自分が異常な考えの持ち主だということを受け入れる
それでも価値観や考えを変える理由
ついつい出てしまう考え方や価値観
そうすることによって変わることができると思います。
そうすることによって変わることができると思います。
の5つがあります。
(ランディ・バンクロフトの本より抜粋)
これは昭和の日本を思い出してもらえるとわかりやすいと思います。
仕事をして家に帰ったらご飯ができているのは当たり前、疲れて帰ってきたのだから家事を手伝わないでゆっくりすることが当たり前などの考え方です。
僕の場合、家で仕事をしていたときは家事を手伝っていたのですが、外で仕事をするようになってから家事をあまり手伝わなくなりました。
これもこの特権意識からくるものだと思います。
ある時、仕事のことで講師の方に相談にいったんですが、今の方法でやっていくことがあまりよくないと聞き、落胆してしまいました。
その時に大切な人は、「落ち込んでても仕方ないから次を考えよう」と言ってくれたのですが、それは僕が望む励まし方ではなかったんです。
それでケンカになりました。
僕が落ち込んでいる時に、大切な人が僕が望むように励ましてもらえないと「気遣ってもらう権利」を侵害されたと感じます。
ランディ・バンクロフトはこの権利を「DV被害者がどこにいても、何をしていてもDV加害者に目を向けていることを期待している」と表現しています。
自分の意見を相手が受け容れて当たり前という権利です。
この権利が原因で大切な人とよくケンカになっていたと思います。
さきほど書いた、心を気遣ってもらう権利のところとも共通しているところがあります。
この権利を持っていると考えていると、意見が対立すること自体が権利を侵害されていると感じます。
なので、権利を守るためにDVにいたる場合があります。
僕の場合、このパターンでのDVがすごく多かったように思います。
DVをしてもその責任から逃れられると思っている権利です。
絶対にそんな権利はないのですが、実際にDVをしているのだからDV加害者は、意識的、無意識的関わらずにこの特権を持っていると思います。
相手をコントロールするの記事でも書きましたが、相手の責任にすることもこの権利
の特徴です。
この5つの特権を手放すにはどのようにすればいいのでしょうか?
もう一つは自分の考え方が常に特権意識からきているということを意識することです。
自分で当たり前と思っていることは当たり前ではなくDV的な考え方であるということです。
これを意識することで冷静になりますし、相手の意見も聞きやすくなるのではないかな?と思います。
の両方だと思っています。
大切な人を失って初めて気づいたこと、その中でも失って、もう取り戻せないと思うこと。
それは、僕に向けられた人生で一番大切な「愛」です。
以前の記事でも書きましたが、僕の母は自分勝手な性格で僕のことを甘やかすことはすれども愛してくれてはいませんでした。
そんな僕の人生の中で唯一、愛をくれたのは「大切な人」です。
愛を受け取ったことのない僕は、大切な人が愛をくれていたことに気づくことすらありませんでした。
喧嘩して彼女が必死でわかってもらおうと説明するのは、僕を愛していたからです。
暴力を受けても何度も僕と一緒に頑張ろうと思ってくれたのは愛があったからです。
そんな彼女に対して僕はひどいことばかりして苦しめてしまった。
僕は大切な人を失ったと同時に愛された世界を失いました。
今後、僕は誰かに愛されるという経験をすることはないと思います。
大切な人は自分を犠牲にして僕を愛してくれていたからです。
こんな僕にそんなことをしてくれる人は他にはいないでしょう。
この先、僕は立ち直ることができたとしても孤独のままです。
孤独はいつも大切な人を思い出させます。
しばらくは本当に辛いけれど、なんとか生きていくことをしなければと思います。
僕が怒らないようにする、暴力をふるわないようにするには考え方を変えるしかないと思っています。
が多かったように思います。
