昨日しっぽの先から出血しているのを発見して

今朝、愛猫 寅之介を病院に連れて行った。

 

私一人で病院に連れて行くのは初めてで
イロイロあって大変だった(笑)

 

 

いつもは必ずダーリンと一緒に病院に行くことにしていて。

それはお医者さんのストレートな言葉を共有するため。

 

彼は楽観的なところがあって

「このくらい大丈夫」ってよくいう。

 

私はちょっと心配しがちで

彼の言葉に「そうかなぁ。。。」と半信半疑。

 

今回の寅のしっぽの異常は

一週間くらい前には感じてたことだった。

 

何か手に触れる違和感。

しっぽの先に できものがある?

 

調べるといろんな情報が出てきて

でも本人はさほど痛がっていなかったので、ダーリンと話し合った上で様子をみていた。

 

そしたら突然出血しているのを見つけて

驚いてあたふたして・・・

 

今日はダーリンが不在だし、明日は私が不在だし

どうしたらいいものかと 悩める心中をFBに書いたら

 

お友達からお叱りコメントが来て 正直凹んだ。。。

 

 

で、これを読んで思った。

 

私はただ弱音を吐きたかっただけなんだなって。

 

なんでも自分ひとりでやろうとする私が

じぶんの弱さを まるっと自分で認める

 

その大事さを感じたプロセスだったなと、振り返ってみて思う。

 

 

そのお友達には「正直あのコメントは今の私にはキツかった。。」

と伝えて、お友達の真意も聴くことができた。

 

こういう展開も 私的には新たなチャレンジのひとつだったよ。

 

以前の私なら、自分一人で悶々としてただろうし

お友達じゃなけりゃブロックしたかもしれない。

 

だけどそうじゃなくて

きちんと「輪を閉じる」ことをやろうと思った。

 

 

 

そして一人で病院に連れて行った訳で。

きちんと話をしたら 寅もすごく頑張ってくれた。

 

 

しっぽの毛を剃られ

洗って薬を塗られ、注射まで受けた寅之介

 

怖がってブルブルふるえてたけど、本当によく頑張ったねドキドキ

 

 

ドキドキドキドキドキドキ

 

今回の寅の件で思い起こされたのは
遠い昔の母の言葉。

 

 

私がハムスターを飼っていた頃

 

病気になったハムちゃんを動物病院に連れていくも

 

「小さすぎて診察できない」

「他所の病院紹介するからどうだったか教えてほしい」

 

と言われてすごすご帰ってきたことがある。

 

 

もう寿命かなとも思っていて。

 


一人暮らしで生活を切り詰めていた当時

ハムスターのために別の病院に行くことをちょっと躊躇していた。

 

 

その思いを母親に正直に打ち明けたら

 

「いいよいいよ、あんたはもう充分頑張ったよ」
「ハムちゃんも分かってくれると思うよ~」

 

って言われて。

 

 

その言葉に 全てが許された氣がした。

 

 

いのちを預かる身でありながら

自分のお金の心配から病院(セカンドオピニオン)に連れて行くことを躊躇する自分に、私はモーレツな罪悪感があったんだなって、後で氣付いた。

 

 

だけど、罪悪感が湧くほどに

 

「でも!! だって!!」

 

と主張する私の中の不安勢力たちがいて。

 

 

「ハムスターにそんなお金使っちゃってどーすんの!」
って私にささやいた。

 

 

一人芝居のような、

自分ひとりの板挟み状態。。

 

 

そのドロドロを母に打ち明けて「充分頑張った」と言われたとき

 

私が勝手に自分に科していた

「飼い主としてはこうあるべき」という一般ジョーシキも

 

「でも!! だって!!」と主張する私の中の不安勢力も

 

どちらもサァーーーーっと溶け去って消えた。

 

 

 

そして、大声をあげて泣いた。。。

 

 

ただ、ただ、泣いた。。。

 

 

 

何でこんなに泣けるのか分からなかったけど、


その瞬間 背負って抱えていたすべてが解き放たれて


全身のチカラが抜けたら ただ涙だけが出て来たんだ。

 

 

 

そして、家から少し離れた別の動物病院に

「連れて行こう!」って決めた。

 


「ガンの疑いもあるね」と医者に言われて、

アガリクスの粉をもらって飲ませた。

 

 

思い残すことなくやれることをやろうって、
スッキリと思う私がそこにいた。

 

 

 

みんなきっと自分の中に答えを見出す力がある。


自分を幸せにする力もある。

 

 

「~するべき」という枠を超えたところで
その答えは見つけられるんだろうな。

 

 

「~でなければ」と縛っている間は、

ほんとうの自分の答えは見えないのかもしれない。

 

 

母は私とのやり取りの中で
それを私に見せてくれていたんだなって思った。

 

 

母は沢山のひとに信頼されて

みんなに悩みを相談される存在。

 

 

子供の頃からお節介な一面が本当に鬱陶しくて、

私の心の聖域にノックもなく土足で入ってくる無神経さが大嫌いだったけど。

 

 

今回の寅の件で思い起こされた母は、

ただ素のままで人を癒す存在で、

それは私の「こうありたい」と思える姿そのものだった。

 

 

思わぬところで母の素晴らしさに氣付けて嬉しい。

 

 

もうすぐ誕生日がやってくる。


私を産んで育ててくれた母のことを愛おしく感じられた今日。

 

 

この想いを大切に残しておきたいと思う。

 

ありがとうドキドキ

 

 

愛に飢えた両親だったけど。

 


それは私にも連鎖されたけど。

 

 

だけど、本当はそこには確かに愛があった。

 

 

 

ほんとうは愛の連鎖で私は生まれた。

 

 

 

すでに充分に愛されて育っていた。

 

 

 

求めていたものは 確かにそこにあった。

 


じぶんのなかに。

 

 

まるで青い鳥みたいに
外に探し求めてもないもので。

 

 

ただ自分の中にずっとずっとあったんだなって
それを静かに感じた。

 

 

ありがとうドキドキ

 

今しずかに嬉しい。


ただ、ただ、嬉しい。

 

 

ありがとうドキドキ

 

 

ドキドキドキドキドキドキ

 

この記事を読んだお友達が

「聴いてみて」と勧めてくれた曲がある。

 

 

宇多田ヒカルのNEWアルバムの中の曲

「道」

 

彼女がお母さんに向けて書いた曲なんだって。

 

早速探して聴いてみたら

確かに私の心情とリンクするものがあったよ。

 

 

ちなみに今日 病院に行く前にSkypeでぷちチャネリングセッションをしたのだけど、

「病院」「出血」というキーワードがリンクしていて驚いた。

お伝えしたメッセージも

半分は私自身へのものかなという感じがした。

「君の名は。」の中で描かれていた

人との「結び」と重なっていて。

 

すべての流れが大切に思えたよ。

 

ありがとうドキドキ