こういうタイプの女の子のことを、
ひと昔前はやりまんって言っていたわけですが、
やりまんには愛と幸せのウェットな欲望がありました。
自分を愛してくれる人と一緒になってこそ幸せ
って思いから始って
この人はあたしのこと好きなのかも
この人はあたしを幸せにしてくれるかも
この人こそ運命の人かも
という思考回路が迷走を加速させていくのですが、
ノマドセックス女子というのは、1人の相手とガチな関係をそもそも結ぶ気がなく、複数の人と、ある意味平等な関係でお付き合いする。
こういうタイプの人を、ひと昔前は二股(もしくはそれ以上の数字で)をかける、とか言っていたわけですが、
二股(もしくはそれ以上)をかける女の子も、最終的は1人のイチバンにたどり着きたいという希望のもと、選びかねているという状態に陥っているので、
顔が好みでおもしろく、経済的に安定していて、親と友好な関係を築く寛容さがあり、刺激も与えてくれるけど平穏も約束してくれる、
とかいうこっちの全希望を叶えられる人間などいやしないので、複数でまかなうのがよし、というノマドセックス女子の思考とは別物です。
こんな風に考えて行動する女の子の相手のことを、ひと昔前では、あっしーくんとかメッシーくんとか言っていたわけですが、そんなことをしてくれる人を手札で持っていた女の子たちは、そのひとたちについては、彼氏じゃない、つまり性的な関係を持ってない、ことが大前提だったので、これも、
その人のもつ、部分的な魅力をその人の価値とみなして付き合う
というノマドセックス女子の思考とは違います。
なによりも、やりまんと二股女子と便利に付き合える男の人を持っている女の子とノマドセックス女子の大きな違いは
やりまんも、二股状態も便利に付き合える男の人の手札に持っている女の子もかつては(今でもかもしれないけど)実在したけれど
ノマドセックス女子というのは、言葉遊びが好きな人たちが
こんな女の子がいたらおもしろいよね、というところから生み出した概念であって、実在しないところだと思います。
おもしろいけどね。
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