他に思い返してみると僕が勝手に勘違いをして怒ってしまったこともありました。
今、冷静に考えるとなんと自分勝手なことを思って怒ってしまったなと思います。
自分の言っていることが理解されないのは、大切な人がどのように僕の言葉を受け取っているのかを考えていなかったからです。
自分のことを否定されている感じがするのも、僕が勝手に否定されたと思っていただけで大切な人は否定しているつもりじゃなかったかもしれません。
こう考えていくと、全ては僕の未熟さから来ているということがわかります。
男性と女性は脳の構造が違い、話が通じないことがよくあることを勉強しました。
僕が女性にわかる言葉、気持ち言葉で話すようにして、否定されていると感じたら相手の真意をしっかりと理解するように話の内容を確認することができれば、ほとんどが喧嘩になる前に解決できたのです。
問題はイラッとした時に今書いたようなことができるかどうかです。
今までの考え方や感じ方を変えようとするのは至難の技のような気がします。
しかし、今、僕が変われないと永遠に変わることができません。
僕は大切な人を失い、裁判で有罪という形で社会的な責任をとることになっているし今後、2度と同じようなことを繰り返してはならないと強く思っているからです。
そのためには自分と徹底的に向き合い、乗り越えていきます。
TVで老夫婦が経営している焼き肉屋さんを取材していました。
その焼き肉屋さんは5年も休んでいないそうです。
理由はお店を辞めた時に奥さんを世界一周の旅につれていってあげたいから。
店主の旦那さんは本当に奥さんを大切にされていて、奥さんの手が荒れるからという理由で皿洗いは旦那さんがする徹底ぶりです。
お見合いで出会った二人だけれども、今は奥さんがいないと1日でも生きられないというようなことをおっしゃっていました。
この老夫婦は本当に愛し合っているんだろうな思います。
僕は大切な人を愛しているつもりではあったけれど、ちゃんと愛せていませんでした。
大切な人を失ってから僕はいろいろなことに気づき、反省をして変わるために勉強をはじめました。
その中できづいたこと、それは大切な人以外に愛されたことがないということです。
喧嘩したら絶対に相手を言い負かしたいと思っていました。
謝ることは「負けた気分になる」からです。
大切な人によく「あなたは喧嘩に勝つことしか考えていない」と言われました。
そう言われるたびに僕は言いました。
「そんなことはない、自分の言い分をいいたいだけだ」と。
僕はそんな言い訳をいつもしていました。
だから大切な人との喧嘩が始まると終わりがありません。
物別れに終わることがほとんどです。
僕は自分が負けそうになると喧嘩と関係ない話を持ち出したり、相手の揚げ足をとったり、それでも相手が黙らない場合、暴力に至ってしまうときもあります。
暴力を振るっても謝ることは少なかったです。
それは黙らない相手が悪い、暴力を振るってしまうような状態にした相手が悪いと思っていたからです。
全ては相手の責任と思っていました。
僕のことを否定するのはすべて攻撃だと思っていましたし、相手がそういうつもりでなくても僕が攻撃と受け取ったら喧嘩になります。
それが僕の勘違いでもです。
攻撃されたと感じたら頭に血がのぼって、相手の話をまともに聞かなくなります。
高圧的な態度で威圧します。
物理的な暴力がなくても言葉の暴力で相手を傷つけます。
相手が一番、言われたら傷つくと思うことをわざわざ選んで言うのです。
逮捕された直後は暴力を振るって怪我をさせた責任は取るつもりでいましたが、反省はできませんでした。
その時はまだ大切な人が僕を馬鹿にしたと思っていたし、取り調べされているときも反省していないと言われました。
僕を弁護してくれるはずの弁護士さんにも、もう少し頭を冷やしたほうがいいと言われる有様です。
本当に反省しだしたのは、留置場に入って1週間くらいしてからでしょうか。
取り調べの中で事件のことを話していると自分がしたことの大変さが徐々にわかってきたし、大切な人へ対しての暴力がいかに簡単なものになっていたかということもわかりました。
