最近やたら感じる言葉があるんだよ
「あなたにとっての真理とは何か」
映画パッションの中のキリストの言葉。
地下鉄に乗っているとき、車を運転しているとき、洗面所で化粧しているときとかふとこの言葉が出てくる。
この数日何度この言葉で問われたかわからない。
私の名前mariはこの真理。
だからパッションを見ていたとき、なぜかすごくドキッとしたのを覚えている。
最近というか8月かな。
急にキリストやマリア様を近く感じることがある。
いろんな出来事の中に。
私にとってたぶん一番深いところにあるのがキリストで、それは今の私にはよくわかっていないんだけど何かあるとは感じている。今は全くキリスト教のこともキリストのことも何もわからないけどきっといくつかの前世で深くつながりがあったんだろうと。
そしてそこにたどり着くためにこれまで何年もかけてまわりから掘り起こしているような。
何も根拠はないんだけどそう感じる。
見たくない、気づきたくない、真実を知るのが怖いという思いもどこかにある。
それが何なのか、なんでかはわからないけど。
それでもきっといつか、知るべき時が来たら知ることになるんだろうし、無意識に近づいて行っているのかもしれないから無理することはしないけど。
あ、それでさっきも急に言葉が来たんだ。
「正しく生きようと思わなくていい。」
最近、「こうあるべき」、「普通はこう」、「こういう風にしなければいけない」、という意見に出くわすことがある。
それが「正しい」ということなのか。
ずっと考えていた。
もちろんそれの意味はわかる。
頭ではわかる。
だけど、心が理解できない部分もあったり。
正しく生きるってなんだろうって思ってた。
だからかな。
さっきの言葉。
「正しく生きようと思わなくていい。」
そして
「あなたの心に忠実に生きることが
あなたにとって正しく生きるということなのだ。
たとえ誰かに非難されても、
たとえみなに批判されたとしても、
たった一人になったとしても、
あなたがそう思う感情、
その結果起こる出来事にはすべて意味がある。
その時わかってもらえなくても、
その時真実がみなに見えなくても、
いつか、真実は明らかになる。」