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新しく借りたパリの9区の家は、奥の住居のちいさなストゥディオ(一人暮らし用のワンルーム住宅のこと)であるけれど、整えられた中庭を囲み、部屋に至るらせん階段にも赤の絨毯の敷き詰められたオスマニアン建築の一部を改装したものだった。建物の向かいには18世紀革命期に名を残す歴史学者フランソワ・ミグレのいたアパートが、三軒挟んだ並びにはワグナーが住んだアパート、隣のブロックには今は美術館となったギュスターヴ・モローの邸宅があり、文芸に生きた人々の命の記憶が、人々の暮らしを今も穏やかに守っているかのように感じる。少し上った先には、ジョルジュ・サンドとショパン、リストの集った19世紀の画家、アリィ・シェフェールの家と庭園がロマン主義美術館として公開されており、最も近い地下鉄の駅のあるサン=ジョルジュ広場は、侯爵夫人となった高級娼婦パイヴァの豪奢な邸宅に囲まれてある。モンマルトルへと続くマルティール通りはうって変わり生活感にあふれ、肉屋、魚屋、チーズ屋、パン屋、各国のお惣菜の店が賑わう。良いショコラティエ や素敵なパティスリ、紅茶屋、花屋、ニコラもあり、友人たちを迎える準備はすべてそこで叶えることができた。私はサン=ジョルジュ広場に面するカフェをお茶にも食事にもそれはよく利用し、毎日、横を通り過ぎるのだけれど、パリはストラスブールに比べて地元意識が強いのか、住み始めたばかりの私にも窓越しから手をふってくださる。家主は日仏のご夫婦で、いつでも丁寧に心をかけてくださったこともうれしく、温かな心に囲まれた日々を過ごしている。