどれほど愚かな人間なのか、この本を読んでわかりました。
 
さらに傷ついている相手の責任をとる。
 
これも僕にとっては考えたことがないことです。
 
相手が怒っているのは傷ついて怒っているとも考えたこともなかったし、その相手の責任をとるなんてとんでもない、どうして僕が責任をとらないと駄目なんだと思っていました。
 
これから、傷ついた相手の責任をとるということはどんなことなのか?ということを真剣に考えていきたいと思います。
 

態度を変える

 
関係の修復には「自分は態度を変える意思がある」ということを伝えるのも良いそうです。
 
自分が悪くないと思っている時に自分の態度を変えるというのは、相手を責めないで自分の悪いところを見つめ直すことだったり、敵対行動を解いたりすることなのかなと考えました。
 
自分の正当性にこだわっていると態度を変えることが難しいので正当性にこだわらないということも大切なのでは?と考えています。
 
自分は悪くないと思っていても、相手を本当に大切に思っているなら態度を変えることはできると思います。
 
そうしないといけません。
 
自分が大切なのと同じように相手も大切にしなければ、喧嘩が収まったとしてもその後、うまくいかなくなってしまいます。
 
今の僕には態度を変えるのは難しいと感じるのが正直な気持ちです。
 
ですが、いままで思いつかなかったのですごく勉強になりました。
 

まとめ

今回は謝るをテーマに勉強しました。
 
1回で勉強が終わるようなテーマではないので、同じテーマでまだまだ勉強が必要だと思っています。
 
僕は暴力を振るっているのだから「謝罪」することは当然だと思っています。
 
謝罪したからといって許されることではないということもわかっています。
 
自分のしたこととしっかりと向き合いながら、大切な人への謝罪の気持ちをずっともちながら勉強していきたいと思います。