母という人は…
どこまで自分の生き様を通して
私に重要な事を発信してくれるんだろう…⁉️
母は認知症という姿になってから…
肉体の口を持って
大切な事をスラスラと伝えることをあまりしなくなった
「帰りたいなぁー」
「ありがとう」
「可愛いなぁー」
そんなその時❣️その時❣️の感情は簡単な言葉で話すけれど…
本当の奥深い重要と思えることは言葉では伝えてくれない
母が認知症になってからは
母の生き様を思い出すということが多くなった
私にとって…事あるごとに…
母ならどうする⁉️どうしていた⁉️
モヤモヤする時に、この生き方は外れている
母に話すと…どう言うんだろう⁉️
そんな私の眠っている意識を目覚めさせてくれるのは…
私がこの地球に生まれてきてから
側で、ずっと…母が演じ続けてくれた姿そのものだった
例えば…お金というもの
人間って…
お金💰と言うものに一番…迷いが入りやすく
不安、恐怖、執着をもちやすいんじゃないかって思うんだぁー
これだけあれば…安心と思っても
その金額に達すれば…更にもう少し…もう少し…って求めていく
例えば…一千万円を手にしてる人が
1万円を誰かのために差し出すのと
十万円を手にしてる人が一万円を差し出すのは
同じ一万円でも…宇宙から見ると👀そこには見えない愛のエネルギーが違うと思うんだぁ
二万円の中から…一万円を誰かが喜ぶことに回す
そんな生き方をしてたような母だった
回すところは、どこか遠くの知らない人達の為に〜という高尚な場所ではなかったけれど
まずは…自分のまわりにいる人達が笑顔になることをし続けていた
随分と前に母のお給料前にクリスマスケーキを買うお金が財布に入っていなくて
私に買ってあげたくて寂しい思いをしたことがあるという記事を書いたことがあるのだけれど
そんな決して有り余ったお金を手にしているわけではなかった母は常にお金を喜ぶ形で旅立たせていた
私が成人するまで
ブランドの服を着ていたこともなく…
旅行に行ったこともなく
一人で美味しい物を食べに行ったこともない母
職場の忘年会など、どうしても子供を連れて行けない時以外は
私一人を残していくことがなかった母だった
そんな母はボーナスをもらった時…必ず
お爺ちゃん、お婆ちゃんに母にとっては
高額であろう金額を熨斗袋に入れてあげていた
そして、その二人を外食に連れて行き
食後…
お婆ちゃんが飲んだことのないウインナーコーヒー☕️を飲ませてあげたいと
ある喫茶店…(笑笑…昭和だねー)
に連れて行っていた
お婆ちゃんが👵「こんな美味しいもん❣️飲んだことない」という言葉を聞いて幸せそうな顔をしていた母
その顔を今でも覚えている私
今、施設にいる母って…
綺麗な服を着てお洒落出来る状態でもなく
ましてや、毎日…お風呂に入れるわけでもなく…
食べたい物が食べれるわけでもなく…
会いたい人の声すらも自由に聞けることもないでしょ⁉️
それなのにね…
「お婆ちゃん…一回…お風呂連れて行ったろか⁉️」
「お爺ちゃん👴コーヒー好きやから、お茶飲みに連れて行ったろか⁉️」
「〇〇ちゃん(叔母)に服、一枚…買うたろか⁉️」
そんなことばかり話すんだぁ
もうー染み付いちゃってるんだよねー
その母のそういう生き方が…
今ね…娘が年頃になって…母と自分を重ねて思うことがいっぱいあるの
母はあんなにも…自分の為にお金を遣わなかったのに
私の嫁入り支度は…両親が揃った人以上に立派な嫁入り道具を揃えてくれた
普通なら…自分の老後の生活をまず考えて
そこを残して…その後で…って感じだと思うんだ
そんな話をよく聞くもの👂
今…私は夫婦揃っていても
母と同じだけ、娘にしてあげられるだろうか⁉️
それを思う時…到底…母には及ばない
本当に母は偉大だなぁーと思う
私が嫁いでからの母の生き様を見ても
その時❣️その時❣️
私達…娘夫婦や孫や…父母や兄弟…姪っ子…甥っ子…
友人達
心を尽くしながら…生きてきていた
その頃にやっと…
自分に対するご褒美として
習い事をしたり
旅行に出かけたり、友人とご飯に出かけたりするようになったかなー⁉️
でも、私達家族と旅行する時は…母が全部旅費やお小遣いまで出してくれていた…
それを私はすごく特別な事なんだって思いもせず
生きてきた
母が自分の元にとどまらせていたお金の金額は
多くなかったと思うんだぁ
でも、その自分の元にやってきてくれたお金さんを💰
最大限に自分と自分の周りの人たちが同時に‼️喜ぶように
くるくる回していた
母が認知症になった時
母が建てた家が無ければ、いくら私が何もかもを捨てて母の元へ行こうと思っても
それは出来なかったと思う
泣く泣く…後悔をしながら
そのまんま…母の施設行きを考えたはずだ
母は自分の徳積みによって
最後まで…守られていたんだなぁって思う
母はきっとね…
何を食べるか⁉️よりも
誰と…食べるか⁉️を自然に選択していたんだね
私と一緒に食べるご飯は🍚
いつも…美味しくて幸せだったんだね
嫌いなものがなかった人なんだぁ
何を食べても美味しい美味しいなぁって
幸せそうに食べてた…
今も食べてる
認知症になる前…我が家に来て、食べる時
「人に作ってもろて、お箸だけ持って食べれるのは幸せやぁ」って…これが口癖だった
その言葉を聞くと、私まで幸せな気持ちになって
もっと、母を喜ばせたいって思ってた
私ね…
こんなにも完璧な師匠が目の前にいたことに
やっと…今❣️気付いてる…
ほんっと…遅いよなぁー
母がしてること…当たり前だと思ってたから
結婚後、私は母がしてることを真似て
主人の母にお盆とお正月…お小遣いを包んでいた
きっと、そこには母のような気持ちは入ってなかった
でも、その母を真似る行為が
常に私を助け、守ってくれていたことに気付いた
母がどんな時も泣き言を言わず
自分は豊かである❣️という姿を貫いて
私に見せ続けてくれたお蔭で
私は自分はお金に困らない❣️という信念を自分の中に植え付けている
だからこそ…無収入になり…母との介護生活をスタートさせた時
なんとかなる❣️私は守られている❣️と信じられたんだと思う
実際に…そうであった
母が示してくれた人生の生き方のお手本が
私を守ってくれたのだった
私が母にたどり着くまでの道のりは…
まだまだ…遠いことを知っている
母が今ただ…目の前に在るという姿から
私は自分でそれを知らなくてはならないからね…
自分の奥へ奥へと入っていかないと発見出来ないことを知っているんだぁ
本当の豊かさは
目に見えるものではない
でも、母のように
それを奥底で感じられるようになるには
色んな不必要な…捨てがたき終着をどんどんと捨て去らなければ
本当の意味で実感出来ないんだろうなー
まだまだ‼️です…はい…わかります
でも、母の近くにたどり着けた時の自分を楽しみに
これからの地球体験を楽しめればいいかなーって思ってる
私らしく…師匠である母を目指せばいい❣️
母さん…まだ辛抱強く…
私を待っててくれて…ありがとね❣️
未熟な私を…しょうがないなぁーって
笑って見守ってくれて…ありがとね❣️
今日も繋がってくれて
ありがとねーーーーー