今朝、ベランダでハーブの手入れをちまちまとしておりましたら、息子が窓から顏を出して
「昨日の話、したっけ?」
と話しかけてきました。
昨日のことというのは、息子が参加した学校主催のプログラムのこと。
息子の学校では夏休みに付属の大学のいくつかの講義を体験できるというカリキュラムがあって、なかでも人気はロボット工学。
これは、コンピュータでプログラミングされたロボットを動せるという、中学生にとっては、夢のようなクラスで、希望者が多く、毎回、抽選になります。
去年、息子は応募したものの参加が叶わず、別の講義を体験したのですが、
「難しくてよくわかんなかった。。。」としょんぼりして帰ってきました。
今年も、参加できる講座が、息子がプリントを紛失したせいで、当日まで何だかわかりませんでした。
大切なプリントをなくしたんだからお友達に聞くなり先生にきくなり、自分でなんとかしなさい、と言ったものの、私も、何の講座か気になっていたようで、
「講座、どうだった?」
「難しくて途中で帰ってきちゃったからよくわからない。。」
という夢をみて、それが現実だと思っていて、今年も残念だったか。。と勝手に思い込んでいました。
なので、息子に、
「昨日の話したっけ」
と聞かれたときに、その話をして、話をしながら、
「あれ?昨日、ママ、あーちゃん(←息子の名前)とお話してないね?」
と気づきました。
「ママ、夢を見てしまったよ」
と言いましたら
「夢だしぜんぜん本当と違うよ、ロボット工学の講座に参加できたよ」
と、どんなことをしたのか、事細かに説明してくれ、どれだけその講座が楽しかったか教えてくれました。
なんだか泣けてきました。
大津の事件がテレビでも報道されるようになりました。
ネットで燃えてる時から吐き気がするほど考えていたこともあって、少年の、というか人間の悪意のおぞましさとか、保身のえげつなさを苦しく思うばかりの気持ちから、親が何ができるんだろうという気持ちが加わってきました。
その事件が起こった中学校に子どもを通わせている親は、もし、自分の子供が生徒にひどいことをされ、先生に助けを求めても、助けてくれないし守ってくれないし、一緒に解決しようとする気がない場所に子供を通わせてることが恐怖じゃないかと思う。
息子の学校の先生は、保護者会のたびに、中学生の男の子は、家で学校の話をしなくなる年齢だけれど、それは普通のことで、話さないということは、大丈夫ということ、というようなことを言って、反抗期に手を焼く母たちをなだめます。
私も、根掘り葉ほり聞きたがって、息子に嫌な顏をされることしばしですが、話さずとも、話したいときに話せる環境は整えなければと思います。
被害者の少年のお父様が、事件の実体がわからず、息子を厳しく非難したことを悔いている報道がされましたが、往々にして、父親は強くたくましい心を育てたいと思うばかりに、息子に厳しく接するのかもしれません。
うちの旦那さんも、そういうところがあります。
常に息子の味方でありたいと思いますし、すべての親が自分の子供の味方であり、必ず守ると思っていると思いますが、それはこっちの気持ちなので、実はどうでもよくて、
自分の子どもが、自分の親は常に自分の味方で、助けてくれる存在だと思ってくれるような関係を築かなければと。
どうか、生きることに絶望しませんように。
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