全てが始まる。
私が為の音楽を聴きたい。
床に足を降ろして、
スリッパを踏まないように部屋を出る。

——
部屋に戻り、危うい足取りになって
ベッドに入る。
温もりがまだ、残っている。
微かな冷たさに浸された四肢には十分な温かさだ。

二度寝しないように音楽をかける。
最後まで聴かずに、曲を変えていく。
今日の今の私が聴ける曲を変えていく。
クリアに聴こえない。
まだ、眠たいのだろう。

寝てもいい。
でもまた起きなくちゃいけない。

あともう少し経ったら、用意をしなきゃいけない。

今日は姉と又従姉妹とお出掛けだ。
何を着よう。何がいいだろう。
今日の今の私が着る服はどれだろう。


悲しいことが沢山あるかもしれない。
でも、大人に成りきらない方法を私は知っている。
見えなかったもの
見れなかったもの
見ようとしなかったもの


聞こえなかったもの
聞けなかったもの
聞こうとしなかったもの


触れなかったもの
触れられなかったもの
触れようとしなかったもの

五感、六感
すべてで感じる


苦しみ、悲しみ、不幸
嬉しさ、楽しみ、幸

幸せはそんなものではないということ

不幸が不幸せではなく
幸が幸せでもなく

気づくことができて
頭の片隅にさえあれば
仕合わせになれる。
お正月早々、メランコリー
くだらないことにセンチメンタルになるのは年中無休のようです。
お正月で3月のウサギのように機嫌がいい人や年賀状を楽しみにしながらポストを行ったり来たりの人には悪い話。



年賀メールを貰って
何とも言えない気持ちになる。
やっぱりこの文化は好きになれない。

ただたんに友達メンバーのプリクラが貼ってあっただけで、嫌な気持ちになった。

「近寄らないで」って。
わかるんだ、プリクラを添付した時に本人は気付いていない深い意識の中、それがその行動をもたらした心理の淵が。

ゾッとして。

近寄らないで、取らないで、入ってこないで、って。
全然悪気ないんだろうけど、仲間がいる自己主張、
それが精一杯の優しい自己防衛なんだろうね。

なんかもう、そんなことがわかったら
些細なことに気をとられて疲れちゃうわ。


なんか最近…12月の中旬位から
わかったんだけど、
人の意識の中がわかって
これから言うこと、思うことや思っていることが先にわかってしまう。
黙られても聞いたらビックリされるから最近は問わないようにしている。

それに固定概念とかにはしたくない。
何が本当かわかんなくなりそー。

覗くとか見てやろうとかじゃなくてただたんに私の器官の場所はわからないけど、名前のわからない場所に瞬間で浮いて伝わる。

動物の考えていることも、
どうだかわかんないけどわかる。
わかんないときもある、彼らにクドイ言葉なんてないから。

だけど人にあんまり話していなくて、話すと凄いとか役に立てたら?とか言われちゃうけどそんないいものでもないし、悪いものでもないけど


知らなくていいことまで知る必要なんてあるのかな?

だって相手が話したらまずいだろうなって黙る気持ちが私わかってしまったらなんかやだよ。


因果とかよくわかんないけど最近とりわけ視える力が強くなった。
前まではホントにたまにってくらいで短期間だったのに。


知らなくていいことも沢山ある。


疲れちゃわないようにしないとなあ。

その人の綺麗でもなく汚くも醜くもなんともない感情を視ちゃうとろくな気持ちにはならない。
いい感情でも、さ。


私だけなのか、皆が前からそうでやっと私が察せれるようになったのかわかんないわ。


だから私とは距離感が大切。
見えすぎちゃうから、