最近、ジュリエットからの手紙を再見して、やっぱり好きだなぁと繰り返し見ているんですが、そろそろ別の作品も開拓したほうがいいのかな、とU-nextで物色していたんです。
それでアン・ハサウェイの「ワン・デイ23年のラブストーリー」を見つけて。
なんの予備知識なく見始めたんです。
題名からして二人のラブストーリーだと最初から分かっているんですが、いかんせんあらすじ通りの友達のまますれ違いつつ23年。長かった。
ある程度見て、映画終盤に入ると、〇のフラグが立ったなって、なんとく推測できたんです。
が、それが誰に立っているかは分からなかったんだけど、まさかね、あのタイミングで。
そのシーンって、映画冒頭の導入シーンだったですよ。そこから過去に戻って二人の話しが始まるって展開ですが、始まりから終わり寸前だったとはね、思いもしませんでした。
ちょっと、「友達でいよう」もベッドイン寸前までいった二人の間に、それはないんじゃない?って感じでしたし、何か人生に大きな不幸に見舞われたとき、男のほうはとくにヒロインにそばにいてほしくてしきりに来てくれて来てくれてって、恋人がいるのにヒロインを必要としている。
それなのにベストフレンドという枠に収めておこうとする。卑怯。
ヒロインのほうは確実に男のことを、男として好きなのに、そばにいられる理由が友達でありつづけることだと線を引かれてしまっている。その関係の危うさを察知しているし、それでも耐えていた。
互いに愛する人なのに、それぞれ別の人と付き合ったり、男のほうは結婚したり離婚したり。
男のほうの離婚劇は、妻の心変わりだったようだけど、そもそも妻側からしたら男の女遍歴の多さに加えて、過去のベッドイン相手の結婚式に参列させられるという苦行もあって、そもそもよく結婚しようと思えたなと思うレベルだったのだけど、出来婚だから子供のためでもあった。
結局、離婚。
離婚後は男は荒れに荒れていたという。
そのシーンは7月15日の一日のみを切り取った映画のため映されていない。
だから、それを慰めるためだったというヒロインと男が友達の一線を越えたシーンもない。けど、台詞で越えていたことを知らせてくる。
元妻のことは崇拝しているとまで言ったのに、ヒロインに対してはベストフレンドで通す。
一貫して、女性として愛しているという台詞もなく、人生に必要な人はただ一人だけだったことだけは確実なのに、それが恋愛だったのか人としてだったのかよく分からなくなってくる。
ただ恋愛ゲームがしたかったなら、男にとってヒロインでは不適格だったのかもしれず。
一方で人生最後のパートナーなら、ヒロイン以外いなかった。
若い段階で、後者を選び取る勇気がなかったのかもしれない。
最後の最後でのシーンは、男の「こうすれば良かった」という妄想なのか。
友達という言葉で括って、それでいて手放さないでそばにいてほしいと願い、自分は好きなように恋愛ゲームをして、デキ婚までして、その間、明らかに友達の関係ではない距離感で必要としている素振りを見せる。
男のパートナーだったら嫌がる距離感。
二人の恋路を応援するものにとっては、歯がゆい距離感。
総じて、男のほうがチキンでどうにもならん。
視点を変えると感想はまるで違うのだろうなと思う。
これを見ていて思い出したのは、「あと一センチの恋」だけど、あれはなんだかんだでハッピーエンドだった。
あれもすごい長い年月すれ違ってしまったけど。
男側がちょっと性格の悪い女と結婚しようとして、ヒロインが式でアレなことして結果として駄目になった。
本当はヒロインのことを愛しているのにその正反対の性格で、マウント気質の威張り女を選んでいる時点でヒーローのことも好きになれなかった。
ヒロイン視点で見るから、その結婚やめて!って気持ちになるけど、マウント女側に立てば、ヒロインの行動は確実に非常識だし敵。
どれも最初の始まりで大きなすれ違いが起きてしまっていたんだよね…。
ワン・デイのほうは男が真人間になるためのプロセス
一センチの恋はヒロインが挫折から恋と夢を叶えるまでのプロセス
同じ友情すれ違いラブでも余韻はまるで違う。
ワン・デイのほうは正直、〇のフラグが立った時点で見なきゃよかったと思った。
ここまで散々長いすれ違い見せられて、これから二人で幸せになれるのかっていう段だったのに。
なんとなく、どんよりした気分になってしまった・・・