誰を信用して信頼していいのか?に悩んだら読んでね。 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

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騙されているのか?
洗脳されているのか?
その本人も暗示にかかっているのか?
良い人って?
本物って?
良くない人とは?
法を犯した人なのか?
信頼しない方がいいのか?

そんなことに苦しんだり
わからなくなったら
まりあの経験を参考にしてみてくださいね。

ちなみに
まりあを信頼していいのか?
どうなのか?
さえも
「徹底して検証しなさい」
と、まりあは常に言います。

両目見開いて、すべての人をそう見るといいと思います。

信用してください、信頼してください、
とは言うつもりもありませんし
良い人だと言うつもりもありません。
良い人だと演じてしまう罠にはまりたくないから
むしろ 警戒しています。
清くなりすぎると 人は生きづらくなります。
そもそも人は生まれながらにして 罪というなら 罪を毎日おかしていると言えるかもしれないのです。
だって 今日食べたのも 命を奪っていますしね~
たくさん 犠牲になってくれています。
椅子だってそうでしょう?
椅子にされるよりも もっと 生きたかった木だったかもしれないのです。

ついつい 出所が カトリックなのもので
ついつい こういう書き方をしてしまいますが
「罪を犯していない人はいない」
と イエスは悟らせます。
過ち 誤り 原罪と言うのがあると思うくらいの方が
人間らしいのです。

だから
「自分は清い」 と 決して思うなかれ なのです。

宮澤賢治の「よだかの星」なんです。

そして
「犠牲になった椅子よ、ありがとうね、」と手を合わせて感謝から、なんです。
犠牲になった愛をしかと受け取るんです。

自分のことを 「私は人が良い」と 言うなかれ なのです。
「あなたは人が良い」と いくら周りに言われても です。
いくら 周りから 「あなたは美人だ」と言われたからとて
「私は美人だから」とは言わないでしょう?
(言うおばかちんもいますけども。笑)

特に美人 特に清い 特に人が良い は 確かに判断は出来ます。
それと 自分を思うなかれ なんです。
なぜなら 「それで 自分がこけるから」なんです。

自分を他よりも美人だと思っていたら ほめなかったら腹を立てます。
自分が他よりも人が良いと思っていたら だまされるんじゃないかと心配し出します。
自分が他よりも清いと思っていたら 清くないことにアレルギー出して生きづらくなります。気が狂いやすくなります。

あなたも わたしも 美人
あなたも わたしも 清い
あなたも わたしも 人が良い

と 決めると そうなり 平和になります。

人の 美しいところ 人の 清いところ 人の善意を フォーカスし続けなさい。
その人の魂が光り出すまで。


まりあは 最近 弟子を迎えました。
弟子にはこうして 色々なことを教えています。
自然発生的に 気がついたら いつも無償で教えていたので
弟子になっていた訳で
改めて 弟子志望というきちんとした形になり 成立しました。

セッションや 講座だけではなくて 伝えていくうちに
たくさんの発見が弟子達にめざましく 起きて こうなりました。

やはり 「弟子は取らない」姿勢はありました。
やはり 何度も何度も 考えました。
しかし ごく自然の流れで 膨大な質問に答える形でそうなっていきました。

「師匠や メンターはいらない 単に 魂の先輩という意味だけでいい」
と 今なお 思っています。
すべて 全人格ではなくて この部分だけ 学ぶ 得るだけでいいと思っています。

しかし やはり 「ありかた」について 語ると そうなっていきました。
むしろ 二人の弟子の 強い意思力と 志願に まりあの背筋が
びしっとなりました。

逆に いよいよ まりあのほうが
まるで 神社の神木に向かって 畏まる気持ちです。

逆に これまで やってきたかたがたに 何度となく望まれても
けんもほろろに 断ってきてしまったり
むしろ 「まりあを 先生にするな」と怒るほどになってしまったことを
わびます。
ごめんなさい。
そのたびに 体が 激痛になったことも 意味はわかっています。

まりあの好きな言葉に

ある 大富豪のかたが メンターのように 教えていて

「わたしに できることが あなたにもできないわけがない」

です。

まりあも そう言います。

まりあが できたのだから あなたもできるよ と。



記事はありのまま書いているに過ぎません。
「いい子だ」と言われたら そう書いています。
大人の本質を見抜く子供に好かれたなら、ありのまま書いています。
別にいい人 純粋な人と言う宣伝な訳でもありません。
ただ、まりあが感じたこと まりあもまたその子供のように感じたことを
伝えているに過ぎません。
受け取り方の判断や評価は任せています。



大学や大学院では
「書いてあること、記録書、古代からの文章すべて、信頼するな、鵜呑みにするな、真実が見えなくなるぞ、」
と、厳しく教えられました。

大学とはここから、出発しますよね、
なので、観自在を培うところが、本来の「大学」です。

誰が言ったのか?
初めにそう書いたのは誰なのか?
一体、本当にその人が書いたのか?
直筆でも疑え!
でした。
検証、検証、ばかりでした。
それが何よりも時間がかかりました。

それで、
すべて憶測でしか、書けません。
「夏目漱石が~と言う本で、~と書いたと思われる、」
言う
「~と思われる」憶測でしか、言うことが出来ず、「書いた」と断定は決してしてはなりませんでした。
出典も徹底させられます。

たとえば、
マザーテレサが言い残したとされる文を、まりあもこのブログで引用しましたが
本当にそう言ったのか、書いたのか
いう?どこで?誰に?
まで、調べてはいませんから、保証はできません。

有名なあまり、の文で、さらに、マザーテレサかどうかよりも、個人を超越して、素晴らしい文で、励みになるので、引用しました。
確か今年の2月か3月です。
あるいは、ネットで調べてもあちこちから読めます。


特に、まりあが、この人は信頼できるなぁと思えたのは

クローバー   地位や名誉やお金に関して、いつでも、降りられる、フットワークの軽さのあるかたがいいかと思います。
築きあげたものですらも、いつでも解散できる、勇気のある方。いさぎのよさです。
無責任とは異なり、それによって、人を縛りつけよう、コントロールしようとしない方。
商売で従業員が辞めたい、何かの会に辞めたいと言い出したり、生徒や弟子が降りたいと言い出しても、そこで大きな損失になろうとも、怒り出すのではなく、
「あゝ、いいよ、」と言えて、
「それだけ魅力がないのだな、」「改善や反省はどこかな、」などと、自分を振り返れる方。
自分の利益だけで、繋ぎとめようとしていたり、あるいは、閉鎖的な考えで説得しようとしない方ですね。
自分の利益で、惹きつけようとして、その反面、他の人や他のことを行なっているのを非難している人は、信用しません。

クローバークローバークローバー


次に もっと 具体的に伝えます。

続く・・・



まりあ