人と言うのは
つい、一面だけ見て
早急に簡単に判断して
決めつけがちになります。
女神の講座では
人と言うのは、
人から聞いた先入観で
その人を判断してしまいやすい。
外から判断してしまう。
あるいは
一方的な偏ったものの見方で
勝手に判断してしまう。
(自分の内なる、からではなく。)
また、
自分が
その人は、
こうね、
と
決めつけてしまうと
すると、
ますます、その人は
そのようにあなたの前では振る舞う
あなたはまた
その人のその面しか
見ようとしないから
強固になってしまう、
とお伝えしました。
例えば
あ、まりあさんって
こうなんだ、
と見たとします。
しかし、
それはほんの一面、
ほんの一部。
男前なまりあさん、
と
思った人は
ベランダに虫が入り込んだら
どうしたのかい?
具合悪いのかい?
と尋ねて対話してる
メルヘンなまりあが
想像できないことでしょう。
女らしいまりあさん、
と
思った人は
芸人級に面白いまりあを
どうしても
想像できない人もいました。
「彼女には少なくとも20の引き出しがあるよね、人格が20くらい、あるみたい。」
とは
昔から言われてきました。
昔は
憑依されてるのかな?
一体、どれが本当の私なんだろう???
と
思いましたが
どれも、私なんだな!
と感じるようになりました。
しかもそれは
人が
ものの見方を自由にする
力もありました。
観自在
のお話をしたかと思います。
人は
善きにつけ悪しきにつけ
あなたが
そうと判断したいように
人を見ます。
例えば
まりあを
こうだ
と見たいように
見ます。
まりあのことを
なんだか、とても熱くて
親心で本気で叱ってくれる
おかあさんみたいな人。
(仕事のときだけですね。あとは普段は力抜けてます。(笑))
フワフワしたことばかり言ったり
頼りなくて大丈夫か?!と
見ててほっとけない、子供みたいな人。
(最もプライベートのくまちん。そんなまりあを今度はえ?そんな人だったの?!と物凄く驚く人も居ますね。)
人の話に静かに聞いて
ニコニコするだけで
何もそれについてアドバイスしない人。
(友人のほとんどはそう思ってるみたいです。まさか、こんな仕事をしてるとは、でしょう。やはり頼りないからよく注意喚起してくれます。)
黙っているとむしろ、
冷たそうでクールな人。
ツンとしてて、近寄りがたい、
また、何が起きても動じなさそう。
(淡々と話すので、宇宙人じゃないか?と思うとか。鑑定士などからもそう見られます。)
…
それらすらも
ほんの一部。
まりあは
あなたが見たいように判断したいように
したらいいと思うので
気にはなりません。
どうぞ、ご自由に。
ただ、お伝えすることは
あなたが
どの人に対しても
「この人、
もしかしたら
違う面もあるかもしれない
では、
私は
どの面をフォーカスしたいと
してるのだろう?」
と
観自在で
見てみると
何を現したいのか?
自分がわかるかと思います。
私は
この人のどの面を引き出したいのか?
見ようとしているのか?
判断したがってるのか?
決めつけようとしてるのか?
と
自分に問うことが
大切です。
自分がまだ、
その一部しか見てない
知ってないのに
たまたま、
目の前の
その人の振る舞いで
短絡的に
「この人はこうだ、」と
決めつけるのは
ちょっと待った。
制限つけてないか?
それは
自分の中の
ものの見方を
不自由にしてない???
なんですよね。
あなたが
あなた自身を
勝手に
ものの見方を
不自由にするよりも
柔軟に
そう、しなやかに
自由にさせていこう。
人に対しても
そしてー
人生そのものに対しても。
まりあ