人は、育った背景や性格の影響を受けて1人1人違う考えを持ち◯◯をするべきだという価値観を持っています。これをアンガーマネジメントでは、べき論といいます。
例えば、食事のあとはすぐに片づけをするべきだと考える人もいれば、やっとゆっくり出来たのだから明日の朝片づければいいと考える人もいます。もし、この二人が一緒に生活をしていたら片づけをいつするのかでお互いイライラすることになります。どちらかが、仕方ないなと諦めるまでこの戦いは続くことでしょう。
このように◯◯をするべきという考えは、誰でも持っていて、このべきが誰かに裏切られたり理解されないときに私たちは怒りを感じます。
それでは、発達障がいや自閉症の子どもはどうでしょうか、彼や彼女たちも勿論、◯◯するべきだという考えを持っています。例えばADHDの子どもが、手に荷物をいっぱい抱えて登校したとしましょう。大人が『鞄を使いなさい』と言うと子どもは『だって、鞄に入れると鞄を忘れてしまうから』と言いました。子どもには不注意の症状があり、置き忘れをよくするために“鞄を忘れないために荷物は、手で持つべきだ”というべきと言う“べき”を持っていたのです。このように、子どもは子どもなりのべきを持っているのです。
良き支援者なら、どうしたら忘れ物が減るのか、どのような視覚的支援や構造を作ればいいかを子どもと一緒に考えることでしょう。そして、鞄を忘れないことに自信が持てれば、鞄に荷物を入れて登校することが当り前の行動として定着をしていくでしょう。
しかしこのように上手くいくことばかりではありません。もし、これが自閉症児だったらどうでしょうか。自閉症児の症状には、こだわりがあります。鞄に荷物を入れて持つという行動を習得するためには、習得するまで練習をする必要があります。練習には時間もかかりますし、またその練習方法で鞄を持つことを習得するとは限りませんし、練習中にパニックや混乱が出現するかも知れません。わたしたちは、子どものこだわりに向き合うとき、行動を変えることが出来ないと感じると“仕方ない”と諦めてしまうことは無いでしょうか。
これは、自然な対処方法で私たちは◯◯するべきだということが相手に受け入れられないとき、変えられないものと考えて、支援や取り扱いをしないボックスに考えをうつします。自閉症児の支援は、このようなことの繰り返しではないでしょうか。とくに重度自閉症児はこの機会がおおくなります。毎日生活をする親としては、自分自身のべきをあきらめることに慣れてしまい“障がいだから仕方ない”と、子どもが不機嫌にならないように先回りをして支援をして、子どもが思い通りではないとすぐに親への暴力が出てしまうという親子関係になっていることも良く見られることです。保護者の方は自分の子育てが悪かったんだと自信を喪失し疲弊されているのを目の当たりにする機会も支援者の方はあると思います。
このように、わたしたち支援者は発達障がいや自閉症児と関わるときに子どもが習得するべき行動と、子どもが習得しづらい行動を日々考えて、自分のべき論と向き合い続け、ときには諦めたり取り組んだりの選択をしているのです。