世の中を見ていると、「人生は、どうしてこんなに不平等なのだろうか?」と、悲しくなってしまうことがあります。

しかし、それでも、長期的に見ると、人生は完全に平等なのです。



なぜなら、どの人も、「今回は、このような条件で、このような問題集を解きながら生きるように生まれてきた」というだけであり、過去の人生ではまったく異なる条件で一生を送り、今後の人生でも、過去には経験したことがない条件で、さまざまな人生を送ることになるからです。

したがって、今回の人生だけを見ると不平等に見えても、地球上で送る数多くの人生を総合すれば、誰もが、同じような条件の人生を、いずれはすべて体験していくのです。



特に、「自分はこんなに苦労しているのに、身の回りには、苦労のない安楽な人生を送っている人がたくさんいて、うらやましい」と思うのは、大きな間違いです。

なぜなら、人生というものは、意識(魂)としての自分の成長度に応じて、ちょうどよい難しさになるように設計するからです。

人生計画を立てる際には、魂としての自分の成長度に応じて、「頑張って手を伸ばせば届く程度」の、ちょうどよいレベルの問題を用意しておくというわけです。



また「意識」としての学びの初期段階にある人は、数学でいえば足し算・引き算といった難度の人生、つまり、あまり試練のない、安楽な人生を計画します。

それでも、小学校低学年の子どもにとって足し算・引き算が難問であるように、まだ人間としての人生経験の乏しい「意識」にとっては、けっこう難しいのです。

ただし、たとえ小学生であっても、「ひとりの人間」としての価値は、大人とまったく同等であるのと同じように、「意識」としての「地球上での学び」が初期段階にあるからといって、その人の価値が乏しいわけではなく、「レベルの低い、ダメな人間」だというわけではありません。

それに、人生設計は自由自在ですから、すでにかなりの学びを積んだ魂であっても、たまには、苦労がなく喜びに満ちた人生を送って、「ひと休み」することもできるのです。

あなたが、うらやましく思っているその人は、これまでの人生で大いに頑張って試練を乗り越えて来たからこそ、今回は、「ひと休み」の人生を送っているだけなのかもしれません。



私たちは、それぞれの学びの計画に応じて、その人生で経験すべき試練の種類を決め、適度なレベルの挑戦になるように調整してから生まれてきます。

そのため、地球上では、さまざまな試練の問題集に、それぞれの人々が挑戦しており、数学ひとつをとっても、足し算・引き算のレベルから微分積分のレベルまで、各自の能力にとって最適な問題集を選んでいる、というわけです。




そして、もう物質世界で人間として学ぶことはなくなる直前の、最終段階にある、卒業生のような「意識」は、まるで卒業論文のような、最も過酷な試練を自分に与えながら生きようとします。

その代表的な例が、「つながっていく肉体そのものに試練を与える」ということ、つまり、重い病気やハンディキャップを持ちながら生きる人生です。

その結果、見事にその過酷な人生を生ききることができれば、めでたく「人間」を卒業して、地球という学校を去っていきます。

地球を卒業した後には、また、宇宙の各地に数多く存在する、ほかの学校に移っていくことになり、私たちの「学び」には、「これでもう終わり」という限界はありません。



時おり、重い病気やハンディキャップをお持ちの方々から、「私は前世で悪いことをした報いとして、自業自得で、今生ではこんな身体にされてしまったのでしょうか?」という、切実なご質問をいただきます。

そのようなご質問に対して、私はいつも、「あなたは大きな誤解をなさっていますよ」と、明確に否定します。

なぜなら、このような人生観を押しつけたのでは、人を罰することはできても、人を救うことはできないからです。



確かに、人生には「因果応報の法則」が存在しますが、それは「毎回の人生の中で、自分の言動が自分に返ってくる」という意味のものであり、過去の人生における言動が、自動的に今回の人生での境遇を決定しているわけではありません。

過去の人生における言動は、今回の人生を計画する参考資料ではありますが、あくまでも自分の意志で、「どのような試練を選んで成長したいか」という観点から、人生計画を立てるのです。



したがって、どのような境遇で生きている人も、必ず、そのような境遇で生きることを、自分の意志で選んで計画してきたのであり、神様・仏様や宇宙の法則のせいで、強制的・自動的に押し付けられるわけではありません。

そのような意味で、病気やハンディキャップを持ちながら生きる人は、決して罪深い人やかわいそうな人ではなく、自分の意志で大きな成長を望んで生まれてきた、たいへん勇気ある、素晴らしい挑戦者なのです。


飯田史彦著「ソウルメイト「運命の人」についての7つの考察」より
第一章 ソウルメイトとは何か
第六節 「運命」のしくみ
〔2〕完全なる平等

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輪廻転生や生まれ変わりについては、基本的には共通していても、少しずつ違った解釈がありますうーん

たとえば、このブログで以前に取り上げたエドガー・ケイシーの本では、過去生で誰かを嘲笑したために今生では同じ境遇を背負うことになった…という解釈がありました真顔

はっきり言って、このあたりのことは現段階ではどれが正解なのか確かめようがありませんしょんぼり

将来、もっと人間や宇宙についての研究が進めば、正解が明らかになるかもしれませんが、今の私たちには知ることができませんにやり

ならば、どの解釈が私や私たち全体にとって、より愛があり幸せになれるのかを基準に、一番納得できるものを自分の判断で取り入れるのもいい方法ではないかと思いますニコ

私にはこの飯田史彦さんの解釈がとても納得できるし、私たちの成長に一番良い影響を与えるように感じていますほっこり

飯田さん自身、「なぜなら、このような人生観(前世の報いで病気やハンディキャップを持った、自業自得)を押しつけたのでは、人を罰することはできても、人を救うことはできないから」と書かれており、「これが正解」だとは言っていませんニコ

飯田さんの観点から輪廻転生を見ると、今がどのような恵まれた境遇にある人でも、反対にどのような過酷な境遇にある人でも、全ての人々に対してお互いに思いやる気持ちや尊敬し合う気持ちになれるのではないかと思いますキラキラ

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