事件が起こる前にも喧嘩したのですが、そのときも当たり前のように暴力を振るっています。
怒る=暴力になっていたと思います。
そんな最低な僕は留置場に入って2週間ほどたったときには大切な人に本当に悪いことをしたなと思うようになって、後悔もするようになりました。
一番後悔したのは大切な人に何度も暴力を振るったことです。
僕はどうしても大切な人の言っていること、気持ちを理解できなかった。
自分の言い分をわかってほしいがために、暴力という安易な選択をしてしまった。
彼女が必死で説明しようとしているのに耳を貸さなかった。
2度とこんな過ちを繰り返してはならないと強く思うようになりました。
同じ過ちを繰り返さないためにも、喧嘩になって暴力を振るわない、言葉の暴力をなくすことができるようになる勉強していきます。
2つがあると書いてあります。
大切な人が僕に怒る原因は「自分が大切にされていない」と感じていることが多かったように思います。
彼女はよく、「私のことを大切にして!」と言っていました。
喧嘩するたびに言葉の暴力を浴びせられた彼女は、僕の冗談やちょっとした言動ですごく傷つくようになっていたんだと思います。
そんなことにも気づかずに、僕は「大切にしているつもり」だったので、何を言ってるのかよくわからず喧嘩になりました。
自分が勝手に「大切にできている」と思っていただけで、実際は大切にできていなかったんです。
大切な人の気持ちをまるで考えることができていませんでした。
彼女は大切にされていない気持ちをいつも抱えていて、不安で寂しくて僕に訴えていたんです。
今は大切な人の気持ちを考えることができなかったことをすごく後悔しています。
本当に低レベルな話ですが、これからは相手の気持ちを考えられるという当たり前のことができる人間にならないといけないと強く思っていますし、そうなることが暴力を振るわないことにつながっていくと思います。
の2つの割合が多いんだそうです。
強くあたらないでほしいというのは口喧嘩での罵倒、態度、強く何かを相手に求めるなどです。
もちろん、暴力も含まれます。
強くあたるということは相手に脅威を与えることになるし、まともな話し合いができなくなる状態です。
以前の僕は強くあたるどころではなく、強烈にあたっていたと思います。
強くあたらないでいるというのは喧嘩中でも落ち着いて話し、相手の気持ちを考えることかな?と思いました。
喧嘩中でもまずは、物理的にも気持ち的にも相手が安全であるということをわかってもらうこと。
これも大切なことだと思います。
落ち着いて話すことができれば、喧嘩になっても暴力に至るような大変なことにはならない確率が高くなると考えました。
僕の場合、相手の言葉を誤解して僕が怒りだして喧嘩になることもありましたが、それも相手の気持ちや言葉をしっかりと理解しようという努力ができていなかったからです。
の順で多いそうです。
謝罪してほしい以外はほとんど、最初に説明した2つに含まれているような印象を受けました。
ただ、謝るだけではなんの解決にもならないし、相手も満足することはないと思います。
謝罪と一緒にこれからどうするのか?という話がついてくるでしょう。
それを相手と一緒に考えられるような状況の謝罪はすごくいいと感じました。
「怒りを鎮める うまく謝る」には
仲直りするにはコミュニケーションを取ること
と書いてあります。
相手に対して不満に思っている状態で、眉間にシワをよせた表情であってもコミュニケーションをとったほうが仲直りできる確率が高いそうです。
これは成熟した大人の対応だと思います。
僕は全く逆で、相手と距離をおいて話さないことがほとんどでした。
大切な人は仲直りしようと必死で話しかけてくれていました。
だからこそ仲直りもできたし、こんな僕でも2年半も付き合うことができたんだと思います。
今度は僕が武装を解いて、コミュニケーションをとれるようにならないといけません。
まだ時間がかかるかと思いますがそうなりたいと強く思っています。