母のこと | ピクニック

母のこと

母のことを少し書く。

母は、小学校の低学年の時に病気で母を亡くした。
その頃から料理や洗濯など、一通りのことはやっていたらしい。
お父さんとお兄さんと3人で暮らしていたところに、新しいお母さんが現れる。
本当の母のように慕っていたし、仲が良かった。

私が生まれてからも、色々連れて行ったりしてくれて、
まさか血が繋がっていないだなんて、思いもしなかった。
仏壇に、母とよく似た写真があった。
そのことはそんなに気に留めていなかった。
真実は、多分中学生のときに、母の口から聞いたんだと思う。

苦労人なのだ。
嫁いでからも、苦労は絶えなかった。
お見合いで知り合った父と、両親と同居。
父は無口な人だったから、親になにか口答えすることもなく、
口で何かかばってくれることもなかったようだ。
父の母は、自宅から歩いて1分くらいのところで働いていて、昼休みには帰って食事をした。
毎日決まった時間にお昼ご飯の用意をしなければならない。
出掛けることも出来ない。

父は、海外出張ばかりで、愚痴すら聞いてくれない。
ギリの親にご飯を作りに嫁いだわけじゃない!!こう思っていたらしい。
そこに私が生まれたのだ。
母はこう思ったらしい。『やっと私の味方が出来た』と。
私の誕生で、やっと少しは家に居る意味が出来たようだった。

小さいとき、私を連れてどこかへ遊びに行くときも、
朝早く起きて、自分の居ない間の食事の支度、お風呂の支度、全て文句言われないように、
一通りやってからでかけたらしい。
普通なら『ゆっくりしてらっしゃい!』これくらいのことは言ってほしいところだ。
そんなことは、口が裂けても言ってくれない。
それは28年経った今でも続いている。

こんな苦労人の母に、また苦労を掛けている私。
なぜ母は、こんなにも沢山の試練を与えられているのだろうか?

私が不登校していたとき、『学校に行きなさい』こんなことは言わなかった。
買い物に連れて行ってくれたり、私を引きこもらないようにしてくれた。
何も言われないことは余計辛かったけど、
そうしてくれた母に、今は感謝している。

母の子供に生まれていて良かった。
こんなふうに思っている。

でもまだまだ私の悪行は続くのだった。